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   <title>心の悩み相談集</title>
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   <title>受容とアドバイス　夫婦のコミュニケーションギャップ</title>
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   <published>2009-05-01T12:47:35Z</published>
   <updated>2009-05-01T01:48:59Z</updated>
   
   <summary>男性と女性の会話のミスマッチに、女性の側からの訴えてとして男性が話しを聞いてくれ...</summary>
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      男性と女性の会話のミスマッチに、女性の側からの訴えてとして男性が話しを聞いてくれないということがよくあります。
しかし、訴えられた男性はその認識がまったくありません。
これはなぜでしょうか？

夫婦のカウンセリングをしていますと、この訴えと現象はよく起こります。
（若いカップルではあまりないようです）。

妻が夫に何か相談したい時は、その出来事とどう感じたかを夫に聞いてもらいたいことが往々にしてあります。
これは体験した出来事と感情を受容して欲しいのです。
相談ではありますが、まずは話しを聞いて欲しいのです。
しかし、夫は相談に対して「それならば、こうすれば」「それはこういうことだよ」と即アドバイスか解釈をする傾向があります。

話しを聞いてもらい感情を受容して欲しい妻と、即アドバイスをする夫。
これではコミュニケーシヨンが成立しないのは当然です。

妻の側は話しをじっくり聞いて欲しいのに、夫は即アドバイス・解釈をして話しを打ち切ろうとしているのですから。

ではなぜこのような現象が起きるのでしょうか。
妻は感情的、夫は論理的だからでしょうか。
妻の話したいことに対して、夫は問題解決の姿勢で臨み、問題解決を図ることで妻に対して優位性を示しているのでしょうか。

しかし、ここで不思議なのは夫婦も、若い時はカップルだったのです。
カップルの時にこのようなコミュニケーションギャップは起こっていたのでしょうか？
このギャップの問題はなぜ今表面化しているのでしょうか？

考えられることは次の３点です。

１　コミュニケーションギャップの問題はカップルの時よりあったが、女性が気づいていなかった。
２　男性の聞く態度が変わった。以前はきちんと話しを聞いていたが今はアドバイスと解釈のみ。
３　女性が話すことを控えていた。
考えられることはこの３点ですが、私は２と３が問題の本質ではないかと思います。

男性は結婚前は女性に嫌われたくないために、女性の様々な話しを真摯に受けとめ聞くのではないかと思います。
また、恋愛において恋人の様々な話しが聞けるのも、プラスの刺激があって楽しかったのかもしれません。

しかし、結婚してしばらくたつと、妻とは毎日顔を合わしており新鮮さも失せ、また日々の職場での疲労から、家で妻の話しをじっくり聞くことが大変なのかもしれません。
疲れていて自分の趣味に浸りたい、早く１人になりたい気持ちもあるのかもしれません。

また、女性の側から考えてみると独身時代は様々な話しを恋人ではなく、友達や家族に話すことも出来、あまりデート中には込入った話しをしなくても済んでいたのかもしれません。
しかし、女性は結婚をすると友達から離れ、家族から離れ、仕事を辞めることもあり、転居いることもあり、心を割って話せる人が周りからいなくなり、話せるのが夫だけになることもあるかもしれません。

様々な事情があるのでしょうが、夫婦間のコミュニケーションに関わらず、コミュニケーションで一番大切なことは、話しを聞くことだと思います。
話しを聞くということは、相手の話すことに興味を持ち、相手の話している内容を理解して、その時の相手の感情まで汲み取ってあげる、共感することなのです。

仮に相談を相手が持ちかけてきているとしても、その心の底には話しを聞いて欲しいという気持ちがあるはずです。
これ男性の方分かりますか？
ビジネス（仕事）にずっと漬かっていると、時間の観点から早期問題解決を常に図る必要があるため、アドバイス、解釈、指導が相談に対して有効だと思いますが、それは人と人との交流ではなく、効率的効果的な仕事遂行上のやりとりなのです。

通常のコミュニケーションにおいては効率的効果的な早期問題解決を求めていないのです。
それよりは、まずは話しを聞いてもらって自分を分かって欲しいのです。

話しの内容によってはアドバイスが必要な時も多々あります。
しかし、そのアドバイスが有効に機能するのは相手との信頼関係があって始めて機能するのです。
その信頼関係のもとは人としてお互いが結びついているかどうかです。

アドバイスを受ける前に十分に話しを聞いてもらって、受けとめてもらったという実感がなければ、どれだけ有効なアドバイスをもらっても、聞いてもらえない、否定されたと感じる時が多々あるのです。

カウンセリング場面においてご相談者様が十分に話しをしていないのに、カウンセラーがアドバイスや解釈を行ったらどうでしょうか。

おそらくご相談者様は話しを聞いてもらえなかったと不満足を感じられるでしょう。

カウンセリングだけでなく、通常のコミュニケーションに際しても、話しを聞くこと、感情を受けとめることは大変重要なのです。

      
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   <title>不安を避けて不幸を選択するということ  新しい道に進むこと　就職・転職</title>
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   <published>2009-02-16T12:31:30Z</published>
   <updated>2009-02-16T08:41:46Z</updated>
   
   <summary>私たちには不安はつきものです。 特に人生において進路（就職・転職・結婚・離婚等）...</summary>
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      私たちには不安はつきものです。
特に人生において進路（就職・転職・結婚・離婚等）を変えることを考える際、不確実な先に起こることを考え出しますと、将来の予測不能より最悪のことを考え不安を感じ、先に進むこと（進路を変えること）を止めてしまう傾向があります。

不安は私たちの前進を阻みます。
そして、不安に焦点を合わせますと私たちは萎縮してしまいます。
しかし、人生の先に不安を感じているとするならば、その不安は本当に現実のものとなるのでしょうか。

将来のことは誰しも不透明です。
今の満たされない状態からあなたが道を変え前進をした時、あなたが恐れていることが本当に起こるのでしょうか。
逆にあなたが思っている以上の幸運があなたに訪れ、新しい人生が開け、幸せになれる可能性もあるのです。
また、仮に恐れていることが起こったとしても、それはあなたが成長するために必要なことかもしれません。
このように考えますと不安を避けて動かないということは、人生の幸せを逃し、人としての成長も阻んでしまうのかもしれません。


本題の不安を避けて不幸を選択するとは、今の不幸な状態から脱するために行動しようと意思決定をする際、先の不安から行動・チャレンジを諦め、結局は今の状態にとどまることを選択し、その結果今と同じく不幸な満たされない状態を続け、結果として人生において不幸を選択することを示しています。

