当たり前は当たり前ではない

私たちの多くの人は日々、無事に過ごしていることが当たり前のようになっています。
(違う方もおられるかもしれませんが)。

でも、私たちが日々を無事に過ごすため、生きるために、私たちはどのような努力をはらっているでしょうか。

私たちが無事に過ごすため、当たり前を当たり前の生活と受け取るためには何が必要でしょうか。
「お金」です。
お金を稼ぐために、私たちはどれだけの努力を日々行っているでしょうか。
様々なことを堪え、長時間働き、やっと、お金を手にすることが出来るのではないでしょうか。

また、子育てについてはどうでしょうか?
子育ても立派な仕事です。
日々、子供が平穏、無事に過ごすために、親はどれだけのことをしてくれているでしょうか。

このように、家庭1つを例にとっても、当たり前は当たり前ではなく、それだけの努力の結果ではないでしょうか。

自分の努力を認め、自分をほめ、自分を過小評価しないことが大切です。

さて、社会に目を向けてみましょう。
私たちは、私たちを取り巻く社会の動きを、当たり前と見て、判断してはいないでしょうか。
もちろん、その判断が間違っているわけでもなく、社会とは、当たり前のように動いています。

例えば、電車が時刻通り来る、宅配の荷物が時間内に届く。
すべて当たり前。
逆に時間通りでないと、クレームの対象となります。

何もかも、消費者(客)である、私たちの要望通り、当たり前のように動いているのです。

しかし、よくよく考えてみると、その当たり前を動かしている背後には、人々の存在があります。
その人達の努力と勤勉さ抜きに、社会の当たり前を論じることなど出来ません。

そして、皆、私たち個々人と同じ労働者であることが多いのです。
私たちと同じ立場であることが多いのです。

同じ立場の人間同士。
ともに、精一杯生きているもの同士。

私たちはそのことを忘れていませんか。

自己の権利を振りかざすことばかりに目がいっていませんか?

当たり前の社会と、当たり前を動かしている人達に、感謝の気持ちを持ちましょう。

当たり前は、当たり前ではないのです。
誰かの努力があって、当たり前になり、当たり前を維持出来るのです。