母との最期

さて、前日預かった洗い物を洗濯。
台風通過前に持って行くことにした。

何時に病院に行こうか。

この日は14時に、大阪市内で人と会う予定。
洗濯物を持って会うのも、何かと理由を聞かれるだろう。
それも、気が進まない。

その人と会う前に、洗濯物を母に届けようと思った。
時間は病院の昼食前。
落ち着いている時間帯にしよう。

11時30分頃かな。

私は10時49分発の電車に乗り、病院には、11時20分ぐらいに着いたと思います。
まずは、洗濯物を渡さなければと思い、母の病室に行ったが、母はベッドごといない。

今日からリハビリ、ベッドごとリハビリに行っているのであろうと思い、洗濯物を病室に置き、帰ろうとした。

ん。
そんなバカなわけないだろう。
(一瞬パニックになり、正気を取り戻した)。

母の身に何かあったに違いない。
嫌な予感。

2階の病室のセンターに行き、母のことを尋ねる。
どうもバタバタしている。

すぐにお呼びしますのでと言われたので、1階のロビーで待っていると伝えて、階下に降りた。

5分後、携帯に、「お母様が危篤です。すぐ、病院に来て下さい」と、院内の他部署より連絡が入る。
⇒いえ、すでに来てますけど。

私はロビーに居ることを伝え、緊急治療室に案内された。
治療室の入り口では、数人の関係者であろう、何か話しをしている。

私の姿を見ると、皆黙ってしまった。
緊張がいっきに高まる。

母は人口呼吸器をつけられて横たわっていた。
「あと、何日持つのか」聞いた。

「あと、数時間です」。

立っていることが出来なくなった。
椅子を用意してもらった。
その後、いろいろと連絡をしないといけないので、気を落ち着かせ、ロビーに降りて、連絡をした。

そして再度、集中治療室に呼ばれた。
「すでに心臓は止まっています。機械で強制的に動かしています。これ以上はお体を傷つけるだけです。止めていいですか?」
判断を求められた。

了承するしかない。

私が病院に着いて、1時間20分ほどですべてが終わった。

最後を私が看取るとは。
気が合わない、話さない、難しい関係の親子だったのに。

これが、私と母の運命か、宿命か。

母との50年は終わった。

でも、私が母の最期を看取ったことについては、母に呼ばれたようにも感じています。

前日に洗濯物を渡されたこと、台風の情報、当日たまたま大阪で昼から人と会う予定。
したがって、午前中、昼食前に病院に行こうと思ったこと。

母の持病が悪化をして倒れたのは、11時頃と聞いています。
ちょうど、私が電車に乗って、病院に向かっている途中のことです。

そう言えば、昨日、母が光っている姿を見たけど、これも、意味があるのかな?

最後は「違うわ」ではなく、もう少し、良い言葉をかけて帰れば良かった。
時間は戻らない。

母との楽しい思い出は何もない、記憶されていないけど、終わってしまった。