異常の正常化

私たちの日常には、属する様々な社会、集団があります。
学校、会社、入院中の病院、サークル等、人は様々な事情、状況、強制により、その集団に属することになります。

そして、その集団社会によっては、今まで私たちが異常と思っていた思考、行動が正常と化している場もあります。

例えば、学校におけるいじめ。
異常なことだと思いますが、いじめが常に行われているクラスでは、いじめの日常化がすすみ、いじめが正常(ふつう)となってるように感じる時もあります。
(おそらくは、多くの生徒はいじめに対して、違和感を感じているのでしょうが、何も打つ手はないのでしょうか・・・)。

(またいじめについては、ごく少数がいじめを行う場合と、クラスのほぼ全員がいじめに参加する場合もあるようであり、後者について、おそろしいことですが、いじめが正常化となっているのではないでしょうか)。

本来、異常なことなのですが、それが日々行われ、蔓延すると、抗しがたい無力感、また感覚、感性の麻痺により、それが日常となり、正常化していくことがあります。

ある人達が、SNS、ブログ等で、他者批判を繰り返し、その数が多くなると、1つの集団と化し、ある意見、特定の人を批判することが正常化しています。
そして、共に叩き合うことに喜びすら感じる。

でも、本来、人は皆、自分の意見を自由に発信する権利を持っており、その意見を、こういう意見もあるんだなぁと、受容することもなく、もしくは無視でもいいのですが、気にいらないから批判する。
私には共感出来ませんが、今では、この風潮は正常となっています。
(もちろん、発信者側の文章が人を不快にするということもあるかもしれませんが、私は不快と感じた文章は読まないことにしています)。

人が人を認めず、自分と違うとすぐ批判、異質性を排除することは、人なればこその所業かもしれませんが、これらの行為は子供たちも見ており、やがて模倣するでしょう。
今の子供たちは、私の年代とはITがまったく違い、生まれた時から、スマホやネットの環境があるのです。
そして、そこにあるITに興味を持って、使い、その世界に没入する。
ITに興味を示すことは正常なのですが、その広がっている世界に異常があったとしたら・・・。

別の例ですが、崇高な理念を抱く若い青年政治家が、20年後、自己の権利を振りかざす、権力しがみつき症候群になったり、さらには汚職に向かったり。
このようなこともあるでしょう。

いかに崇高な理想を抱いても、属する集団によっては、その理想じたいはどうでもよく、先には己の利権優先の世界が広がり、自己の出世意識しかない世界では、青年の崇高な理想は異質なものとなり、その集団とは馴染まなくなってしまうこともあるでしょう。

この時の選択肢は4つ。

・その集団にとどまり、異常を受け入れ、これが正常であると認識を変える。
⇒異常の正常化です。
・その集団の中で、自己の正しき崇高な理想を貫こうとする。
⇒異質性により排除される可能性大。
・その集団を離れ、自己の理想を中心とした集団を立ち上げ、理想の現実化に向かう。
⇒SNS発信力等により可能と考えます。
・理想は幻想と悟り、幻滅。理想を封印する。

属する社会、集団においては、異常の正常化が、あちらこちらで起きていると思います。

私たち1人1人が、人として、いかなる意識で社会に在るか。

少なくとも、日々の生活において異常と考えることを、正常とする人々といかに向き合うか。
1人、1人の良識が問われます。

そして、私たちは決して1人では行わない行為でも、それが集団となると、集団に属する無責任性、過大症候群より、1人では通常行わない行為でも、行ってしまう。

人には、そういう弱さもあるのだと思います。

だからこそ、自分とは何か、行動を振り返り、反省すべきところは反省。
良かったことは良しとして、継続すること。

1人1人の「生き方と在り方」が社会に影響をして、社会をつくるのだと考えます。