なぜ、生きることで大切な自己信頼感を獲得できなかったのか

私は人が生きるうえで一番大切なものは自己信頼感であると思っています。
(何度も書いていますが)

自己信頼感。自分を信頼して生きること。行動すること。自分を持つということ。
このような感じでしょうか。

では自己信頼感はいつ頃形成されるものでしょうか。性格の一部と捉えるのであれば10歳前後ではないでしょうか。
小学生の性格を見ると、内気でおとなして子っていますよね。この頃にその性格だと大人になっても、内気でおとなしい人になる確率は高いと思います。人の性格は10歳前後で基礎は出来上がると私は思っています。(もちろん、その後の性格の変容は可能です)

話しをもとに戻します。内気、おとなしい子。これらの子は人見知りをしています。
気のあう友達とは話せるけど大勢の子供と一緒にいるとしんどい。そして、そのまま成長すると対人不安への悩みへと発展します。
人見知りの子の心理は周囲の反応を過剰に感じとって自己表現出来ない。恐れとしては笑われるのでは、バカにされるのではとか、いろいろあります。

では、なぜ小さい頃からこのように捉えてしまうのでしょうか。彼ら彼女らの更に幼い頃にその原因があるように思います。
それを少し見ていきましょう。

自己信頼感とは好きに活動する、チャレンジしてみる、達成する、認められる、誉められる。これらの連鎖から培われます。もちろん、認める、誉めるは周囲の大人の役割です。

では仮に親が子供の活動を制約したらどうなるでしょう。例えば何かを子供がしようとするたびに神経質に「危ないからダメ」を連発するとしたら。
子供はこの世は危ないものと神経質になったり、親が何かをしようとするたびに邪魔をするので動くこと、活動することを諦めかつ、何も好きにさせてもらえないと無力感を持ってしまうかもしれません。また、動くことは運動神経を培い筋肉を発達させます。動かなくなると虚弱な体質の子供になってしまうでしょう。

そして、動くことがチャレンジ心につながります。チャレンジすることから達成感、充足感を得ます。したがって親が子供の活動を何らかの理由で制約してしまいますと、この達成感を感じることが出来ず、そこからくる自信の獲得も出来なくなってしまうのです。すなわち自己信頼感が培えないのです。

更に、子供が動きチャレンジして何かを達成した後、もしくは失敗したとしても親の適切にフォロ−が必要です。

まず、親が子供が何か達成しても誉めず「そんなこと誰でも出来る」「もっと難しいことにチャレンジしろ」とか言われると子供は、自分の達成したことに価値を置くことが出来ず、何をしていいの分からなくなり混乱します。そうすると、親の意に沿うことが一番と考えてしまい常に親に集中してしまいます。しかし、これは親の規範や価値に合わせることにつながり自分の人生を生きていることにはなりません。

アダルトチルドレンの方と話しをしていると、一生懸命に努力をして成果も出されているのに、結果を過少評価される方が多々おられます。
これは、親に認めてもらえなかった経験から自分の達成したことを認めにくい傾向、まだまだ努力しなくてはという親から植え付けられた呪縛のようなものがあると思います。
また、親の価値に合わせて今まで生きてきたとしたら、その延長をまだ生きているかもしれません。
すると、今自分のしていることは自分の本当にしたいことではなく、やらされている感覚から、努力して達成したことも他人ごとのように捉え実感しにくいのかもしれません。

次にチャレンジして失敗。その後そのことを親から罵倒、批判され続けられるとどうなるでしょうか。
子供は自分が失敗した時、それについて恥の感覚や落ち込みを感じます。それに対して追い討ちをかけるように親が罵声を浴びせたらどうなるか。
アダルトチルドレンの方のなかには途方もない無力感を感じておられる方も多々おられます。何をしても自分はダメな人間とレッテルを貼ってしまうのです。

親に何をやっても誉めて貰えない。また親の期待に合わせて生き続ける。これでは自分の人生を生きておらず自己信頼感を獲得出来ません。また、失敗したら親に罵倒され無力感を感じてしまう。これも当然自信を得ることは出来ません。

親の誉めること、失敗をフォロ−してあげることは子供の自己信頼感獲得に大切であり、自分を信頼して生きることはアダルトチルドレンの問題を解く鍵でもあるのです。

アダルトチルドレンの問題の回復・克服のためには、自分で自分の人生を生きている肯定感が必要なのです。