心の悩み相談集
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2008年10月28日
『怒の炎』 怒りは身を滅ぼします 母との確執より
抑圧され続けた悲しみは、やがて怒りにかわり、その怒りは恨みや憎しみを伴います。
そして、その怒りのエネルギ-の対処方法によっては、その怒りのエネルギ-により、自らを破壊してしまうこともあるのです。
「怒の炎」に焼きつくされるのです。
久美さんは28歳、最近子育てを通して自分自身の抑圧していた深い悲しみに気付きました。
久美さんは3歳の娘を育児書を読みながら懸命に育てています。
育児書には「子供を無条件に認めること」「ほめて育てることが大切」と書いてありました。
しかし、久美さんは娘に対して怒ることは容易に出来ても、ほめることにぎこちなさを感じていたのです。
なぜだろうと自問自答しているうちに、自分が母親にほめられたことがないことを思い出しました。そして結婚するまでの人生は常に母の気持ちを優先して、母の期待に沿うことを第一としてきたことを思い出したのです。
子供時より母の好みの服のみを着て、母がピアノを習えと言えばレッスンが楽しくないにもかかわらず習いに行き、母の期待する通り勉強をして、母の言う通りの大学に進学して、母が好みそうな男性と結婚をしました。
久美さんは子育てを通して結婚するまでの人生、常に本当の自分の気持ちを抑え続け、母のために生きてきたことに気がついたのでした。
そして、もう1つ気づいたこと。
久美さんには妹がいるのですが妹は母に反発して、自分を優先して生きています。
「なぜ、自分だけ母の言いなりだったのか」「なぜ、自分だけ母のために我慢し続けなければならなかったのか」「自分とは何だったのか」と、自分の過去について悲しみを感じはじめ、そして自分を抑え続けて辛かった過去を振り返る都度、その悲しみは怒りへと変わっていき、その怒りは当然母へ向かったのです。
その後久美さんは母に対して自分の過去の気持ちを電話で強く伝えました。驚いた母は泣いて謝罪してくれたようです。
母の謝罪で久美さんの気持ちは一旦は落ち着きました。
そして、その1ヶ月後母から茨木県銘菓の饅頭が送られてきたのです。
この饅頭が久美さんと母との関係を決定的におかしくしたのでした。
饅頭のあんは白あんでした。これは母の好みです。しかし、久美さんは白あんが嫌いで、黒あんが好みなのでした。
久美さんは「また母は自分の好みを押し付け、私を無視した」と烈火の如く怒り、母に対して今までにない強い怒りを感じたのでした。
久美さんにとって以前の母の謝罪は口だけであり反省していない、結局母は何も分かっていない、自分の本当の気持ちを分かってくれていない、また押し付けられた、裏切られたと日々怒り続け、やがてその怒りに自己憐憫の気持ちが加わり、母を破壊したい恨みと憎しみの気持ちに変わっていったのです。しかし破壊することは出来ないので、その代わり母との絶縁を宣言したのでした。
その後、久美さんの性格は大きく変わったようです。
まず激しい怒りです。
母に対する怒りがその根源ですが母とは絶縁宣言をしており、母へ直接怒りをぶつけることは難しい状態です。
したがって、まずは一番の身内である夫に怒りの矛先が向いたのでした。
今まで夫に対して家事等要求したことはありませんが、家事の要求から始まり、食事の仕方、寝姿等こと細かく要求しだしました。
まさに、「全てが自分の思うようにならないと気に入らない」といった感じです。
しかし、夫にしてみれば久美さんが自分勝手な要求をしているにしか思えず、久美さんの要求をことごとく無視、当然夫婦仲も悪くなります。
また、久美さんの「全てが自分の思うようにならないと気に入らない」という姿勢は、子育てにも影響します。
夫との関係の悪化、母に対する怒りを抱えたイライラから、ちょっとしたことで何度か子供に手を上げそうになったそうです。
手を上げそうになる衝動を抑えるのも大変努力が必要であり、自分を制御するストレスも大変なものです。
また、本来母に向けるべき激しい怒りは近所の主婦仲間にも及びます。Aさんの笑い方、Bさんの自分に対するヘラヘラした態度等、今まで気にもならなかったあらゆることが、自分に対する敵意と感じられ、主婦仲間を攻撃・破壊したい衝動に捉われるのでした。
