アダルトチルドレン相談集

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2006年05月29日

親の過剰な期待による支配

親は子供が出来た時からいろいろなことを子供に期待するものです。
当然と言えば当然の期待なのですが、過剰な期待はアダルトチルドレンの諸問題へと発展していきます。

それでは、親の期待とはどのようなものがあるのでしょうか。
一言で言ってもたくさんあると思います。

・ 一緒に酒を飲みたい
・ 元気で丈夫に育って欲しい
・ 明るい子になって欲しい
・ いい大学、いい会社に入って欲しい
・ プロ野球選手になって欲しい。

等様々であり、どれも納得出来るものです。

では、親の子供に対する期待で問題になる過剰な期待とはどのようなものがあるのでしょうか。

考えられることは、親のエゴに基づく信念や価値観が子供に対する期待に色濃く入っていないかどうかです。それは、親の見栄であったり、親の価値観を満たすものであったり、親の果たせなかった夢であったりと、子供の人生を通して親自身何らかの満足感を得ようと意図するものだと思います。
親は子供の人生に期待をして、子供に自分の意に沿う人生を歩ませ束縛して、子供の人生を支配するのです。

例えば、親が一流会社に入れない人間は価値がないという歪んだ信念を持っているとすれば、子供は小さい時から勉強ばかりさせられ、塾に行かされ、遊ぶことも出来ず、逆に言うと好きなことは何も出来ず自分を抑えて親の言うがままに生きるでしょう。
また、親が自分が本当はプロ野球選手になりたかったのに断念した経緯があり、その夢を子供に託したとしたらどうでしょう。その子供が野球が好きだったら問題ないのですが、野球の嫌いな運動が苦手な子としたら。

多くのアダルトチルドレンは親に支配されたような感覚を持っています。
この、親の過剰な期待による支配は、子供が自分の人生を生きていないことを意味します。自分の人生を生きていないということは、親が子供の人生の選択権を握ってしまい、親の望むレ−ルを敷き、子供はそのレ−ルを歩むだけとなります。逆に言うと子供は自分の人生において重要な選択と決断をすることがなく大人になるのです。
そうすると、社会に出てから選択することと、決断することに怖さを持つことになるかもしれません。(今までは親が決断をしてくれていたから)
また、親がすべてを決めてしまうので、自分のことを自分で考えることが出来なくなってしまうかもしれません、または、自分は自分の思っていることを何もさせてもらえないと感じ考えることすら諦め無力感を持ってしまうかもしれないのです。

更には自分の人生を生きていないため、自分で自分のことを決定してチャレンジしたこともなく、自分の人生を自分で切り開く自己信頼感も獲得出来ず大人になるでしょう。

また、何かすると親に反対されるので、常に親の顔色ばかり伺う子供であるかもしれません、そうすると大人になっても周囲の顔色ばかり伺ったり・・・。
常に自分の本当にしたい気持ちを抑えてきたので、本当の自分の気持ちを失って、何をするにも何をどうしていいのか分からなくなってしまったり・・・。
何も感じることが出来なくなってしまったりと自己を喪失します。

生きているという実感さえ喪失してしまうかもしれないのです。


親の過剰な愛による支配にしても、過剰な期待による支配にしても、アダルトチルドレンは親の人生、支配の中生きてきたことは共通しています。

そして、親の過剰な愛にしても期待にしても、その根本の問題は親自身が抱えている問題なのです。
過剰な期待については上述した通り、親の歪んだ信念等が問題になっています。また、過剰な愛については、親が子供を愛することに極度にこだわっていたり(これも親の問題であります)、親が心配性であったり様々ですが、いずれにせよ親の問題なのです。

したがって、アダルトチルドレンは親自身の未解決の問題に巻き込まれることになるのです。

そして、自分の人生を生きることを自ら禁じてしまうのです。

投稿者 stella : 18:45

2006年05月24日

親の過剰な愛による支配

前回、前々回と親の育児態度とアダルトチルドレンの問題をみてきました。
これら親の育児態度に共通する因子は何でしょうか。

考えられることは支配性であると思います。
子供を自分の都合のいいように合わせて支配しようとする姿勢です。

でも、親からしてみたら本当に支配しようと思って、そのように振る舞っているのでしょうか。振る舞っている親もいれば、まったくそんなこと意識していない親もいるでしょう。
例えば、自分の気持ちの変化や、気まぐれで子供を叩く、罵倒する親。これらの親はその未熟な人格からこのように振る舞うのであり、子供を支配しよう等とは思ってもいなかもしれません。ただ抑制が効かないだけかもしれないのです。しかし。だからといって支配性はない、悪気はないと言い訳をしても、納得出来るものではありません。論外です。

