私は幼少期(6歳頃)から強迫性障害に苦しみ、治癒するのに30年かかりました。 しかし、今、心理カウンセラ−として、この経験も大いに意味があったのだと思っています。 また、この強迫性障害を乗り越えたという事実は私にとっては、力でもあり、誇りでもあります。
私と強迫性障害
ここに私と強迫性障害との記録について書きたいと思います。
生まれる前
まず私が母の胎内にいた頃の家庭環境についてですが、当時は父方の家に両親とも同居しており、家族構成は、祖母、父、母の3人でした。この祖母と母の相性は大変悪く、母は祖母にいじめられていたということです。したがって、妊娠中の母の心理状態はあまりいいものではなかったと思います。子供は生まれる前から、周りの状況を感じたり、また、胎内においても、母親と結びついていますので、いろいろなマイナス要素、不安等、私は胎内にて、すでに自分のものとして母から受け取っていたように思います。
また、遺伝の観点から母の性格について書きますと、母の母(祖母)は、何をしても母を誉めることはなかったと聞いています。子供は親から誉められて認められて、自分の価値を認識して成長するものです。 したがって、認められないということは、認めてもらおうと「これでもか」と完璧なまでに努力をします。強迫性人格の出来上がりです。 また、認めてもらえないということは、自分はOK、自分は出来るという、自己信頼感を得られないということですから、自分に対して否定的、かつ、漫然とした不安感を持っていることになります。自己不全感。 漠然とした不安感と、何をしてもまだまだという強迫性。まさに、母は強迫性障害の息子を持つに必要な、遺伝的要因を持っていたのです。
したがって、私は生まれる以前より、家庭環境と遺伝の面から強迫性障害になるべくしてなった。そう思っています。
幼少期(3歳頃まで)
はっきりした記憶はありません。したがってほとんど想像で書きます。 私と両親と祖母は、私が3歳位まで同居しておりました。あいかわらず、祖母は母にきつく当たっていたようです。 母は何かあると私を乳母車に乗せて実家に帰ったそうです。(実家はとても近い距離です) ここで分かることは、母は祖母と暮らして楽しくなかった。また、笑顔もなく、どちらかといえば泣いていた。 このように理解しています。しかし、赤ちゃんや子供は周りの状況を理解する力がなく、何でも自分と関連づけてしまいます。
母が笑顔がなく、泣いているのは自分が悪いんだ。自分は生きるに値しない悪い子と、自分を責める感覚を持ってしまいます。 強迫性障害の性格特徴の1つ、私の内罰的な要素はここからきているかもしれません。 また、常に母の涙?もしくはすすり泣く?等を聞いており、そういうところからも、世界に対して不安感を持ってしまったのかもしれません。 (子供にとってまずは、母親とその環境がすべての世界です)
このように、私は生まれる以前、そして、性格を形成する初期段階において、漠然とした不安、愛されていない感覚、自己不信、内罰的。このような強迫性障害に必須の資質を受け継ぎ育んだのだと思います。
少年期(6歳)強迫性障害の発生
小学1年生の頃、強迫性障害は始まりました。 私ははっきりと当時の強迫行動と強迫観念の記憶を持っています。 当時、父親よりピアノを習わされており、父親はずっと横でピアノの練習を見ていました。 そして、私はピアノの練習が終わった後、「ドミソ」という音(Cコ−ド 和音)を何回も押さえ音を出していました。これが、強迫行動です。 どうして、そのようなことをしていたのでしょうか。説明します。 正直、私はピアノが嫌いでした。ピアノの練習っておもしろくないものですよ。教則本と 言って、曲になっていない、技術向上のための練習曲を弾くのですから、あんなつまらないものはありません。 したがって、6歳の私にとってピアノの練習は苦痛以外の何ものでもなかったのです