いかがでしょう。
久美さんの豹変振りをどのように思われますか。
子育てから自分が自分の人生を歩んでこれなかった悲しみの気持ちと、母に対して抑圧していた怒りの気持ちを感じ始めました。一旦は母の謝罪で円満に解決したようですが、饅頭の一件から母に対して裏切られた気持ちと今までの以上の怒りを感じたのです。
この饅頭の件については過剰反応と思いますが、心理的には母に対して我慢し続けてきた感情が、もう限界に達しており饅頭のあんの種類に反応したのでしょう。
もう、これ以上自分勝手な好みを押し付けるな、いい加減にしろという強い怒りの気持ちです。
そして、本来母に直接怒りをぶつけた方が良かったかもしれないのですが絶縁を宣言。
怒りを溜め込んでしまったのです。
その抱え込んだ激しい怒りは自分の中で処理出来ず、また過去を振り返るたびに自分が不当に扱われていたことを思い出し、自分に対する哀れみと、その原因である母に対して恨みと憎しみの気持が高まり、抱え込んでいる怒りはさらにパワ-アップしたのです。
そしてパワ-アップされ抱え込めない怒りは夫に向いたのです。
今までずっと我慢し続け抑圧された怒りは、全てを自分の思う通りにしたい、自分の気に入るようにしたいという要求へと変わり始めました。客観的に判断すると「自分勝手」な要求を夫にし始めたのです。
しかし、自分勝手な要求は当然受け入れてもらえません。
要求を受け入れてもらえない久美さんは次のように思います。
「誰も自分の気持ちを分かってくれない」。
この気持ちは母が自分を受け入れてくれなかった悲しみでもあり、夫が自分の気持ち要求を受け入れてくれない悲しみでもあるのです。
そして、そこから「自分は誰にも分かってもらえない」という被害者意識をつくり、近所の主婦が自分に敵意を持っていると思い込み始めたのです。被害者意識は相手を悪者に仕立て、自分が持っている怒りの気持ち、憎しみの気持ちを、相手が自分に対してその気持ちを持っていると勝手な思い込みをつくったのでした。
その後久美さんは動けなくなってしまいました。
医者は鬱病と診断したようです。
母のために人生を失った悲しみと怒り、母に対する恨みと憎しみ、夫に対して受け止めてもらえない怒り、すべてを自分の気に入るように出来ない怒り、子供に対して制御している怒り、主婦仲間に対して表出出来ない怒りの衝動、誰にも理解されない悲しみ、またそこからくる怒り。
久美さんは自分が抱え込んでいる激しい怒りにのみ込まれてしまったのです。
激しい怒りは身を滅ぼします。
久美さんの回復のために必要なことは、自分の辛かった子供時の気持ちを受け入れ、母に対する怒りを手放すことでしょう。
2008年10月01日
「~~するな」という思い込み 禁止令について
思い込みは私たちを縛ります。
思い込みを持っていますと、その思い込みに縛られることによって、行動の自由を奪われ、窮屈で辛い思いをする時が多々あります。
そして、この思い込みとはいかに生きるか、社会でいかに振る舞う等、人生に対する思い込みと言っても問題はありません。
思い込みは子供時、親が子供に接する態度、兄弟との関係、親の生き様、その家庭を生き抜くため、自分を守るため等により形成されます。
さて、思い込みと聞きますと「~~しなければならない」「~~せよ」「~~すべき」等、積極的なべき論を思い起こされる方は多いのではないでしょうか。
a 人には好かれなければならない。そのためには無理をしてでも人に合わさなければならない。
b 成功せよ。そのためには無理をしてでも勉強をしなければならない。
c 清潔にすべき。そのためには1時間かけて体を洗わなければならない。
この「~~あるべき」、べき論という思い込み(無意識的思考)が、私たちの行動を縛り、自由を奪い生き辛さをもたらせるのです。
この積極的な「~~しなければならない」というべき論については、このHPでも今まで何回か書いてきました。
しかし、今回は積極的に私たちを支配する「べき論」の思い込みではなく、「~するな」という禁止に基づく、思い込みについて書いていきたいと思います。
そして、この「~~するな」という禁止のことを交流分析(心理学理論の一派)では禁止令と名付けました。
さて、禁止令について書く前に、交流分析における人生脚本について書きたいと思います。
なぜなら、人生脚本と禁止令は密接に結びついているからです。