では、親がまったく意識していない支配性とはどのようなものでしょうか。

私は親の過剰な愛と、過剰な期待について挙げたいと思います。
今回と次回に渡って過剰な愛と、過剰な期待について書きます。

1 過剰な愛による支配

親は言います。「これだけ愛しているのに」。親が子供を愛するのは大切なことだと思います。しかし、これが過剰な愛としたら。
過剰な愛を注ぐ親の行動パタ−ンはどのようなものでしょうか。

・ 自分のテリトリ−、自分の目の届く範囲内に子供を置いておききたい。
・ 子供に多くのものを与える。そして親自身が喜ぶ。
・ やたら心配症。
・ 子供のすべきことをしてしまう。

このように書き連ねてみると、親の過剰な愛は子供にとっては大切に接してもらい、楽なものではないかと、思う方もいらっしゃるかもしれません。

そうです。ある程度楽なのです。でも、大人になるにつれしんどいのです。また、大変なことになるのです。

3歳児位までの子供は皆親のテリトリ−の中で暮らしていると思います。そして、やがて興味本位から徐々に外の世界に目が向き、冒険を始めます。
冒険をすることから得られるものは、自分は親から離れても好きに出来るという自己効力感です。当然これは自己信頼感と対をなすものです。

ですから、冒険をすることもなく親のテリトリ−内に留まることを余儀なくさせられた子供は、自己信頼感の獲得につまづくことになるのです。そして、自分の好きにさせてもらえないというストレスを感じることもあるでしょうし、このことに対して無力感を抱くかもしれません。

また、親が何でもかんかでもしてしまうので、この点からも子供は自分から積極的に動くことをしなくなるでしょう。
親が何でもかんでもするということは、常に子供は受身の状態です。
したがって、何も行動することなく、考えることもなく、待ちの状態でいることになります。
当然、行動することから得られる自己信頼感は獲得出来ません。

更に、常に受身で自分の満足を満たしてもらっているので、自己表現することも控えめです。または、自己表現しても親が勝手によかれと思って何でもしてしまうので、自己表現することを諦めているかもしれません。しかし、いずれにせよ内心は自分の好きなことをさせてもらえない苛立ちから怒りに満ちているのです。

そして、いつでも待ちの状態で要求表現することもなく、その要求が周囲に理解してもらえず、自分の要求の満足を満たしてもらえなかった時は激しい怒りと失望を感じます。

受動攻撃性です。

こうした子供や大人は円滑な人間関係を築けるのでしょうか。
自己表現も出来ず、自分の欲求を抑えてじっとしている。または、本当は自分が何がしたいのか、自己欲求そのものも分からないかもしれない。無力感に覆われる。

自己表現が出来ない、もしくはそのスキルを獲得していないので、周囲の人間からは理解してもらえず、人間関係も辛いものになるかもしれません。

親の過剰な愛情とは、子供が本来自分で行動すること、要求を自身で満たすパワ−(動くこと、表現すること)を奪ってしまうのです。そして、人間関係形成においては大きな阻害要因となるのです。

次回は親の過剰な期待について書きたいと思います。

投稿者 stella : 12:16

2006年05月17日

親の育児態度とアダルトチルドレン-2

前回は親の育児態度、過干渉、過保護、暴力がアダルトチルドレンの問題とどう関わっているのか見てきました。

今回は、寄りかかりを中心に「保護と拒否」についても考えたいと思います。

4 寄りかかり

親が子供に寄りかかる。一体これは何を意味しているのでしょう。実際そんなことはあり得るのでしょうか。

アダルトチルドレンの方のカウンセリングをしていて寄りかかりの問題を聞きますと、具体的には親のグチを聞く、親の悩みや、片親の悪口、他者の批判等、そんなことは夫婦で話せばいいことを子供に話しかけ訴えてきています。