今回は就職・転職について書きたいと思います。


事例１　就職しない人

就職活動に臨むこと、働くことに不安を感じている青年がいます。
彼は大学卒業後４年間の短期のアルバイトの繰り返しで生計を立てていますが、どうしても正社員として働くことを選択しません。
彼は言います。自分のキャリアで面接に行ったら面接官に何を言われるか分からない。嫌味を言われて傷つくかもしれない不安から面接に行きたくない。
仮に内定を得て働いたとしても、今まで正社員として働いたことがなく、本当に自分が働けるのか自信がない不安だ。

しかし、彼がこのまま短期のアルバイト就労を続けるとしたら何が起こるでしょうか。
結果は見えています。


彼は面接や働くことの不安から就職活動に臨みません。
面接を受けて面接官から傷つけられるのではという恐れ、就職してもやっていけないのではという不安。
将来の起こるかもしれない不安から自分を守りたいのです。

この時点で不安を避けて不幸を選択しているのではないでしょうか。

それは、今の状態で年を重ねるほど正社員として仕事に就けない可能性が高くなるということです。
もしかしたら、生涯正社員として就業することなく人生終わるかもしれません。
これは幸せな人生なのでしょうか。
もちろん、家が大金持ちで経済的に困らない資産があれば別ですが。
普通の経済状況の家庭において、生涯正社員就労が出来ないとなると・・・。

とても幸せな人生が送れるとは思えません。

面接への不安、働くことへの不安を避けて、不幸を選択。
本当に面接で嫌味を言われるのか、正社員として働けないのか。
やってみないと分かりません。
分からない不安に足を取られても得るものはないのです。
ただただ時間の経過と共に不幸になる可能性を高めているのです。

そして、人は体験から学び成長します。
仕事を通して沢山のことを学び成長することも可能なのです。
不安を避けることにより、人としての成長の機会も失しているのです。
これも不幸なことです。


事例２　やりがいのない仕事を続けることについて　

これは私の例です。
私は平成１４年６月まで会社員をしていました。

仕事は事務職で仕事に対するやりがいや熱意はありませんでした。
ただ、給与や休日は安定していました。
しかし、３７歳の時やりがいのない仕事を続けどうなるのか。
激しい感情が湧き上がり思い切って退職しました。
もちろん退職を上司に報告するまでは、退職後の収入の不安を多々感じており相当悩みました。（実は退職を考え出したのは３月末、そして退職は６月末。この間毎晩酒を飲み考え、不安を紛らわしていました）
しかし、不安を避けて現状にしがみつくことをやめたのです。
新しい自分の人生を築くことを選んだのです。

もし、あのまま会社に残っていたらどうなっていたでしょうか。
少なくても、このＨＰは存在していないでしょう。

では、もし不安を避け退職せずに定年まで働き続けたら。
それは不幸なことなのでしょうか。

少なくても安定した収入はずっと入ってきて経済的な不安を感じることはないでしょう。
そして、わずかばかりの退職金も手に入ります。

でも、私は退職を決意した時（５月末）、はっきりとヴィジョンを見て感じたのです。
それは、自分が定年まで働き続け何の実りのなかった自分の人生を振り返り、怒り悔いている様子です。
そして、同時にこれは自分の人生ではないという心の叫びが聞こえてきたのです。

では、今の私は幸福でしょうか？
少なくとも自分のしたい仕事をして、目的を持って生きています。
先のことについてもヴィジョンはあります。
今時点では辞めて良かったと思っています。

また、会社を退職し新しいことにチャレンジをしていく過程においても、自分は成長したと思います。
新しい体験から学び成長出来たのです。
収入を失う不安を避けずにチャレンジした結果、カウンセラ－として存在。
満足出来る結果を手にすることが出来たのです。


私は思います。

「人はやりたいことをやれずに人生を終わる時、何を感じるのだろうか」

人生の最後に何を思うか。
そして、何を思い天に旅立てるか。
これが大切ではないでしょうか。

例え未来世があるとしても、私たちが意識をして生きることが出来る今生は今回１回だけです。


      
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   <title>仲間や友人の多い社交的な彼　なのになぜ無価値観を感じるのか</title>
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   <published>2009-02-04T12:22:54Z</published>
   <updated>2009-02-04T05:32:52Z</updated>
   
   <summary>影彦さん（３３歳・仮名）は５年前に会社を退職、２年前に念願であった癒しのグッズ商...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.office-stella.com/renai/">
      影彦さん（３３歳・仮名）は５年前に会社を退職、２年前に念願であった癒しのグッズ商品のオ－ナ－として起業を果たしました。そして、数年前より３つ４つの社会人サ－クルに入り友達や仲間をたくさんつくってきました。今は休日のほとんどは仲間、友人と一緒に過ごし、その社交性を発揮して楽しく過ごしている様子です。そして仕事は独立。したいことを仕事にしている充実感もある様子です。

しかしその影彦さんが自己の無価値観を深刻に感じて、カウンセリングを受けにこられたのでした。

人間関係も良好、自分のしたいことを仕事にしているのに、なぜ自分に対して無価値観を感じるのでしょうか。

影彦さん曰く「仲間や友達は人より多いと思います。その大半は社会人になってからサ－クルで知り合っており、その７０％は独立してビジネスを展開しています。私も好きな癒しグッズのオ－ナ－として起業しましたが、実際は店舗を構えず、ネットでの販売です。売上げは月８万円程度。空いた時間はアルバイトをして生計を維持しているのです」

そして、彼は続けてくれました。
「仲間は皆独立してオ－ナ－として成功しています。皆はそれなりの地位を築いているのです。それに比べて僕はオ－ナ－とは言いながらも散々です。仲間が多いのはそれはそれでいいと思うのですが、１人になると自分だけ置いておかれた感じがして、劣等感や自分には価値がないと感じてしまうのです」

影彦さんは自分の今の状況と、仲間・友人の状況を比較されて、自分を卑下しているようです。

彼に聞いてみました。
「お友達が大変多いようですが、満ち足りていますか？」
影彦さん。
「満ち足りているというより、孤独を感じずにすみます。僕は１人で家にいると淋しくてどうしようもないのです。それに、仲間がたくさんいますと自分が満たされます」


