嫌々習い事を習うと自己抑圧的になる

Index
1.なぜ嫌々習い事をさせると自己抑圧的になるのか
2.私の親からの強制的な習い事と自己抑圧

1.なぜ嫌々習い事をさせると自己抑圧的になるのか

子供に対して、親の威光で一方的に習い事をさせますと、その子供は、自己抑圧的な青年、大人へと成長する可能性があります。

これは、そもそも、子供にとっては、その習い事をしたくないのに、親が強制的に習わすからです。

子供にとっては、強制的に習わされるとは

自分の「嫌」という、気持ち、叫びを無視して、習い事を続けることになり、常に自分の感情を抑えた人間になってしまいます。

ある種の感情(嫌)を、封印しますと、他の感情、喜び、悲しみ、怒りも、表現出来にくく、なっしまうのです。

また、親に対して「嫌」と言えないことは、「どうせ言っても無駄」という意識を強く持ってしまい、何事に対しても自己主張を抑えてします。

「どうせ言っても誰も理解してくれない」。
このように思い込んでしまうかもしれません。

そして、親以外の他者にも、自己主張を抑えてしまう傾向が高くなり、この意味でも、自己抑圧的になってしまいます。

さらに、親から習わされていることが多く、そのうえ、何ひとつ上達、達成出来ないとなると、無力感を自分の芯にもってしまいます。

今後の積極性、チャレンジ心は、削がれてしまうでしょう。

強制的に習い事をさせられ、嫌と主張しても分かってもらえず、習い事の結果は散々なもの。

これでは、誰でも慢性的な無力感を抱いてしまうのではないでしょうか。

そして、無力感より、さらに自己抑圧は増幅させられてしまうのです。

自己抑圧、無力感。

2.私の親からの強制的な習い事と自己抑圧

私は子供時は、ピアノ(レッスンと学校)、そろばん、習字、水泳、塾と、多々、習い事をさせられましたが、何ひとつ身につくことはなく、自己抑圧的、無力感をに満ちた、青年へと成長しました。

親が子供に期待をして、子供に習い事を習わすことは、親の期待の高さの現れであり、可能性を開くためのチャンスを与えていると思いますが

子供がそのことを、どのように受け取っているのかは、理解しようとしません。
一方的に、親の期待より、習い事を押し付けるだけなのです。

また、ピアノについては、父の希望で習っていましたが、私自身、ピアノに対しては、何の楽しみも見出せませんでした。

ただ、父の希望を叶えなければ、父は悲しむと思い込み。
自分の感情を抑えて、鍵盤をひき続けたのです。

子供とは親のために、自分を犠牲にして、習い事を嫌々習うこともあるのです。
これは、子供の優しさです。

「楽しんでいるのか」。
「嫌々習っているのか」。

親からの、この声掛けは大切です。

大切なことは、親子の良好なコミュニケーションと意思疎通。

子供の話しを聞く、理解しようとする心を持つ、ということではないでしょうか。

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