疎遠な夫婦関係、コミュニケ−ション力の欠如より、子供に片親の代役をさせるのです。
こんな役割を小さい時より子供にさせると、子供はどうなるでしょうか。
親のためと一生懸命になり、自分がこの親を支えないという気持ちになるでしょう。これは、子供らしさの喪失を意味します。

また、片親が病気等の場合看護をしている親(父・母)が、その不安を子供に洩らします。勿論、不安な気持ちは分かるのですが、その不安な気持ちを子供に言うことは妥当なものでしょうか。不安な親に寄りかかられた子供は、頑張らなければと思ったり、その不安な気持ちに呑み込まれてしまうのかもしれません。

親自身の人間として未熟な頼りなさを子供に押し付けると、子供は親のパ−トナ−のようになってしまい、小さいながらも親を支えようとする傾向があるのです。
しかし、これもいつまでも出来るものではありません。子供は子供の生活、自分というものがあり、親が常に遠慮もなく寄りかかってくると、呑み込まれてしまうような息苦しさ、また、親が寄りかかりにくるのではという不安感から安心感が持てず、ビクビクしたり、神経質になったり、自己信頼感の獲得にも失敗するでしょう。

また、これとは逆に親にパ−トナ−の役割をさせられたために、子供の頃からしっかりした責任感のある性格になるかもしれません。この場合でしたら、自己信頼感は獲得して自信もあるように思えるのですが。
さて、本当にそうであるかは検証しなくてはなりません。

再三書いていますが、私は自己信頼感は親に愛され、誉められ、認められことにより獲得出来るものと思っています。したがって親のパートナ−の役割を演じることよりは獲得出来ないのではと思っているのです。
親のパートナ−を演じることにより、表面的な強さはその役割上得るでしょう。しかし、強さという性格の鎧をまとったとしても、その内面はもろいものではないでしょうか。本当は好きに遊んだり、甘えたりしたかったけど、それが出来なかったのですら。

親に寄りかかられパ−トナ−の役割を演じるということは、親に子供として充分に愛されていないことを意味するのです。


では、最後に親の育児態度「保護と拒否」についてです。

保護。これは理想的な親子関係です。愛、誉める、認める。アダルトチルドレンの問題とは無縁な親の育児態度と思います。

次に拒否。存在を拒否されるほど辛く悲しいものはないと思います。拒否とは存在の否定なのです。
今まで自己信頼感と親の育児態度を主に書いてましたが、生まれた時から赤ちゃんが親に拒否とれたとしたらどうなるのでしょうか。生まれてこなかった方がよかった。自分に価値はないと赤ちゃんながらそのように感じてしまうでしょう。
これを基本的不信と呼びます。自分に対して、周りに対して不信感を持ってしまうのです。
そして、自分は愛されるに値しないものと捉えてしまうのです。

また、この拒否を少し拡大解釈してみましょう。子供が好きにすること、動くこと、話すこと、これに対して親が何らかの制約を加えることも拒否と考えてもいいかもしれません。
そうすると、過干渉、過保護、暴力、寄りかかりの育児態度は直接的にせよ、間接的にせよ、拒否的な育児態度を含んでいるのかもしれません。


さて、ここまで2回にわたって、アダルトチルドレンと親の育児態度について書いてきましたが、この育児態度だから必ずこうなるというものでもなく、また、ある育児第度のミックス型、例えば過干渉と過保護、過保護と寄りかかり等様々考えられます。

1つの可能性として、私の経験上アダルトチルドレンの問題と関連して確率が高いと思われる育児態度を書いてみました。

投稿者 stella : 12:13

2006年05月11日

親の育児態度とアダルトチルドレン−1

今回は親の育児態度と子供の性格に対する影響について書きたいと思います。
もちろん、アダルトチルドレンの問題が中心ですが、それ以外にも参考になると思います。

心理学者サイモンズは、親の育児態度を「支配と服従」「保護と拒否」の4極に分けました。
今回は、支配と服従を中心に見ていきたいと思います。

まず、支配と聞いて何を感じますか?
上から押えつける、こんな感じでしょうか。
それとも、他に何かありますか?