そしてこのあとカウンセリングを継続して分かったことです。

影彦さんは成育歴の影響から自分に対して相当な劣等感を持たれていました。
劣等感を強く持つ人は自己受容が出来ておらず、自分と他者を比較して、自分に厳しい評価を下す傾向があります。

影彦さんも友人と自分を比較して、自分を厳しく評価をしている様子です。
そして、生来の劣等感に加えて、友達と自分を比較することにより更に自己価値の低下を招き、自分に対して深い無価値観を感じていたのでした。

しかし、影彦さんの自己評価は妥当なものなのでしょうか。
なぜなら、友人と比較して友人はそれなりに独立して地位を築いていると言われていますが、実際の経営状況は分かりません。賑わっているようにみえても大赤字かもしれません。しかし、影彦さんはこのような実際的な観点から物事を見て評価するのは苦手なようです。
友人や友達は成功していると思い込み、そして、その思い込んだ仲間・友人像と自分とを比較しているのです。
ですから、影彦さんの自分なんてという気持ちや、自己無価値観は妥当な評価に起因しているものではないのです。


またさらに、影彦さんがたくさんの仲間を持つことにもこだわっていることが分かりました。
それは、大勢の人間とつながっていることが淋しさを紛らわし安心感をもたらすということ以上に、たくさんの仲間や友人を持つことが、自分の劣等感、無価値観を補償してくれるからなのです。


コレクタ－の心理。
ご存知でしょうか。

物を収集することにより満足感を得る心理です。
萎縮した自己に対して自我拡大欲求が働きます、この欲求から物を集めることにより自分を満たし、満たされない思いや、劣等感等を補おうとするのです。

影彦さんの場合は物を集めはしませんが、人といかに知り合いつながっているかに大変な価値を置いています。
人とつながりたいという気持ち以上に、豊富な人脈を持つことが彼の自我拡大欲求を満たしているように感じました。
多くの知り合いを持つ自分に価値があるのです。

しかし皮肉なことに、彼が自分に対して否定的な気持ちや劣等感を持つうちは、彼の自我拡大欲求を満たす仲間や友人と自己を比較してしまい、逆に落ち込みや自己無価値観を抱いてしまうのです。

自分と他者を比較しなければまったく問題ないのですが・・・。

今の影彦さんは多くの友人や仲間に囲まれています。
集まりの幹事や世話役も積極的にこなしています。
私のような大概１人でいる人間からすると気遣いで疲れないのかなと思うのですが。

また、心理的な問題としては幹事や世話役を果たすことにより、他者から必要とされる自分に自己価値を求めているとすれば、これはこれで自分がお留守で他者志向となり問題です。

いずれにせよ、影彦さんの根本的な問題は生育歴のなかで得た劣等感であり、この劣等感からくる淋しさや、無価値観を仲間や友人、人脈の多さで自己価値を満たそうとしている限り抜本的には改善されないのです。

      
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   <title>恋愛　パ－トナ－に万能を求め続けることについて</title>
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   <published>2009-01-15T12:08:11Z</published>
   <updated>2009-01-15T07:25:40Z</updated>
   
   <summary>私たちが恋愛の感情に深く浸る時、パ－トナ－に万能を期待する時があります。 では、...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.office-stella.com/renai/">
      私たちが恋愛の感情に深く浸る時、パ－トナ－に万能を期待する時があります。
では、具体的に万能とは何を期待しているのでしょうか。

これはパートナ－に親の役割を期待しているのです。

パ－トナ－に万能を求めるということは、パートナ－が自分のすべてを満たしてくれるということを期待することであり、幼児が親に期待する感覚なのです。
それは、幼児、子供にとっては親がすべてであり、親は養い手、神のような存在です。
すべてを委ねることが出来、何も言わなくてもすべてを満たしてくれる。
このような存在なのです。

では、恋愛においてパ－トナ－に万能を求めるとはどのようなことなのでしょうか。

どうしても、恋愛には一時的に退行現象が在ります。
退行現象とは子供返りをしてパ－トナ－に甘えることです。
でも、この退行現象とパートナ－に万能を求めることは違います。

退行現象は一時的であり、パ－トナ－に万能を求める際は永続的であることが多いからです。
退行現象は一時的な気持ちの甘えであり、パ－トナ－に求める万能は求める側の本質なのです。

しかし、過剰にパ－トナ－に自分のすべてを満たしてくれることを期待する、何も言わなくても自分の思っていることを察して満たしてくれることを期待する。
このようなことは可能なことなのでしょうか？

まずは、無理でしょう。

でも、無理にもかかわらず人によってはパ－トナ－に過剰なまで求め続けるのです。
このような人はどのような人達なのでしょうか。

私が思うのに、彼（彼女）たちは子供時あまり親に求めているものを満たしてもらえなかった人たちと思います。
それは、親に構ってもらうこと、親からの承認や愛です。
どれだけ子供が求めても親が何らかの理由で、真に子供の欲しているもの（自己存在の承認・愛）を満たしてあげなかったのです。
そして、子供は心が満たされないまま成長して、大人になっても子供時と同じように、親がくれなかった、承認や愛等を求め続けているのです。

そして、彼らの自己価値は「自分は親に愛されない価値のない人間」と低く。
自己価値の低さのため、求め続けても親から満たしてもらえなかったためか、真に自分が欲しいもの、自分が必要とするものを、「どうせ言っても無駄」と決めつけ自己表現しない傾向があります。

言っても誰も私を満たしてくれない。
もう、傷きたくない。

でも、人は心が満たされないまま生きていくことは出来ません。
彼（彼女）たちはずっと自分を満たしてくれる人を求めているのです。
それが恋愛におけるパ－トナ－なのです。

しかし、恋愛関係に入り、自分を満たしてくれる人が見つかっても、彼らははっきりと「こうして欲しい」「あれが欲しい」「こうしたい」と自分の希望を表明しません。

そこには子供時と同じく、言っても無駄という思いがあるかもしれません。また言った結果、求めているものが手に入らず傷つくことを恐れているのかもしれません。

でも、彼（彼女）たちは期待しているのです。
求めているこの気持ちを満たして欲しいと。

そして、パートナ－に親を求め、その親と見立てたパ－トナ－に万能を求めます。

それは「言わなくても分かって欲しい」という期待です。
自分の気持ちを察して欲しいのです。

しかし、パ－トナ－にこのような期待をしてもテレパシ－でもない限り分かりません。
でも、彼（彼女）たちは自己主張することもなく、自分が何を求めているか分かって欲しいと期待しているのです。
そして、パ－トナ－が彼らの期待に沿わない的外れなことばかりすると、失望と怒りから不機嫌になっていくのです。

