心の悩み相談集
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2004年06月23日
返信メ−ルが返ってきました
メ−ルでの相談に対する返信を送ったところ宛先無しで返ってきました。なぜ?
これは、私に一ヶ月程前に起こった出来事です。
木曜日仕事から帰って来てメ−ルのチェックをしたところ、アダルト・チルドレンに対しての相談のメ−ルが入っていました。
自分はアダルトチルドレンで・・・(カウンセリングの依頼ではありません)
相手からの送信時間を確認したところ、木曜日の午前2時でした。
随分悩まれているんだなぁとは理解しましたが、この日と次の金曜日は忙しくメ−ルでの返信が出来ませんでした。
しかし、メ−ルのことが気になっていたので、メ−ルを頂いた翌々日の土曜日、午前7時に返信メ−ルを送信したところ宛先なしで返ってきました。
何回か送信を試みたのですが同じ結果です。
一体どうしてだろうとこの1ヶ月ほど私なりに気にしていました。
すぐに返事を出せば良かったのでしょうが、私としてはメ−ルでのカウンセリングは原則しておらず、どうしても他に用事がある時は返信は多少後回しになってしまうのです
でも、なぜメ−ルが宛先不明で返ってきたのかゆっくり考えてみました。(事実としては相談者がメ−ルを送信した際のアドレスを変更したということです)
- メ−ルを送信した自分に嫌悪感を感じた
夜中遅くに相談メ−ルを送信した自分に何らかの嫌悪感や恥の気持ちを持ってしまった。 この場合でしたら、自分のプライドを守るためにメ−ルを送信した事実を忘れようとするでしょう。 また、忘れようとしているのに返信メ−ルが届くと嫌な思いをするかもしれません。 受け取りたくはないのです。
したがってメ−ルを送信した事実を否認するためにも、返信メ−ルを受け取らないためにもメ−ルアドレスを変更されたのかもしれません。 - 返信のメ−ルがすぐに来なかったので悲しくなり、また・・・・・
メ−ルの相談内容は自分がアダルト・チルドレンであるという内容でしたので、アダルト・チルドレン共通の心理状態・見捨てられることへの不安は強いと思います。 したがって見捨てられることに対しては敏感であり、返信のメ−ルがすぐに届かなかったことは自分がカウンセラ−から見捨てられたと捉える可能性は大です。 そして、自分を見捨てるカウンセラ−を選んでメ−ルを送信した自分に怒りを感じて、仮に明日以降返信メ−ルが到着しても、自分を見捨てるカウンセラ−のメ−ルは見たくないという、見捨てられた悲しみから怒りを感じて、メ−ルアドレスを変更されたのかもしれません。 - 返信のメ−ルを見るのが恐かった
カウンセラ−からの返信メ−ルにお説教や非難のことが書いてあったらどうしよう、そんなメ−ルは見たくないと、返信メ−ルに恐怖を感じてメ−ルアドレスを変更した。
以上いろいろと考えてみましたが他に原因があるのかもしれません。
私が必要以上に気にしているのかもしれません。
いずれにせよ、何か自分の中でひっかかっていたので書かせて頂きました。
2004年06月10日
親と子が同じようなような行動をした時それは親のコピ−?
以前私(柴田)は自分の恋愛問題で30歳の頃、カウンセラ−に相談を受けたことがあります。 今回はその内容について書きたいと思います。
私の相談内容
付き合っている彼女がいるのですが、どうもうまくいっていません。
私は車での送り迎え等一生懸命(尽くす)なのに、彼女はそのことをどう感じているのか。
これだけしているのに、デ−トでは平気で遅れて来るし・・・彼女が私のことをどう思っているのかよく分かりません。
私が尽くすことを当たり前と思っているのでしょうか?
私が相談をしたカウンセラ−からの答え
カウンセラ−は私の子供時代の親子関係(父との関係)を聞かれました。
「父は私を溺愛しており、何かと頼みもしないのにちょこちょことしてくれました。でも、それは子供の自主性を潰すもので、私から見ると余計なことをしてという感じでした」
このことをカウンセラ−に話すと、私に対して
「父があなたにしたことと同じことを、あなたは彼女にしているのです。父のコピ−化した行動をあなたはしているのです」
と言われました。その後対決とか怒りとか言われたように思いますがよく覚えていません。
この時私は父と同じことを自分もしている。「頼みもしないのに相手のためと余計なことを自分はしている」何となくそうかなぁと、思いました。
でも、よく考えてみると違うのです。 確かに父も私も相手のためといろいろと尽くします。 ですから行動様式は同じです。しかし、行動が同じでもその心理背景はまったく別物であることに気が付きました。
父は溺愛と書きましたが、この言葉の意味するものはなんでしょう。
溺愛というのは、自分が誰かを愛して、その対象者にいろいろと自分が出来ることを喜んでいるのです。
したがって受けてがその行為をどう感じようが関係ないわけで、自分が何かをしてあげること、それが大切であり、愛の対象は他者のために一生懸命の
自分ということになります。自己愛に基づく他者への行為。
すなわち、人のために何か一生懸命している自分を自分が愛しているとなるわけです。
事実、父が私に何かした後の口癖は「これでいいでしょう」でありました。
この言葉は自分が自分に言っているのです。一人で勝手に納得しているのです。
私から見ると何がいいのかさっぱり分かりません。
また、溺愛は相手を直接的に支配をしているのも特徴の1つです。
相手が望むと望まざると、自分勝手に愛情の押し付けをして、相手に受け取らせているわけです。
これは相手の人格を無視していることにもつながることです。
次に私が彼女に対してしていたことですが、頼みもしないのに、車での送り迎え等、溺愛と同じように見えるかもしれませんが、心理背景は違います。
私の場合はいろいろとしてあげるから、その代わり自分の側を離れないでね、見捨てないでね、という心理状態でした。 要は自分が捨てられないため、いつも側にいてもらうためにいろいろと相手のためにしているわけです。 そして、その相手が時間に遅れたりすると、これだけしているのにと悲しみを感じ、その後怒りを感じていたのでした。 見捨てられる不安の強い人は相手が少しの遅刻でも、来ないのではと不安になり見捨てられたのではと感じてしまうのです。
以上、お分かりのように親と子が同じような行動をとったからといって、親のコピ−をしているとは限りません。
その心理背景はまったく別物であることもあるのです。
最後に私と当時の彼女との問題は過剰な私の見捨てられ不安が原因でした。
これは、私がカウンセラ−となった今分かることで当時は分かりませんでした。
自分が見捨てられないためにいろいろと相手にしてあげて、相手が待ち合わせに遅刻をしたと言って勝手に怒っているわけです。
遅刻といってもせいぜい15分ほどでした。
当時の私は不安からそれだけ余裕がなかったということです。