自分に興味がないと 人に興味がない

私は会社入社時まで、他者に興味がありませんでした。
他者が何をしようが、どう思っていようが、興味がなく、私には何も関係ないと思っていました。
とくに大学時、この傾向は強かった。

そして、他者に興味がないと同時に、自分にも興味はありませんでした。

大学では誰とも話さず、髪はボサボサ、鏡を見ることもなく(自己嫌悪?)、服は高校時のカッターシャツを来て登校、人からの視線はまったく気にせず、1人を満喫していました。

ではなぜ私が自分に興味がなく、他者にも興味がない青年になってしまったのでしょうか。

ここには親子関係の問題が存在します。

親より理解されなかった私は、無意識的でしょうが、自分は価値のない人間と思い込み、好きな事もさせてもらえず、押し付けばかりの習い事をさせられ、人生や自分に興味を失い、自己抑圧。
また、親との会話のなさから他の子供たちと会話をするスキルも学べず、人間関係を築く方法も分からず、結局、社会不適応者として、1人でいる方が楽だったのです。

自分には価値がないという思い込みを抱き、他者に対してもどうでもいい、関係ないと思ってしまったようです。
まして、私は親から自分を守るために「近寄るな」という防衛法を取ったため、他者に対しても「近寄るな」という雰囲気をまき散らしていました。

自分から人を避け、他者も私を避け、結局は1人。
1人で結構。

しかし、こんな私でも不思議な行動を取ったことがあります。
それは、大学時、社会人テニスサークルに入ったことです。
もちろん、私の性格では2ヵ月も、持ちませんでしたが・・・。

親の影響より自分に興味がなく、他者に興味もない青年になったと書きましたが、なぜか、子供時より、私は人が好きなところがあるのです。
私固有のこの気質は、親からの抑圧により、芽が出なかったのかもしれません。

そして、今の自分も1人が好きですが、人嫌いではありません。

さて、大切なことですが。

人間関係を築くには、他者に興味を持つ必要があります。
興味がないと会話が続かないでしょう。
会話が続かないと、相手を理解することが出来ません。

そして、同時に自分にも興味を持つこと。
自分の好きなこと、興味あることを遠慮なくすること。
自己の存在を認めること。

何かが出来る自分を認めるのではなく、その、存在を認めるのです。
人間関係において、他者も特別何かに優れた人は少なく、それでも、日々活動を行い、生きています。
その生きる姿を認めるのであれば、自分の生きる姿を認めてあげても良いのではないでしょうか。

人間関係を築くため、自分に厳しくしないことは大切です。