そうすると、パ－トナ－もなぜ彼（彼女）が不機嫌なのか分からず、パ－トナ－自身も不機嫌になったり、彼（彼女）の態度に怒りを感じるのです。

そして、やがて怒りも頂点に達したパ－トナ－は「いい加減にしろ」と怒鳴り散らすかもしれません。

すると彼（彼女）たちは、それ見たことか。
「誰も自分のことなんて分かってくれない」と、まさに子供時親から満たされなかった悲しい気持ちを、ここに再現するのです。

しかし、彼（彼女）たちがこの結果を招いたのは、彼（彼女）たちがきちんと自分の思い、希望、期待をパ－トナ－に主張しなかったからです。
何も言わなくても、察してくれることを期待しているからなのです。


子供時欲しくても満たされなかった気持ちは分かりますが、パ－トナ－は親ではありません。
あなたと一緒に人生を歩む人なのです。
そのためにはお互いが支え合う必要があります。
自分の必要を満たしてもらうならば、パ－トナ－の必要を満たすことも必要でしょう。
これは、お互いが対等な関係性を意味しているのです。
対等な人間関係とは自分の思っていることはきちんと主張して、パートナ－の思っていることもきちんと聞く。
この相互理解により成り立ちます。
パ－トナ－に万能を求め、親を求めている間はこの関係性には至りません。
そして、やがては求め続けられているパ－トナ－も自分は相手を満たす役割ばかりと不満を抱き、関係性を終了させようとするかもしれないのです。

もし、この関係が維持されているとすれば、それは共依存の関係です。
片方の側がパートナ－に万能を期待します。そして、もう片方の側は親の役割を果たし続け相手の求めを満たし続けることに満足するのです。
これは、お互いが相手に求めること、求められていることを果たすことに専念して、自分に専念していません。

相手に専念する人生とは自分に専念しておらず、相手の人生を生きており自分の人生を生きていません。

相手に満たされた時に自己価値を感じ、相手を満たした時に自己価値を感じる関係は、相手に自己存在の価値を委ねてしまっているのです。

相手次第の共依存関係で本当に幸せな人生は送れるのでしょうか？

      
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   <title>宴会　パ－ティ－で盛り上がれない悩みについて</title>
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   <published>2009-01-09T11:46:57Z</published>
   <updated>2009-01-09T09:14:05Z</updated>
   
   <summary>カウンセリングをしていますと、宴会、飲み会、パ－ティ－で盛り上がることが出来ない...</summary>
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      カウンセリングをしていますと、宴会、飲み会、パ－ティ－で盛り上がることが出来ない、盛り上がってワ－ワ－騒ぐのが苦手という相談をよく受けます。

この悩みに対する私のこたえは、「あなたは、あなたで、いいのです」。
私はこのように思います。
要は無理に盛り上がらなくてもいいのではないかと思うのです。

相談される方からすると、盛り上がることが出来ずに悩んでいるのに、と思われるかもしれませんが。
でも、「あなたは、あなたで、いいのです」。


なぜ、私がそのように思うのか書きたいと思います。

実はカウンセラ－である私も、宴会やパ－ティ－で盛り上がって騒ぐことが苦手です。
出来ません。サラリ－マン時は酒を先に飲んで適当に酔っ払って振る舞っていましたが、正直、今は騒ぎ、盛り上がりたいとも思いません。
あのバカ騒ぎ（失礼）、つまらないのです。

盛り上がることが出来ないことで悩まれている方は、どちらかというと自分の感性を大切にする、エネルギ－が少し内に向かう、内向的な人に多いと思います。
そして、盛り上がることが出来る人は、エネルギ－が外に向いている外向的な人なのでしょう。

この違いは何でしょうか？
人としてのタイプが違うだけです。
どちらが上で、どちらが下ではありません。
ただ、タイプが違うだけなのです。

但し、宴会では盛り上がるタイプの人が多く、盛り上がることが出来ないタイプの人が少ない。
それだけのことです。
ですから、宴会で盛り上がれない、ぶっとんだ話しについていけない、騒ぐのが苦手な人は少数派であるということだけなのです。

少数派である人は、それはそれで、自分を大切にすればいいのです。
無理して多数派に合わそうと苦しむ必要はないのです。
「あなたは、あなたで、いいのです」。

それに、少し内向的で少し静かな人が、ワ－ワ－と騒いで盛り上がることが出来るでしょうか？
私は出来ないと思います。
盛り上がっている人たちとはその場では、感性もはっきりと違い、共感も出来ないでしょう。
タイプが違うから無理なのです。

宴会では一時、苦痛の時間を過ごすことにはなりますが、やり過ごすしかないと思います。

それから、騒いで盛り上がっている人たちも、本当に心から楽しんでいるのでしょうか？
これも考えてみてください。
若者のコンパを想像してください。盛り上がること、騒ぐことによって仲間外れになることを恐れているだけではないでしょうか。
本当に意思疎通が図れてその場の一体感を楽しんでいるのか疑問です。

そして、職場の飲み会、宴会もそうです。
飲んで騒いで信頼関係がうまれますか？
その場限りの盛り上がりではないでしょうか。

職場での信頼関係は仕事中いかに振る舞うかです。
日中の仕事振りで人間関係は決定すると思います。
飲み会は余興にすぎないのです。
飲んで騒ぐのが苦手な人は２時間程適当にやり過ごせばいいのです。
適当に気配りをして、お酒をついだりして、適当にやり過ごすのです。
もちろん普通に話しが出来る人がいれば、話しをしてください。
飲んで騒がなかったといって、普段の仕事に対する姿勢から築いてきた信頼関係・人間関係は崩れるものではないと思います。

「あなたは、あなたで、いいのです」。



      
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   <title>彼女はなぜ転職回数が多いのか　期待にこたえられない自分は価値がない</title>
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   <published>2008-12-19T11:58:59Z</published>
   <updated>2008-12-19T08:13:40Z</updated>
   
   <summary>樹里さんは３２歳の化粧品販売員です。 今回は退職と転職の相談で来られました。 彼...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.office-stella.com/renai/">
      樹里さんは３２歳の化粧品販売員です。
今回は退職と転職の相談で来られました。

