親の育児態度とアダルトチルドレン-2

前回は親の育児態度、過干渉、過保護、暴力がアダルトチルドレンの問題とどう関わっているのか見てきました。

今回は、寄りかかりを中心に「保護と拒否」についても考えたいと思います。

4 寄りかかり

親が子供に寄りかかる。一体これは何を意味しているのでしょう。実際そんなことはあり得るのでしょうか。

アダルトチルドレンの方のカウンセリングをしていて寄りかかりの問題を聞きますと、具体的には親のグチを聞く、親の悩みや、片親の悪口、他者の批判等、そんなことは夫婦で話せばいいことを子供に話しかけ訴えてきています。

疎遠な夫婦関係、コミュニケ−ション力の欠如より、子供に片親の代役をさせるのです。
こんな役割を小さい時より子供にさせると、子供はどうなるでしょうか。
親のためと一生懸命になり、自分がこの親を支えないという気持ちになるでしょう。これは、子供らしさの喪失を意味します。

また、片親が病気等の場合看護をしている親(父・母)が、その不安を子供に洩らします。勿論、不安な気持ちは分かるのですが、その不安な気持ちを子供に言うことは妥当なものでしょうか。不安な親に寄りかかられた子供は、頑張らなければと思ったり、その不安な気持ちに呑み込まれてしまうのかもしれません。

親自身の人間として未熟な頼りなさを子供に押し付けると、子供は親のパ−トナ−のようになってしまい、小さいながらも親を支えようとする傾向があるのです。
しかし、これもいつまでも出来るものではありません。子供は子供の生活、自分というものがあり、親が常に遠慮もなく寄りかかってくると、呑み込まれてしまうような息苦しさ、また、親が寄りかかりにくるのではという不安感から安心感が持てず、ビクビクしたり、神経質になったり、自己信頼感の獲得にも失敗するでしょう。

また、これとは逆に親にパ−トナ−の役割をさせられたために、子供の頃からしっかりした責任感のある性格になるかもしれません。この場合でしたら、自己信頼感は獲得して自信もあるように思えるのですが。
さて、本当にそうであるかは検証しなくてはなりません。

再三書いていますが、私は自己信頼感は親に愛され、誉められ、認められことにより獲得出来るものと思っています。したがって親のパートナ−の役割を演じることよりは獲得出来ないのではと思っているのです。
親のパートナ−を演じることにより、表面的な強さはその役割上得るでしょう。しかし、強さという性格の鎧をまとったとしても、その内面はもろいものではないでしょうか。本当は好きに遊んだり、甘えたりしたかったけど、それが出来なかったのですら。

親に寄りかかられパ−トナ−の役割を演じるということは、親に子供として充分に愛されていないことを意味するのです。

では、最後に親の育児態度「保護と拒否」についてです。

保護。これは理想的な親子関係です。愛、誉める、認める。アダルトチルドレンの問題とは無縁な親の育児態度と思います。

次に拒否。存在を拒否されるほど辛く悲しいものはないと思います。拒否とは存在の否定なのです。
今まで自己信頼感と親の育児態度を主に書いてましたが、生まれた時から赤ちゃんが親に拒否とれたとしたらどうなるのでしょうか。生まれてこなかった方がよかった。自分に価値はないと赤ちゃんながらそのように感じてしまうでしょう。
これを基本的不信と呼びます。自分に対して、周りに対して不信感を持ってしまうのです。
そして、自分は愛されるに値しないものと捉えてしまうのです。

また、この拒否を少し拡大解釈してみましょう。子供が好きにすること、動くこと、話すこと、これに対して親が何らかの制約を加えることも拒否と考えてもいいかもしれません。
そうすると、過干渉、過保護、暴力、寄りかかりの育児態度は直接的にせよ、間接的にせよ、拒否的な育児態度を含んでいるのかもしれません。

さて、ここまで2回にわたって、アダルトチルドレンと親の育児態度について書いてきましたが、この育児態度だから必ずこうなるというものでもなく、また、ある育児第度のミックス型、例えば過干渉と過保護、過保護と寄りかかり等様々考えられます。

1つの可能性として、私の経験上アダルトチルドレンの問題と関連して確率が高いと思われる育児態度を書いてみました。