人生脚本というのは自分で幼少期に「人生を、このように生きよう」と決めたパタ-ンのことです。幼児が自分の心の中や周囲に起きていることを、自分なりに解釈をして、自分で自分の生き方を決める、幼児決断に基づく、「人生の計画」、生き方のことです。
そして、この幼児決断は年齢2、3歳から5、6歳までの間になされます。
そして、幼児決断の基になっているのが禁止令なのです。
禁止令とは自分に対して何かを禁止しています。
人生において「~~するな」ということを自分に禁じて、その禁止を遵守して人生を送るのです。
この禁止令も積極的なべき論の思い込みと同じく、親の子供に接する態度、兄弟姉妹との関係、親の生き様、その家庭を生き抜くため、自分を守るため等により形成されてきます。
では、様々な禁止令を見ていきたいと思います。
a 何々するな
親が子供が自由に振る舞うことを禁止(怒る、無視)してしまいますと、何も自由にさせてもらえないと子供は感じ、自発性のない覇気のない大人になってしまうかもしれません。また、過保護で何でもしてしまう親に育てられた子供も、何でも先回りして親がしてしまうので、何をしても否定されていると感じ、何もしないことを幼児決断してしまうかもしれません。
b 存在するな
「お前なんか産まなければ良かった」「消えてしまえ」等親より存在を否定され続けますと、大人になるにつれ、自殺願望が強かったり、強い自己否定感より社会生活、対人関係が築けず、ひきこもってしまうこともあります。
社会、家庭における居場所、安心して存在出来る場所がないのです。
c 成長するな
過保護の場合です。何でも先回りしてしてしまう親がいると子供は自発的に考え、体験することが出来ません。子供は何もせず親の言いなりになっている方が親も喜ぶので、成長しないでおこうと幼児決断をします。
また、「成長するな」と「何々するな」は似ています。
それは、成長するには様々な体験が必要であり、何々するなという禁止令を持っていますと、当然何も人生体験をせず、結果として成長しないことにつながるのです。
d 子供であるな
子供時より年齢相応以上の態度行動を求められた場合です。兄弟の面倒をみること、家事手伝い等を要求され、子供からのびのびする自由を奪ってしまいます。大人になっても能力以上にガチガチに頑張ってしまったり、自由なのびのびとした心を失ったままです。
子供であるなという禁止令ではありますが、常に相応以上に頑張らなければならない等のべき論でもあります。
e 男の子であるな、女の子であるな
親が望んだ性と違う性で生まれた子供に対して与えられます。男子には女の子の格好、女子には男の子の格好をさせたりと、また、親が自分の性とは逆の性行動をすると喜ぶので、大人になった時、自分の性を受け入れられなくなってしまうかもしれません。
f 正気であるな、健康であるな
子供が普通に健全に過ごしている時には親は構いませんが、病気等になった時は熱心に世話をします。
子供からすると病気の時だけ親から大切にされるので、健康でない方がメリットがあるとなってしまいます。疾病利得。
上記以外にも「成功するな」「所属するな」「重要であるな」「考えるな」「感じるな」等様々な禁止令があります。
禁止令の内容を見ていますと、自分が自分であることを放棄しているように感じます。
積極的なべき論は社会に対して過剰適応、自分に対して過剰な頑張りを行い、無理をして辛い思いをしますが、この禁止令「~~するな」「~~であるな」は自己存在の抹消につながるようにも感じるのです。
さて、「~するな」「~~であるな」という禁止令ですが、これは私たちが小さい頃の幼児決断に基づくものであり、その決断に基づき禁止令を受け入れ人生を歩んでいるのです。幼児の時にいかに生きるかの人生脚本を描いたのです。
でも、脚本は書き換えることが可能です。
禁止令が幼児の時の決断に基づいているものであれば、その決断に気づいた時、今の私たちはこれからいかに生きるか、禁止令を放棄して、新たに再決断することは可能なのです。
幼児の時とは違う決断を再度することにより、「~するな」ではなく「~してもOK」「~してみよう」と再決断を行い、新しい脚本のもと新たな人生を送ることが可能なのです。
参考文献
杉田 峰康 国谷 誠朗 共著
脚本分析 株式会社チ-ム医療 発刊