彼女は人あたりのよさそうなハキハキと話す女性です。
その彼女がなぜ退職を希望しているのか不思議だなと思い話しを聞いていましたが、転職回数が５回あると話された時には驚きました。

彼女の感じからすると人間関係もスム－ズに行い、仕事も出来そうな気がしたからです。
ですから、短大卒業後１２年で、５回も転職回数があるとは信じられなかったのです。

そして、今回の彼女の退職理由は、来月店長に昇格が決まったのですが、店長としての責任を果たす自信がなく、もっと責任の軽い仕事への転職を希望されていたのでした。
（希望は指示されたことをこなしていく仕事です）
さらに彼女の今までの退職の理由を聞いてみますと、すべて部署や配置が変わる、昇格等、新しい仕事へのチャレンジが巡ってきた時に、即退職を決意されていたのです。

通常職場において新しい仕事への配置換えは、今までの下積みの努力が評価され次のステップに進むチャンスです。
そこには職位の昇格を伴うこともあり、仕事に対する責任も増えますが、新しいやりがいもみつけることが出来ると思うのですが・・・。

樹里さんに、どうしていつも新しいチャンスが巡ってくるたびに退職をしているのか訊ねたところ、「新しい仕事や責任を果たすことに自信がない」とこたえられました。

確かにそうです。今までとは違う仕事を任せられるのですから、当然不安はあると思います。
でも、新しい仕事の責任を果たせるかどうかは、新しい仕事にチャレンジしてみないと分からないのです。
また、樹里さんは人あたりがよさそうな雰囲気です。彼女の雰囲気からすると社内では先輩のサポ－トも十分受けることが出来ると思うのです。
昇格しても不安なことは１人で背負わず、上司や先輩に助けてもらえばいいと思うのですが。

このことを樹里さんに指摘したところ彼女は「今まで出来るだけ人を頼らず仕事をしてきました。人に頼ることは自分が仕事が出来ないことを周囲に暴露することにつながるので、人に助けを求めることはできないのです」

さらに彼女は次のように続けました。
「人に頼って周囲を失望させたくないのです」

ここまで聞くと何となくですが樹里さんが何を思っているか分かってきます。
①	分からないことを人に聞くことは、自分が出来ない人間であることを証明することになる。
②	そして人は期待にこたえられない私に失望する。
③	だから仕事は与えられたことをこなす自己完結型の仕事が希望。
④	そして仕事についての相談をして失望されるのが恐ろしく、責任の重い新しい仕事につく前にやめてしまう。
⑤	周囲は私が出来ない人間であることを知ることはない。誰も私に失望しない。


この道筋で樹里さんは今まで動いてきたように思います。
しかし、なぜ彼女は自分が分からないことを人に聞くいたり相談すると、自分は出来ない人間であり、周囲は樹里さんに失望すると思い込んでいるのでしょう。
彼女は子供時のことを次のように話しています。
「私は母子家庭でした。母は常に忙しく私は常に母の手間を取らないように気をつけていました。でも何でも１人で出来るわけではなく、母の手を何度も煩わしました。母の手を煩わす都度、自分なんて、ダメだと思いました」

樹里さんは子供時、忙しいお母さんの手を煩わせたくなかったのですね。
お母さんは樹里さんのために手をとめても、怒ったりすることはなく優しく接してくれていたようですが、樹里さんは子供ながら母に気を遣い、何でも自分１人でしなければならないという思い込みを勝手に抱き、それが出来ない自分に母は失望していると、出来ない自分の罪悪感を母が自分に失望していると置き換えたのでしょう。
（心理学でいう投影の心理）

樹里さんの、期待にこたえられない自分は価値がないという思い込みの原点はここにあったのです。
（母は樹里さんが何事も１人ですることを期待している。その母の期待にこたえられない自分は価値がないという思い込み）。

樹里さんが今後退職を繰り返さず頑張るには、自分のこの思い込みの形成を理解して、思い込みを手放し、新しい仕事に臨み、分からないことは分からないと周囲に助けを求め、その結果何が起こるか体感することです。


私たちの人生や自分に対する思い込みは、親の声を内在化して苦しむ場合もあれば、樹里さんのように、子供ながら親に気を遣い、親に対する罪悪感から思い込みを背負ってしまう場合もあるのです。

      
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   <title>生きるうえでの選択　何を優先すべきか　それは自分です</title>
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   <published>2008-12-16T12:27:30Z</published>
   <updated>2008-12-16T03:42:55Z</updated>
   
   <summary>私たちは人生において様々なことを意志決定して選択します。 例えば、会社選び、結婚...</summary>
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      私たちは人生において様々なことを意志決定して選択します。
例えば、会社選び、結婚、人間関係（誰と仲良くするか、頼みごとをどうするか）、物品購入等様々です。

では、私たちが選択において意思決定をする際、私たちは何を優先して選択するのが良いのでしょうか？

私は優先すべきは自分であると思います。
もちろん、この優先にも限度があり自分勝手な行動を選ぶことを勧めているわけではありません。

でも、何かを選択する際は自分が不利益を受けないこと、自分が無理をしないこと。これは大切だと思います。
では、具体例をあげます。

１　人間関係において　頼まれごとを断るということ

私たちが人から何かを頼まれることは多々あります。この時の選択肢としては頼みごとを受け入れることをＯＫするか、頼みごとを断る選択肢があります。
そして、この時自分が忙しくてどうしようもない時は、私なら断ります。

でも、断ることを選ばない人もおられます。この人たちは今でも手が一杯なのに頼まれごとを引き受けてしまい、それを果たすために奮闘して燃えつきて体調を悪くしたり、本当は断りたかったの引き受けてしまい頼んできた相手に怒りを向けたり、頼まれたことを果たせず自責感からうつ状態になったりと、あまり良い結果が出ません。

では、なぜ自分を優先せず引き受けてしまったのでしょうか。
それは相手を優先することを選んだからです。
でも、何のために？

理由は様々でしょう。

しかし、実際に断ったからといって何か変わりますか？
相手との関係性が変わるでしょうか？
通常の人間関係はお互い相手のことを考えていますので、あなたが頼みごとを断ったといっても、相手もあなたの事情を理解納得すれば２人の関係性がおかしくなることはないと思います。
それは、あなたが自分の頼みごとを断られたからといって、相手との関係性が変わらないのと同じことです。