私はこの支配についてを、今までのアダルトチルドレンの相談例を参考に4つに分けたいと思います。

1 過干渉
2 過保護
3 暴力
4 寄りかかり

1 過干渉

干渉とは何でしょうか。この言葉を詮索と置き換えてもいいかもしれません。
要は親が子供に対して「〜〜した」「〜〜どこへ行っていたの」と日常にありふれた干渉・詮索から、子供の机の引き出しを勝手にあける、または、友人関係にまで口を挟む等様々です。
しかし、過干渉に共通している親の心理は、子供のことを過度に知りたいということ、そして、直接的に自分の気に入るように動かしたいということです。反抗するパワ−のある子供は反抗するのでしょうが。そのパワ−のない子は何を言っても、口やかましく反論され理解してもらえないと悟り、ついには諦めて親の言うがままになってしまいます。
また、この過干渉は厳格も含むかもしれません。

2 過保護

親が子供を保護養育する。微笑ましいことです。しかし、度が過ぎると違います。過保護とは親が子供を溺愛するあまり、子供をペット化してしまいます。
何をするにしても心配してそれを口にする。子供がすべきことを先回りしてやってしまう。子供は自分が可愛がられていることは分かっているのいで、親の行き過ぎた言動、行為を受け入れます。(もちろん親の過保護な行動に対抗するパワ−があれば別です)
しかし、親からの一方的に行為の連続により、本当に自分のしたいことはさせてもらえません。ここにも自分は何を言っても希望しても、聞いてもらえないと諦めがあるかもしれません。
または、自分は何もしなくてもいいんだと誤った人生態度を持ってしまい、考えることすら放棄して思考能力が欠如してしまい何事も受身になってしまうかもしれません。

過保護とは親の主観主体に基づく一方的な愛情であり、共感に基づくものではないのです。
もちろん、そのことを親は気付いていません。
ここから親の得るものは、これだけこの子を愛しているという自己満足です。

3 暴力

言葉の暴力、力の暴力を含みます。子供が何かをして気に入らないと叩く、罵る。絶対的否定を行います。または、自分の機嫌によって可愛がったり、八つ当たりをしたりと滅茶苦茶です。このような親を持つと子供は、いつ叩かれるか、いつ罵られるかと日々怯えてしまい、親の顔色ばかり伺ってしまいます。また、度が過ぎると精神の破綻をきたすかもしれません。


今回は過干渉、過保護、暴力(厳格)の3つを取り上げました。この3つに共通するものは何でしょうか。
すべては子供を直接的に支配する親の意図です。過干渉は子供のことを常にすべて把握。自分の気に入るように厳格に子供を支配します。過保護は自己満足的な愛を前面に押し出し、子供を飲み込んでしまいます。言葉、力による暴力は言うまでもなく子供のすべてを支配して、時にはその凄まじさから精神崩壊へと追い込むことでしょう。

いずれにせよ、これらの育児態度で育てられた子供は、常に親の視線や思いを過剰に意識してしまいます。いつ親から干渉されるか、飲み込まれるか、叩かれるか等に日々ストレスを感じて怯え、安心感を抱くことが出来ません。安心感を得ないと子供は常に不安を感じて生活することになり、神経質(ちょっとした物音でもびっくりしたり、不安先行思考等)にもなってしまうでしょう。

また、親から誉められること、認められることもほとんどなく、親の価値、期待、力に合わせて生きていくことになり、自分の感情を感じることや表現することを自身に禁じてしまい感情喪失、無力感に包まれてます。そして、自分の人生を自分で決定して生きることからくる自己信頼感、自己効力感を培うことが出来ないのです。

生きるエネルギ−を親に吸い尽くされ、生きている実感を失ってしまうのです。

今回はここまでです。
次回は 4 寄りかかりと、「保護と拒否」についても考えたいと思います。

投稿者 stella : 12:12

2006年05月09日

なぜ、生きることで大切な自己信頼感を獲得できなかったのか

私は人が生きるうえで一番大切なものは自己信頼感であると思っています。
(何度も書いていますが)

