愛と責任を果たすことは 違うということ

おじいちゃん、おばあちゃんが「孫はかわいい」「本当に可愛いい」とよく言われますよね。
「ただ可愛がっていればいいから。楽だ」とも言われます。

この発言より、孫は可愛がっていればよいだけですが、自分の子供に対しては、可愛がっていただけでは不十分であったという事実が読み取れます。
不十分ということは、可愛がる以外にプラス何かが必要であったということです。

そのプラスとは何でしょうか。
それは「責任」です。
「子供を育てるという責任」なのです。

おじいちゃん、おばあちゃんの孫に対する接し方は、可愛いくてしかたがないのですから、これは無条件の愛でしょうか。
その存在が愛おしくてたまらないのですから、無条件の愛と言ってもいいと思います。

しかし、おじいちゃん、おばあちゃんも、自分の子育てについては、子供を育てるという責任を果たさなければならず、責任を果たすための教育やしつけ等から、子供に対しては条件づけの愛になってしまうことも多々あったのではないでしょうか。

この責任は、子供を一流の大学に入れなければならない、一流の企業に入らなければならない、女の子は控えめでなければ結婚出来ない等、様々な親の価値観や考え方にもとづいています。

すなわち親は親の価値観にもとづく理想的な大人になるよう、子供を育てていくのです。
これが親の子育てにおける果たす責任なのです。
したがって子供に対して自分の理想の枠にはめて育てようとする気持ちが強ければ強すぎるほど、親の理想を満たした時だけほめる条件づけの愛情表現となったり、理想を満たせない時は罵倒して奮気を促す等、いきすぎた教育及びしつけとなってしまうのです。

この苛烈な子育てには、自分の抱く理想の大人になって欲しいという親の過剰な責任感における焦りがあるのです。

しかしこれはあくまでも親の理想であって子供の意思ではないのです。
どのような人間になるのか、どのように大人に成長するかの主体は、その人生を生きる子供に選択権があり責任があるのです。

親が子供に対して親の望む理想の大人像、人間像の枠で子育てをすることは間違ってはいません。
教育やしつけの観点から考えても、白紙の子供には教えて指導しなければならないからです。
しかし、子供がある一定年齢に達した時や子供が自分の意思を表明した時に、子供の意思や考えを尊重出来るかどうかが重要なのです。
例えば親が子供に野球を習わせていても、子供が書道を習いたいと言った時、子供の意思や思いを聞き、子供に対する親の価値観を放棄出来るかどうかが、その後の子供の人生や性格に大きく影響するのです。

親が子供の意思を尊重して、親の理想や価値観から外れることを許した場合、子供は自分の好きなことにチャレンジが出来、達成感や成功感を味わうことが出来るかもしれません。
しかし親が子供の意思を無視して、自分の価値観を押し付け続けた場合は、子供は自分の意思を放棄して親に従わざるを得ません。
すると子供は抑圧的でチャレンジ精神のない大人に成長するかもしれないのです。

親には子供を育てる責任があります。
これは事実です。
そして白紙で生まれてくる子供に対して様々なことを指導、教育しなければなりません。
したがって、どこまで指導、教育するかです。

行き過ぎた指導、教育は調教になってしまうかましれません。

責任ある子育ての観点からすると、親には我が子を一人前の大人にしなければならないというプレッシャーは当然あると思います。
しかし、一人前の大人とは、親の価値観に基づく人間ではないことを認識しなければならないのです。
この責任を果たすプレッシーより、子供を親の価値を満たした時だけほめたり、満たさない時は罵倒や無視をし続けると、子供はのびのびとした子供時を過ごすことが出来ず、その結果常に委縮して、自己信頼感を培うことが出来ず、それゆえ人間関係を築くことが困難になったりと、親の価値観の枠にはめようすればするほど、親の価値観の枠にはまるほど、子供の生きる力は失われてしまうのです。

自己喪失です。

したがって子育てにおける責任を果たすということと、子供を愛することは違うのです。

愛の定義は難しい。

でも1つ言えること。

それは、その人を尊重しているかどうかです。

子供を尊重しているかどうかです。

子供の意思を尊重しているかどうかです。

子育てにおける愛には、子供の意思を尊重するということが重要だと思います。
(あらゆる人間関係でも重要ですが)。
人を思う気持ちや、道徳、社会の規範を教えることは子供が1人の人間として生きていくうえでは知っておくべきであり大変重要なことです。
親が子育てにおいて果たすべき最小限の責任とはこのようなことではないでしょうか。

でも、それ以外は自由です。
何をするか、どう生きるか、進路、将来の夢や仕事等については子供が成長するにつれ自分で考え、自分で決定するものだと思います。

そして子育てにおいて大切なことは、親と子の円滑なコミュニケーションです。
すなわち子供が自由に親に相談出来る場や雰囲気があるかどうかです。
親の子育てにおける責任とは、子供の気持ちや意思を聴き、子供の意思を尊重し、人生の先輩としての良識あるアドバイスをしてあげることではないでしょうか。

あとは子供が自分で決めることです。

また応援や援助については出来ることはしてあげ、出来ないものは出来ないと、きっぱり言えばいいと思います。
その後のことは子供が自分で考えて決めるでしょう。
そして、いつでも自分の帰ってくる居場所があるということを教えてあげれば、子供は結果に憶することなく、自分で決めたことにチャレンジするのではないでしょうか。

親の価値観からはずれ、チャレンジするのは自由であるが、失敗してもあなたの帰ってくるところはありませんと宣言してしまうと、子供は失敗を恐れ委縮してチャレンジ出来ないかもしれません。

(もちろん成長した子供が自分で勝手に決めて、失敗した後の居場所まで何で用意しなければならないのだという親の意見もあると思います。
それはそれでいいのですが、そこには親の自分の価値観に従わない子供に対して復讐の意図があることを認識しているかどうかが大切です。また、この気持ちを親が持っていますと、チャレンジして結果を出せなかった子供は帰る場所がなく、ここから親を恨む気持ちが生じることもあります。親子断絶を望まれるのならそうしてください)。

長々と書いてきました。
子供を愛する気持ちと、子育てにおけるに責任を果たすことは別です。
責任を果たそうとする気持ちが強すぎ、親の価値観を子供に押し続けますと、子供は自由を奪われ親に支配されたという気持ちを抱き成長します。
そして、成人した後、「親にしっかりと愛されなかった」「尊重してもらえなかった」と訴えることになります。

親にそのつもりはなくても、子供はこのように受け取ってしまうのです。

ポイントは、子供が親の価値観に基づく期待を満たせなくても、その存在を尊重してあげることが出来るかどうか、結果を出せなくても頑張った子供を認めほめてあげることが出来るかどうか。
そして、子供が自分の意思を表明した時、向き合ってあげることが出来るかどうかではないでしょうか。

ほめること、向き合うこと、理解してあげること、認めてあげること。