しかし、もし相手があなたが断った時に、怒ったり、嫌味を言ってきたら、この関係性には注意が必要です。
それは、相手はあなたが自分の頼みごとを引き受けるのは当然と思い頼んできており、その期待が裏切られたから怒ったり、嫌味を言うからです。

期待に沿わないあなたに怒っているのです。
これはおかしなことです。
相手はあなたが自分の言うことをきくのは当然と思っており、あなたの意思を尊重していません。
あなたのことを便利屋とでも思っているのでしょう。
都合よく使われるのはやめましょう。

選択すべきポイントは自分の状況、気持ちを優先して意思決定することなのです。


２　仕事の意思決定

さて、上例では他者を優先して自分を軽んじる意思決定について書きました。
ここでは、他者に対する義理立ての優先より、自分を優先する意志決定に悩むパタ－ンについて２つ書きたいと思います。

ａ　親戚の紹介で就いた仕事を辞められない

勝代さんは２年前商社事務員として親戚の紹介で入社しました。
しかし、１年前より介護の仕事に興味を持ち、実際にヘルパ－の資格も取得しました。
そして、思い切って介護職へ転職したいのですが、親戚によくしてもらい今の会社へ入ったいきさつがあり、親戚に対する義理を感じています。
さあ、どうしましょう。

ｂ　正社員を希望して就職活動をしているが入社後は１年しか勤められない

景子さんは１年後に夫の仕事の都合で地方に行きます。しかし、引越し費用やその他諸経費を稼ぎたく、今から正社員としての雇用を希望しています（正社員が一番給与がいいからです、また景子さんの能力からすると正社員としての採用は可能と思われます）。しかし、景子さんは仮に就職出来ても勤務期間は１年、採用を頂いても途中退職で企業の方に迷惑がかかることを考えると、自分が正社員として採用されていいか悩んでいるのです。
これも、採用してくれた企業に対する義理で悩んでいます。

私がこの２例のカウンセリングを受けたとしたら次のアドバイスをします。

「何を優先するか」です。

私は何かを選択して決定する際は、可能な限り自分を優先すべきと思っています。
もちろん、この記事を読まれた方には、親戚への義理、企業への義理を優先すべきと思われる方もいるでしょう。

しかし、そうすると勝代さんは自分が進みたい介護の道に進むことが出来ず、景子さんは正社員として勤めることが出来ず、引越し費用等が思ったより稼げなくなってしまいます。

「何を優先するか」。
その答えは・・・
「自分の人生」です。

私が勝代さんなら親戚に報告とお礼をして、親戚の了承を得て転職するでしょう。
また、景子さんの場合なら例え１年間の勤務でも、その１年の間に即戦力として自分の全能力を出し切り最大限活躍をして、その責任を果たすという考え方もあるかもしれません。

さらに、１年後の退職についてですが、今は終身雇用の時代ではなく、企業も企業の存続のため平気で解雇等大胆なことをする時代です。
企業も従業員もお互いに都合よく利用し合うという考え方もありかもしれません。


いかがでしょうか？

自分勝手すぎますか？


私たちの人生は一度きりです。
何かに遠慮をして欲しいものを手に入れることが出来ず、したいことが出来ず、後々後悔しないようにしましょう。

      
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   <title>性格は変わるのか　性格は思考、行動、感情、身体反応より構成されています</title>
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   <published>2008-12-01T12:50:48Z</published>
   <updated>2008-12-01T05:08:03Z</updated>
   
   <summary>「私の性格は変わるのでしょう」？ カウンセリングをしていると、この質問をよく受け...</summary>
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      「私の性格は変わるのでしょう」？
カウンセリングをしていると、この質問をよく受けます。

では、性格とは何でしょうか。
心理学者オ－ルポ－トによると「ある個人の行動は環境への適応において、その人らしい独自の一貫した適応行動様式があり、たえず遺伝と環境の相互交渉により、変化、発達して再体制化されていくものである」と定義しています
（オ－ルポ－トは正確には性格ではなくパ－ソナリティの定義と言っています）。

このオールポ－トの定義で注目すべきは、「ある個人の行動は環境への適応において、その人らしい独自の一貫した適応行動様式があり」です。
これは言葉を変えると、「人はある特定の環境において継続固定して行う反応様式がある」と言い換えてもいいと思います。

具体例で書きます。
例１
特定の環境⇒会議で話す
継続固定して行う反応様式⇒緊張してうまく話せない

例２
特定の環境⇒仕事での発送作業
継続固定して行う反応様式⇒封入ミスが気になって作業に時間がかかりすぎる

このようにある特定の環境（特定の場）に対して、常に継続・固定した行動様式をオールポ－トによると性格というのです。
したがって性格とは自分も当然自覚しており、外からも観察可能なものと言えるでしょう。

例１では「緊張しやすい人」、例２では「神経質」等自他共に認めるかもしれません。

このように性格とは行動面に現れ観察可能なものなのです。
では、私たちの性格はどのようなものから構成されているのでしょうか。
性格は次の４つから構成それています。

それは、思考　行動　感情　身体反応（喉の渇き　振るえ　緊張等）です。
そして、このうち私たちが直接介入、コントロ－ル出来るのは思考と行動です。

感情と身体反応については、自分自身でコントロ－ルすることが難しいのです。
感情は勝手に感じるものであり、様々な身体反応も私たちの意志を無視して勝手に生じます。
もちろん、感情と身体反応もリラクゼ－ション、イメ－ジトレーニングで介入、コントロ－ルは可能なのですが、感情と身体反応を問題にする前に、私はカウンセリングにおいては思考と行動にアクセスをします。

思考と行動を変えることが、性格の変容にもっとも近道であると思っているからです。
そして、思考と行動の変更・促進が図れますと感情と身体反応も変わってくるのです。

したがってオ－ルポ－トの性格の定義における、継続・固定した反応を変更するためには、性格を構成している、思考と行動を変更すれば、感情と身体反応も変わり一定の継続・固定した反応を解除出来ることになるのです。

これが「性格は変わりますか」？という質問に対する、私の答えです。
では、もう少し詳しく書いてみましょう。

性格の変容。思考　行動　感情　身体反応の４つについて、「人と親しく話すことが苦手で出来ない、そして人と話す場を避ける」という例をテ－マに見ていきたいと思います。
（前提はコミュニケ－ションスキルはあるのだけれども、人と親しく話すことが苦手と思われている方です）。