自己信頼感。自分を信頼して生きること。行動すること。自分を持つということ。
このような感じでしょうか。

では自己信頼感はいつ頃形成されるものでしょうか。性格の一部と捉えるのであれば10歳前後ではないでしょうか。
小学生の性格を見ると、内気でおとなして子っていますよね。この頃にその性格だと大人になっても、内気でおとなしい人になる確率は高いと思います。人の性格は10歳前後で基礎は出来上がると私は思っています。(もちろん、その後の性格の変容は可能です)

話しをもとに戻します。内気、おとなしい子。これらの子は人見知りをしています。
気のあう友達とは話せるけど大勢の子供と一緒にいるとしんどい。そして、そのまま成長すると対人不安への悩みへと発展します。
人見知りの子の心理は周囲の反応を過剰に感じとって自己表現出来ない。恐れとしては笑われるのでは、バカにされるのではとか、いろいろあります。

では、なぜ小さい頃からこのように捉えてしまうのでしょうか。彼ら彼女らの更に幼い頃にその原因があるように思います。
それを少し見ていきましょう。

自己信頼感とは好きに活動する、チャレンジしてみる、達成する、認められる、誉められる。これらの連鎖から培われます。もちろん、認める、誉めるは周囲の大人の役割です。

では仮に親が子供の活動を制約したらどうなるでしょう。例えば何かを子供がしようとするたびに神経質に「危ないからダメ」を連発するとしたら。
子供はこの世は危ないものと神経質になったり、親が何かをしようとするたびに邪魔をするので動くこと、活動することを諦めかつ、何も好きにさせてもらえないと無力感を持ってしまうかもしれません。また、動くことは運動神経を培い筋肉を発達させます。動かなくなると虚弱な体質の子供になってしまうでしょう。

そして、動くことがチャレンジ心につながります。チャレンジすることから達成感、充足感を得ます。したがって親が子供の活動を何らかの理由で制約してしまいますと、この達成感を感じることが出来ず、そこからくる自信の獲得も出来なくなってしまうのです。すなわち自己信頼感が培えないのです。

更に、子供が動きチャレンジして何かを達成した後、もしくは失敗したとしても親の適切にフォロ−が必要です。

まず、親が子供が何か達成しても誉めず「そんなこと誰でも出来る」「もっと難しいことにチャレンジしろ」とか言われると子供は、自分の達成したことに価値を置くことが出来ず、何をしていいの分からなくなり混乱します。そうすると、親の意に沿うことが一番と考えてしまい常に親に集中してしまいます。しかし、これは親の規範や価値に合わせることにつながり自分の人生を生きていることにはなりません。

アダルトチルドレンの方と話しをしていると、一生懸命に努力をして成果も出されているのに、結果を過少評価される方が多々おられます。
これは、親に認めてもらえなかった経験から自分の達成したことを認めにくい傾向、まだまだ努力しなくてはという親から植え付けられた呪縛のようなものがあると思います。
また、親の価値に合わせて今まで生きてきたとしたら、その延長をまだ生きているかもしれません。
すると、今自分のしていることは自分の本当にしたいことではなく、やらされている感覚から、努力して達成したことも他人ごとのように捉え実感しにくいのかもしれません。


次にチャレンジして失敗。その後そのことを親から罵倒、批判され続けられるとどうなるでしょうか。
子供は自分が失敗した時、それについて恥の感覚や落ち込みを感じます。それに対して追い討ちをかけるように親が罵声を浴びせたらどうなるか。
アダルトチルドレンの方のなかには途方もない無力感を感じておられる方も多々おられます。何をしても自分はダメな人間とレッテルを貼ってしまうのです。

親に何をやっても誉めて貰えない。また親の期待に合わせて生き続ける。これでは自分の人生を生きておらず自己信頼感を獲得出来ません。また、失敗したら親に罵倒され無力感を感じてしまう。これも当然自信を得ることは出来ません。

