心の悩み相談集

« 2007年03月 | 心の悩み相談集TOP | 2007年06月 »

2007年04月27日

対人不安

対人不安の原因は、自分が他者からどう思われているか気にすることから生じます。
よく思われたい、裏を返すと嫌われたくない気持ちが強すぎるのです。

誰でも嫌われるよりは好かれる方がいいに決まっています。しかし、対人不安の方は嫌われたくない気持ちが極端に強すぎるのです。
(嫌われたくない気持ちと書きましたが、好かれたい、バカにされたくない、変な奴と思われたくない、人を傷つけたくない等、人によって言葉は変わってきます)
なぜ、この気持ちが強すぎるかは生育歴、親子関係、学校でのいじめの問題等が原因としてあげられると思いますが。

では、対人不安の方はいかにその不安に対処されているのでしょうか。
嫌われたくないためにどのようにしているのでしょうか。
2つのパタ-ンを見たいと思います。

1 過剰適応
2 適応せず


1 過剰適応

人に嫌われたくないあまり、人に気を遣い過ぎます。具体的にはコミュニケ-ションの場で、周囲を盛り上げようとエネルギ-を注ぎます。実際に周囲からはよく話す人、面白い人と嫌われることはなく、良い評価を得ます。
しかし、当の本人からしてみると無理をして場を盛り上げようと、力を入れているわけですから、ストレスです。次は何を話さなければならないのか、どのような話しをすれば相手は喜ぶか、今目の前の人は嫌そうな顔をしたのはなぜか、嫌われたかなと、そのようなことばかりに気を遣い過ぎています。
自分が嫌われていないかばかり気にしており、本来のコミュニケ-ションの目的である、他者理解や共感は遠いものになってしまっています。
話すことじたいが緊張感を持ってしまいます。
そして、他者の視線や気持ちばかり推し量かり行動しているので、自分が自分でないような気持ちになってしまいます。他者といる間は他者にエネルギ-を費やし自己を喪失しているのです。

これは他者の視線を気にし過ぎ、嫌われたくないための過剰適応です。

しかし、この過剰適応が出来るということは、ひとつの光です。
それは、対人スキルが高いということなのです。

なかなかあまり知らない人相手にその人を退屈させないでおこうと、振る舞うことは難しいと思います。また、周囲をにぎやかにしようとする積極性、これもなかなか出来るものではありません。

対人スキルが高いので良好な人間関係は問題なく築けることでしょう。
あとはいかに他者からの視線や評価を気にせずにいられるか。

嫌われるとは本当は何を意味するのか。
全員に好かれることは可能なことなのか。


2 適応せず

他者の評価、どう思われているかを気にしすぎて、他者から悪く思われるのを避けるため、他者とのコミュニケ-ションを避けてしまいます。
したがって、学校、職場には通うけど、その中で人の輪の中に入れず、孤独感を感じています。

また、発言すべき時でも言いたいことを言えません。なぜ言えないかは、こんなことを言ったら周りはどう思うだろう、バカにされるのではないか等、周囲を気にし過ぎています。
しかし、結局は言うべき時に何も言わないので、周囲からは低い評価を得てしまうのです。

また、断られることに対しても敏感です。自分が否定されたと悲しみを感じてしまうので自分から人を誘うことが出来ません。

積極的な自己開示も出来ず、かつ、人の輪の中にも入りづらいので、人間関係が広がりません。
言わなければいけないと思いながらも、言えないので、高いストレスを抱えてしまいます。
言えない自分を責めてしまう傾向もあると思います。

そして周囲からは「おとなしい人」「いるかいないか分からない人」と結局は低い評価を得てしまいます。人の評価が気になってしかたがないのに、結局は望まない正反対の評価を得てしまうのです。

そして、人の視線、評価、嫌われたくなく思いから、人を避けることにより、他者との関わり、関係性からのみ学ぶことが出来る、対人スキルの獲得にも失敗してしまいます。

否定的評価を恐れ、人と関われず対人スキルが低いとなると、不適応から適応への道は少し時間がかかるかもしれません。

投稿者 stella : 12:38

2007年04月03日

不安の共有と連帯、その弊害

前回不安、不安感について人に話すことは、気持ちの共有や連帯が図れ、不安を抱えている人の気持ちが整理されたり、安心感を得たり、不安の軽減効果もあり楽になると書きました。
今回はその逆。不安の共有、連帯における弊害を書きたいと思います。
ここで言う弊害とは、人としての成長に対する弊害のことです。
では、不安の共有、連帯がなぜ人の成長に弊害をもたらすのか?
考えてみましょう。

弊害をもたらす気持ちの共有、連帯とは、人間関係における不安の回避を図ることを第一としていると思います。
詳しく書きますと、人間関係がうまく築けない人がいます。そして、このタイプの人は同じく人間関係を築くことが苦手な人と手を組むのです。類は類を呼ぶとでも言いましょうか。

何人かの人が集まっています。そこに、人間関係を築くことが苦手なAさんが入って来ました。彼は初対面の人と気楽に話すことが出来ず(話したくない)、でもひとりぼっちの疎外感やそこからくる不安を感じたくないと思っています。
彼はどのような行動をとるでしょうか。話したくはないが疎外感を避けたい。
考えられることは、自分と同じようなタイプを探してその人と一緒にいることです。
でも、これは友人になりたいからではなく、単にその場にひとりぼっちでいることが嫌なので、その事態を避けるために一緒にいるだけですから、人として相手から学ぼうとか、相手を尊重する姿勢もありません。

私も過去心理的ひきこもりでした。人間関係を築くことが苦手でした。学生時はクラスでも浮いた存在でした。
では、私がどのように学生時を過ごしたか。少し振り返ってみたいと思います。
クラスで気楽に話しが出来ない学生は少数派です。したがってその他大勢のクラスの人間は敵です。なぜ敵かというと自分とは異質な連中であり、自分と異なる者が大勢いるため、その結果自分は浮いてしまい、辛くなるという短絡的な自分勝手な発想です。
そして、その大勢の敵のなかで私はいかに振る舞ったのでしょうか。
それは、自分と同じタイプを見つけて一緒になることなのです。
さすがに1年間クラスでひとりぼっちを続けることは、慢性的な孤独と不安を感じます。自分と同じタイプと一緒にいることにより、孤独感、不安を和らげたのです。
でも、仲良くなりたいわけではなく、ひとりぼっちが嫌で一緒になったわけですから、1年間一緒にいたとしても、それほど関係性も深まらず、クラスが変わればサヨウナラでした。

大勢の敵に対決するために、一緒になったのですから。当然です。
敵がいなくなれば、敵が変われば一緒にいる必要もなくなるのです。
不安に対して一緒にいることにより、気持ちの共有と連帯を図りました。
この方法の継続からくる問題は何か。
それは人として成長しないことです。

人は様々な人を通して成長します。同じタイプの人間としか付き合わないということは、違うタイプと付き合うことが出来ず、違うタイプの持っている良いところを学習することも出来ません。
したがって対人関係スキルの向上が図れず、自己成長も難しいのです。

不安、孤立の感情から自分を守るために、人と一緒になることからは、学ぶことや体験も少なく、真の友人ともなりえないのです。

投稿者 stella : 09:16