例３
特定の環境⇒人と話す場面
継続・固定して行う反応様式⇒親しく話せない、そして人と話す場を避ける

この例の人は人と話す場を避けるという行動を選択して行動していますが、その前提が人と親しく話せないということです。

ではなぜ、人と親しく話すことが出来ないのでしょうか。そこには「話をしてつまらない人と思われたくない」「相手を不快に思わせてしまうかもしれない」「受け入れてもらえないのではないか」「嫌われのではないか」「無視されるのが怖い」等。これらの不安が先行して話すことを抑え、話すことに自信が持てないことが考えられます。

そして、この不安⇒不安感の前提となっているのが思い込みなのです。
「話をしてつまらない人と思われたくない」つまらない人と思われる根拠は？
「相手を不快に思わせてしまうかもしれない」その根拠は？
「受け入れてもらえないのではないか」その根拠は？
「嫌われのではないか」どうして嫌われるのか根拠は？
「無視されるのが怖い」どうして無視されるか根拠は？

思い込みとはこのように根拠がありません。
漠然としているのです。
そして、この思い込みが思考なのです。

したがって、思い込みをいかに緩和、変更するか、思考の変更を図ることが大切なのです。
「話をしてつまらない人と思われたくない」⇒「話をしてつまらない人と思われるかどうかは分からない。また、何を根拠として相手が自分をつまらないと評価するのであろうか？分からないことに悩んでも結論はでない。だからまずは話してみよう」

「嫌われるのでは」⇒「嫌われるとは相手のどのような態度を見て判断出来るのであろうか？嫌われる根拠は？根拠のないことに悩むのではなく、まずは話してみよう」

大切なことは、根拠のないことに悩んでも、不安の堂々巡りで結論が出ないのです。
やってみないと分からないのです。

そして、やってみないと分からないということは、行動して現実を確かめるということなのです。
私たちを縛る思い込みを手放して、前に進むのです。

もちろん、この思い込みについては、子供時の親子関係・家庭環境が深く影響していることが多々あります。
思い込みを変更する前、過去の親子関係・家庭環境が現在にどう影響しているのか振り返り、関係性を理解することが必要な場合もあります。


さて、思い込み、思考を変更したあとは行動の促進です。
この行動の促進の前に「自分が人と楽しく話しをしている」イメ－ジ等を思い浮かべてリセクゼ－ションすることは有効です。

それは、人はイメ－ジ通りに進むものだからです。
イメ－ジで人と楽しく話している姿をしっかり思い浮かべ、話すことに対する不安感の軽減、緊張の低下を図ります。そして、実際に行動する際、このイメージの効果が発揮させるのです。

思考を変更して行動の促進。そして、行動の促進の準備としてイメ－ジトレ－ニングを行い、不安からの感情と身体反応の軽減を図る。
これが事前準備であり、そして、いざ本番。行動です。
そして、行動したあと何が起こるか体感するのです。

大概の場合は自分の思っていた不安なことは起こらず、「何だこんなものか」と驚きと安心感に包まれる体験をされることも多々あるのではと思います。

そして、話すことがこんなに楽なものかと体感されれば、次にまた話すことへの不安も軽減され、緊張も低下をして、話すことにチャレンジしようと前向きな気持ちが生まれてくるのではないでしょうか。
今まで話すことに対して不安を感じで話すことを抑えていた人が、ある日より話すことにチャレンジをしだし、やがては積極的に話すことが出来るようになる。
抱き続けた不安は現実にはなく、更には話すことに自信を獲得したのです。

これが性格の変容です。
思考　行動　感情　身体反応が変わったことにより、固定・継続して行われていた反応様式が変わったのです。

さて、ここでもう１つ思考で大切なこと。
それは評価です。

何気なく気さくに人と話すことが出来る人は、話すことに自信（自信を意識していないかもされませんが）を持っていると思います。
逆に話す能力や自分自身に自信がないと、相手にどう思われるかを常に気にして、話すことに不安を感じ続けます。
しかし、話すことに自信を獲得していきますとそれと並行して不安は軽減されます。

では、自信とはどのように培うものでしょうか？
自信とは何かにチャレンジをして成功体験からもたらされるものです。
話すことに自信がない場合は、話すという行動を起こして、話すことが出来た自分、昨日よりも一歩前進した自分を認めてあげることが大切なのです。
自分が自分を認めてあげることが大切なのです。

そして、認めてあげるとは、「評価」です。
自分が自分を評価するのです。
そして、再び「思考」です。

「評価」には基準があります。
自分が自分を認めるにも、その人独自の基準があるのです。
話すということを例にとると、ある人は３分話しが続いた自分を大きく前進したと評価するかもしれません、またある人は３分しか話しが続かなかったと自分を評価しないかもしれません。
自分が自分にＯＫを出して、自分を評価することにより自信は培われるのですから、自分に対する評価基準は厳しくない方がいいと思います。

そして、厳しすぎる評価基準は思考の問題です。
なぜ、そこまで自分を厳しく評価するのか、ここには心理的な問題が大きく影響していることが多々あります。
自分を振り返って、自己評価基準を下げ、行動、チャレンジした自分を、暖かく評価することが大切なのです。

「思考」「行動」「感情」「身体反応」の変化により性格の変容は図れます。

しかし、このなかでも思考、「思い込み」「自己評価基準」をいかに見直すか、性格の変容に大きくかかわっているのです。


      
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   <title>人への役割を果たし続けること　その価値観と行動の押し付け</title>
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   <published>2008-11-10T12:31:35Z</published>
   <updated>2008-11-10T06:07:11Z</updated>
   
   <summary>人は自己存在の価値のために果たしている役割に固執する時があります。 その人が役割...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.office-stella.com/renai/">
      人は自己存在の価値のために果たしている役割に固執する時があります。
その人が役割に固執すると、その役割を果たすために必要とされている人は不自由な思いをする時があります。
また、役割を果たすために自己価値を押し付けると、押し付けられた相手は迷惑をする時があります。


貴彦さんは３２歳。３ヶ月前に結婚しました。
結婚後の悩みは妻との関係ではなく母との関係です。
その問題は母が小遣いと称して月数万円を持ってきたり、２日おきに携帯に電話をかけてくることです。
この件に関して当然貴彦さんの奥さんはよく思っていません。奥さんは貴彦さんのことをマザコンと思い始めています。

さて、貴彦さんは結婚するまで父、母、貴彦さんの３人で暮らしてきました。
父は毎晩酒を飲む大酒飲みで、母は父の酔っ払ったあとの、後始末等で苦労をしていました。
しかし、母は父に対する愚痴を一度たりとも貴彦さんに話したことはなく、父の面倒をみることを当然といった振る舞いだったそうです。