親の誉めること、失敗をフォロ−してあげることは子供の自己信頼感獲得に大切であり、自分を信頼して生きることはアダルトチルドレンの問題を解く鍵でもあるのです。

アダルトチルドレンの問題の回復・克服のためには、自分で自分の人生を生きている肯定感が必要なのです。

投稿者 stella : 12:10

2006年05月08日

人との関わり評価を過剰に意識する問題

アダルトチルドレンの問題での相談の1つに、過剰に人に気を使いすぎること、人の視線を意識しすぎること、どう思われるか気にしすぎること、過剰で頑張り続けて人から評価を得ようとすること等、他者を意識した問題をたくさん言われることがあります。

これらは何を意味しているのでしょうか。

一見、人間関係の悩みのように捉えられます。
もちろんここには、対人不安の問題も絡んでくるのですが。

これらに共通しているのは、人からの否定やマイナスの評価を極端に恐れる傾向があるのは確かです。
しかし、これが本質的な問題なのでしょうか。
そうかもしれませんし。そうでないかもしれません。

こういったアダルトチルドレンの対人関係の相談を受けていますと、ふと過去を振り返られた時に一言言われます。「淋しかった時があって」「むなしいかった」「虚無感」「漠然とした不安」これらを感じたことがあるということです。

私はこれが問題本質のキ−になるかもしれないと思っています。

人間関係の悩みで悩まれているアダルトチルドレンの方は、人から否定されたら自分には価値がない、嫌われたら終わり、頑張って評価を得ないと自分はダメな人間と、自己存在の価値を他者評価、行為評価に置き換えてしまうのです。

では、この置き換えと淋しさ、むなしさ、虚無感、漠然とした不安とどう関係するかですが、この淋しさ、むなしさ等の背景に何があるか、それを考えていくとそこに、自己信頼感のなさが伺えるのです。

自己信頼感とは自分が自分を信頼している、自尊心を持っている、自分に自信があることを意味しています。
これがあると自分と自分がつながっているので、過剰に淋しさ、虚しさ、不安を感じなくなるのです。(もちろんアダルトチルドレン以外の人でもふと淋しさを感じることは正常の範囲であります)

逆に考えると自分が自分とつながっていないということは、他の何かとつながろうと動因が働きます。
それが他者とのつながりであったり、受け入れてもらっている安心感であったり、評価であったりとするのです。

したがって他者の好意を得よう、評価を得ようそのことに一生懸命になっている人は、それ以上に自分が自分とつながる必要があります。
言い換えると、自己信頼感の獲得。自尊心の獲得です。

それでは、アダルトチルドレンの問題で悩まない人はどのようにして、自己信頼感や自尊心を獲得したのでしょう。

自己信頼感、自尊心、自分に対する自信は生育暦のなかで親に認めてもらう、誉めてもらうことから獲得します。
したがって生育暦の中で親に認めてもらえなかったり、否定され続けたり、干渉され続けると、自分はNOの感覚を持ってしまいマイナスの感覚が蓄積されてしまうのです。

逆に考えますと、自己信頼感や自尊心はプラスのOK感覚です。自分は存在してOK。好きなことをしてもOK等。

では、自分に対してのNOの感覚、自己信頼感欠如、自尊心の回復をどのようにすればいいのでしょうか。これは私の経験上ですが2つあります。

自分が自分に楽しみをあげること。好きなことをするということです。これは趣味でもいいかもしれません。仕事でもいいかもしれません。とにかく自分が本当にしたい新しいことにチャレンジをして、それを達成していくのです。そして達成感を感じてください。

達成感を感じることは、それじたいが自分は出来るという感覚を獲得します。すなわち、自己信頼感の獲得です。

それから、もうひとつ大切なことです。それは、人との付き合いです。
私の持論ですが人は人を通してしか成長出来ません
先ほどの新しいことにチャレンジするとしても、必ず人との関わりが出てきます。

この時にこそ達成感を感じつつある自分に自信を持って、人の視線や評価に過剰を意識しないように、新しいパタ−ン、行動を促進していくことも大切なのです。

すでに新しいことにチャレンジ、行動しているということはそれだけで勇気を出し内面の変化もあります。

新しいことにチャレンジすると新しい人々に出会えます。ここにひとつのチャンスがあるのです。
今までとは違う、成長した自分を出して自然と人との一体感を楽しめれば、過剰に人の視線を意識したり、評価を得ようとすることはなくなるでしょう。

あなたは、存在するだけでOKなのです。

投稿者 stella : 12:08