親の過剰な愛による支配

前回、前々回と親の育児態度とアダルトチルドレンの問題をみてきました。
これら親の育児態度に共通する因子は何でしょうか。

考えられることは支配性であると思います。
子供を自分の都合のいいように合わせて支配しようとする姿勢です。

でも、親からしてみたら本当に支配しようと思って、そのように振る舞っているのでしょうか。振る舞っている親もいれば、まったくそんなこと意識していない親もいるでしょう。
例えば、自分の気持ちの変化や、気まぐれで子供を叩く、罵倒する親。これらの親はその未熟な人格からこのように振る舞うのであり、子供を支配しよう等とは思ってもいなかもしれません。ただ抑制が効かないだけかもしれないのです。しかし。だからといって支配性はない、悪気はないと言い訳をしても、納得出来るものではありません。論外です。

では、親がまったく意識していない支配性とはどのようなものでしょうか。

私は親の過剰な愛と、過剰な期待について挙げたいと思います。
今回と次回に渡って過剰な愛と、過剰な期待について書きます。

1 過剰な愛による支配

親は言います。「これだけ愛しているのに」。親が子供を愛するのは大切なことだと思います。しかし、これが過剰な愛としたら。
過剰な愛を注ぐ親の行動パタ−ンはどのようなものでしょうか。

・ 自分のテリトリ−、自分の目の届く範囲内に子供を置いておききたい。
・ 子供に多くのものを与える。そして親自身が喜ぶ。
・ やたら心配症。
・ 子供のすべきことをしてしまう。

このように書き連ねてみると、親の過剰な愛は子供にとっては大切に接してもらい、楽なものではないかと、思う方もいらっしゃるかもしれません。

そうです。ある程度楽なのです。でも、大人になるにつれしんどいのです。また、大変なことになるのです。

3歳児位までの子供は皆親のテリトリ−の中で暮らしていると思います。そして、やがて興味本位から徐々に外の世界に目が向き、冒険を始めます。
冒険をすることから得られるものは、自分は親から離れても好きに出来るという自己効力感です。当然これは自己信頼感と対をなすものです。

ですから、冒険をすることもなく親のテリトリ−内に留まることを余儀なくさせられた子供は、自己信頼感の獲得につまづくことになるのです。そして、自分の好きにさせてもらえないというストレスを感じることもあるでしょうし、このことに対して無力感を抱くかもしれません。

また、親が何でもかんかでもしてしまうので、この点からも子供は自分から積極的に動くことをしなくなるでしょう。
親が何でもかんでもするということは、常に子供は受身の状態です。
したがって、何も行動することなく、考えることもなく、待ちの状態でいることになります。
当然、行動することから得られる自己信頼感は獲得出来ません。

更に、常に受身で自分の満足を満たしてもらっているので、自己表現することも控えめです。または、自己表現しても親が勝手によかれと思って何でもしてしまうので、自己表現することを諦めているかもしれません。しかし、いずれにせよ内心は自分の好きなことをさせてもらえない苛立ちから怒りに満ちているのです。

そして、いつでも待ちの状態で要求表現することもなく、その要求が周囲に理解してもらえず、自分の要求の満足を満たしてもらえなかった時は激しい怒りと失望を感じます。

受動攻撃性です。

こうした子供や大人は円滑な人間関係を築けるのでしょうか。
自己表現も出来ず、自分の欲求を抑えてじっとしている。または、本当は自分が何がしたいのか、自己欲求そのものも分からないかもしれない。無力感に覆われる。

自己表現が出来ない、もしくはそのスキルを獲得していないので、周囲の人間からは理解してもらえず、人間関係も辛いものになるかもしれません。

親の過剰な愛情とは、子供が本来自分で行動すること、要求を自身で満たすパワ−(動くこと、表現すること)を奪ってしまうのです。そして、人間関係形成においては大きな阻害要因となるのです。

次回は親の過剰な期待について書きたいと思います。