そのピアノを父親に無理やり習わされているわけですから、練習中は父に対して、いい思いを抱けず、「どっかへ行ってしまえ」等その存在を否定する考え(観念)が浮かんでいました。 しかし、実際に父親にどっかへ行ってもらっては困る(愛憎の間)わけで、その考え、観念を取り消さないと、現実に大変なことが起こってしまう。そういう不安に駆り立てられました。 この不安に対処するには、そのもととなる、考え(観念)を取り消すことをしなくてはなりません。 その取り消すための行動が、「ドミソ」の和音を押さえることだったのです。強迫行動。
なぜ、そうなるのかですが、ピアノの練習中、ピアノの鍵盤を押さえ音を出している時に父を否定する、 観念が出てくるわけですから、ピアノで最後に出す音は、父を肯定する観念で鍵盤を押さえないと、先の不安が現実になってしまうという理屈です。
父の存在否定の観念⇒将来に対する不安の発生。現実化への恐怖感。⇒強迫観念。 それを取り消すために、更には肯定的観念に置き換えるために「ドミソ」の音を出す⇒強迫行動⇒この循環が強迫性障害。
これが私が意識している最初の強迫行動とそのもとである、強迫観念及び強迫性障害です。
更に(〜28歳まで)
その後の28歳までの強迫性障害(強迫観念・強迫行動)について書きたいと思います。
- 確認恐怖:
- スト−ブの消化確認、何度でも石油スト−ブのつまみを回す。
ガスの元栓を何度でも確認。 - 縁起恐怖:
- 4という数字を嫌う。また、何か品物を買って家に帰る途中「誰かが亡くなって・・・」とか人の話し声が、ふと聞こえてくる、すると、その商品を使うと誰か(自分や家族等)に不幸が訪れると、不安駆られ、その商品が使えない。したがって、また、同じ商品を買ってしまう。 結果、同じ品物が部屋には何個もある。
- 想念恐怖:
- 嫌なこと、起こっては困ることが浮かぶと、その観念を払いのけるために、右手、左手と交互に息を吹きかけ、その観念を払拭する。なぜか分からないのですが、私の場合観念が手に宿ってしまうという考えを持ってしまったようです。
しかし、手を吹くという儀式化した強迫行動は一目につきやすく、実際指摘されたため、手を吹く強迫行動から手を洗う強迫行動へと変わりました。
洗浄汚染恐怖の人はどれだけ手を洗っても菌がついていると捉われ、手を洗い続けますが、私の場合は不安な観念を落とすために手を洗い続けたのでした。
しかし、この手洗いを続けることになったのは、これだけ洗っても観念が落ちないからということではありません。 洗い終わっても、またすぐに観念が浮かんでしまい、また、洗う。
この繰り返しです。
手を洗う⇒観念が流れ去る⇒観念が浮かぶ⇒手を洗う⇒観念が流れ去る⇒観念が浮かぶ。
この一連の循環はまさに、強迫性障害です。
この堂々巡りを永遠に繰り返すのです。
当然疲れます。
また、観念が物にしみこむという恐怖感も持っていました。
前述した想念恐怖もそうですが、CDのダビングのスタ−トボタンを押す際に、不安なことを考えると、次にこのダビング後のテ−プを聞いた時は不安が現実化になってしまう。 したがって、録音のやり直し。
まだまだ他にもたくさんの強迫性障害がありますが、ここまでにしておきましょう。
これだけ、いろいろな強迫性障害(強迫観念とそれに伴なう、強迫行動)があったのですが、社会生活にはそれほど支障をきたしませんでした。 正確には人に気付かれないように強迫行動を行っていたという方がいいかもしれません。 それから、凄まじい強迫観念との闘いは主に家でしておりました。 観念と闘っている時、強迫行動を気が狂っているようにしている時は、ストレスから疲れて家では何もする気はしませんでした。 本当に強迫性障害は精神的に疲れます。ですが、社会生活は何とかしていました。
と、言うより、私の社会生活の問題は強迫性障害以上に、対人不安、コミュニケ−ション力欠如、社会性欠如、自己信頼感欠如と、実際に社会で生活をするための能力が欠如していたことが一番の問題あり、強迫性障害は私個人の問題にすぎなかったのです。 したがって、私にとっては社会生活をスム−ズに送れない方が大問題であり、強迫性障害は問題としての優先順位が低かったように思います。(何とか強迫行動をしたらすむため)