父の過保護

私が幼い頃、父の口癖は、「あぶない、あぶない」でした。
父は過保護でやり、優しい過干渉でした。
そして、小さい私が何かしようと試みる際、父としては心配で、「あぶない」を連発したのでしょう。

そして、私が青年期、父の私に対する口癖は「大事に、大事に育てた」でした。
これは、幼児期の「あぶない」の延長、「大事に育てた」という意であると解釈しています。

放っておかれるよりは、ずっとありがたい話しなのですが。

過剰に子供の試みること「あぶない、あぶない」を連発して、その行動を阻止することには疑問を感じています。

なぜなら、子供は興味を持ったことにチャレンジをし、出来たという成功体験から、自信を獲得、また、次、チャレンジしようとモティベーションが上がるからです。

もちろん、親から見て、明らかに怪我の危険等が予想される時は、子供の無謀なチャレンジをやめさせる必要はありますが、少しぐらいの怪我なら、子供のすること、しかたないと思います。

怪我をしたら、次回から怪我をしないように考え、またチャレンジするでしょう。

結局のところ、父の私に対する、「あぶない、あぶない」は、私の行動、チャレンジを奪い、その結果、成功を体験出来ず、また、失敗から次回どうしようと考える、思考力を奪ったことになります。

父は、「大事に育てた」と言っていましたが、そのことについては感謝しますが、実際は「小さく育てた」。

これが私の人生における結論です。

もともと、母の過干渉があり子供時より生き辛さがありましたが、父の恩恵も、私の人としての成長を阻害した一因だなと思っています。

でも、これもしかたのないことです。

父の父は飲んだくれで、父は父としてのモデルを知らなかった。
だから、自分なりの子供への接し方を、自分なりに考え、自分の可愛がり方が、子育てのベストだと思っていたのでしょう。
自分の父と真逆の接し方をしたのです。
そして、良い父で在りたかった。
しかし、私に対する執着の度が過ぎた。

父のことを思い出すと、いつも、残念な気持ちになります。
もう少し、良い関係になれたのにな・・・。
私にも問題はあったのですが・・・。

これも、機能不全家族の世代間連鎖の1つの形です。