自己存在のOK感覚 自信云々を超えて・・・

私たちは当たりまえことですが、生きています。
存在しています。

この自己の存在に、無条件にOKを出すことが出来るか、出来ないか、このことは、自信に強くかかわっています。
そして、誰でもが、無条件に自己の存在にOKを出してよい、OKでいいのです。
このことを、「自己存在に対するOKの感覚」と定義します。

前述(過去記事)してきた通り、自己信頼感は、その事が出来る拠り所であり、自己・他者との評価、成功体験とともに、培われます。

しかし、自己存在に対するOKの感覚は、何かが出来なくても、人として無条件に他者から認められる、受容されることから得られる感覚です。

そして、自己存在に対するOK感覚が強い程、何かにチャレンジして失敗しても、そのことでさほど落ち込むことも少なく、自己の尊厳をみずから落とすことはありません。
それは、自分は自分でOK。何かが出来なくても自分はOKの感覚を持っているからです。

では、この自己存在に対するOKの感覚は、成育歴において、どのように培われるのでしょうか。
これは幼児期、子供時、親、家庭等において、無条件に愛されたこと。
親の育児態度に偏りが少なかったこと。ほめてもらった数。
そして、成長とともに集団生活においても、他者と良好な関係を築け、受け入れてもらえたこと等より培っていきます。

自己存在のOKの感覚とは、他者からの受容により培われる、自己受容OKの感覚なのです。
したがって、子供時からいかに他者との関係を築いてきたか、この経験から培われるのです。

また、自己存在に対するOKの感覚は、成長しても築けます。

それは、良好な人間関係を築けばよいのです。
様々な人と交流を持つこと、コミュニティに参加すること、趣味の集まり、友達関係、これら他者との関係において、自分は何もしなくても認められている、存在そのものが受容されていると、その感覚が強まります。

仮に仕事や何かがうまく出来ず、自己信頼感が弱まり、自信が低下し、落ち込んだとしても、他者との関係性を通して、自己存在に対するOK感覚は維持され、また、うまくいかなかったこと、失敗したことも、他者との関係性を通して癒されます。

したがって、自信(何かが出来る拠り所からくる自己信頼感)が弱まったとしても、自己存在に対するOKの感覚は、他者との交流がある限り、困難な状況に直面しても、自分を維持することが出来るのです。

私は自信とは、「自己存在に対するOKの感覚+自己信頼感」と考えています。

何かがうまくいかず自己信頼感が弱まったとしても、自己存在に対するOKの感覚まで弱まるとは限らず、自己存在に対するOK感覚の強い方は、ダメージよりの回復力も強く、さらには、他者との交流より、「いろいろな人がいる」、「自分だけが困難に直面しているのではない」と思えたり(思考の幅が広く、自分を責めすぎない等)、また、助言、アドバイスも頂け、何よりも人として受け入れてもらえている感覚により、生きていくことが出来ると考えます。

そして、自己存在に対するOKの感覚のためには、自分が人として無条件に受け入れられる、「居場所」が必要なのです。
自分の居場所は自分で探さなければなりませんが、居場所が在る限り、人は生きていける。

冒頭に書きましたが、私たちは生きています。存在しています。
でも、年を重ねると出来ないことも多々生じてきます。
出来ていたことも、出来なくなることもあるでしょう。

それでも、他者との暖かいつながりがあれば、何かが出来なくても、自分は存在してOKの感覚は維持され、それが、生きること、そのものになるのではないでしょうか。

自信とは「自己存在に対するOK感覚+自己信頼感」であると、本記事、過去記事において定義しましたが。

しかし、最終的には、「自己存在に対するOKの感覚」が、すべてとなります。

何かが出来るから自分はOKではなく、自己信頼感があるのではなく、自己の存在そのものにOKを出す。
言葉を変えると自己受容。

そして、この感覚を強く待つと、自信があるとか、ないとか、このような議論とは無縁となります。

私は存在する。
それだけで良いとなるのです。

自己存在のOK感は、自己信頼感、自信をも包括するのでしょう。