そのような母を貴彦さんはかわいそうにと、子供ながら同情心を持ってみていたそうです。

私は母の父に対する態度を聞いた時、大変優しい人だなと感じました。
通常、酔っ払った夫の事後処理をすることに対しては、世間の妻は嫌悪を感じると思います。
しかし、彼女は嫌そうな顔を一度たりともすることはなく愚痴を言うこともなく夫の面倒をみてきたのですから、心の優しい人なのだと思います。また、優しい人でなくてはここまで出来ないでしょう。

さて、ここで疑問です。
彼女が心が優しいのは間違いないとは思うのですが、彼女自身が自分の本当の気持ちを自覚していたかどうかは別の問題です。
もし、彼女が自分というものを持っておらず、ただ夫の酒の後始末をすることが自分の役割と思って果たし続けていたとしたらどうでしょうか。
もしかしたら、心の底では酔っ払い夫の面倒をみるのは嫌と感じながらも、夫の面倒をみなければならないという無意識の思い込みを持っているとしたらどうでしょうか。

自分を持っていない人は、人の面倒をみることによって自己の存在価値を見いだします。
酔っ払いの夫と、夫の面倒をみる妻。
共依存の関係です。
この場合、酔っ払い夫の面倒をみる役割を果たすことに自己価値を感じていることになります。
それは、その役割を果たさないと自己の生存意義がなくなるからです。

さて、ここまで貴彦さんの母の、妻と夫との依存関係についてみてきました。

では、この共依存関係と息子の関係、すなわち母と貴彦さんの関係はどうなのでしょうか。

共依存とは共に依存し合う関係です。
では、母と貴彦さんに依存し合う関係はあるのでしょうか。
当然ながら、貴彦さんの母には、母として息子の面倒をみる役割を果たすということに、自己価値を見いだす傾向があることは感じます。
母として結婚した息子に小遣いを渡す、また２日おきに息子に電話をして近況を知り安心感を得る、結婚後の息子に対して母としての役割を果たすことに執着しているようです。

しかし、それを貴彦さんば嫌がっているのなら、なぜ「やめてくれ」と言わないのでしょうか。
貴彦さんに確認したところ「それを母に言うことに罪悪感を感じる」のだそうです。
貴彦さんは幼い頃、父の飲酒後の始末をしている母をかわいそうと思ってみてきました。したがって、母をかわいそうな人、これ以上悲しませてはいけないと思っているのです。
また、貴彦さんも繊細な人ですから無意識的ではありますが、母に「やめてくれ」と言ったら、母が役割を失い悲しむことを感じているのかもしれません。
母の貴彦さんへの干渉はずっと以前からあり、貴彦さんは母に拒否的態度を取ることに罪の意識を感じ、今まで母に対して断ることを避けてきたのでした。

貴彦さん自身はあまり話されませんが、私は貴彦さんも母への思いから母の過干渉、過保護に我慢し続けて、自分を出せず、辛い思いをして過ごされてきたのだろうなと思います。

では、貴彦さんから母に目を向けましょう。
密着した不健全な母子関係では、息子を自分の物と所有物化する傾向があります。
この不健全な母子密着の場合は、母は息子を常に取り込もう、自分の所有物としてつなぎとめておこう、味方にしようとする傾向が強く、母が息子の妻の悪口を言う場合があります。このタイプの母は当然自分の所有物を奪った簒奪者のことをよく思っていません。
ですから、息子に妻の悪口を言うのです。

しかし、貴彦さんの母の場合は、貴彦さんの妻の悪口を言うことはないようです。
貴彦さんの母は純粋に、貴彦さんのことを思って、小遣いを渡したりして、何か自分が役立ちたいという気持ちがあり、常に貴彦さんの状況を知って安心を得たいのでしょう。

それでも、やはり貴彦さんの母は息子に執着しています。
母としての役割に固持しています。
まずは、母自身が自分というものを持つ必要があるでしょう。
人への役割を果たせない自分は価値がないのではなく、自分が自分の人生を生きるということです。

また、人に何かをしてあげる時に大切なことは、「相手の求めていることをする」ということです。
貴彦さんの母は貴彦さんがお小遣いを求めていると本気で思っているのでしょうか？
結婚後の息子に出来る母としての役割は、小遣いを渡すことぐらいしかないと思っているのかもしれません。

いずれにせよ、何かしてあげたいという気持ちがあるのなら、してあげたいと思う相手に、何をすれば喜んでくれるのか確認することが大切です。
自分の価値観やそれに基づく行動を押し付けることは、相手にとって迷惑となる時が多々あるのです。


貴彦さんの母の問題は、役割を果たし続けることにこだわっていることです。
しかし、本来は心の優しい人ですから、自分を持ちその優しさを発揮するこで、これからの人生大きく変わるでしょう。

また、貴彦さんは母に対して、自分が迷惑と思っていることを話すことも大切です。
貴彦さんの母はそれで悲しい思いをするかもしれませんが、貴彦さんの発言が貴彦さんの母にとって、自分の問題に気がつく大きなチャンスかもしれないのです。


      
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   <title>『怒の炎』　怒りは身を滅ぼします　母との確執より</title>
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   <published>2008-10-28T12:28:31Z</published>
   <updated>2008-11-04T06:14:20Z</updated>
   
   <summary>抑圧され続けた悲しみは、やがて怒りにかわり、その怒りは恨みや憎しみを伴います。 ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.office-stella.com/renai/">
      抑圧され続けた悲しみは、やがて怒りにかわり、その怒りは恨みや憎しみを伴います。
そして、その怒りのエネルギ－の対処方法によっては、その怒りのエネルギ－により、自らを破壊してしまうこともあるのです。

「怒の炎」に焼きつくされるのです。

久美さんは２８歳、最近子育てを通して自分自身の抑圧していた深い悲しみに気付きました。
久美さんは３歳の娘を育児書を読みながら懸命に育てています。
育児書には「子供を無条件に認めること」「ほめて育てることが大切」と書いてありました。
しかし、久美さんは娘に対して怒ることは容易に出来ても、ほめることにぎこちなさを感じていたのです。

なぜだろうと自問自答しているうちに、自分が母親にほめられたことがないことを思い出しました。そして結婚するまでの人生は常に母の気持ちを優先して、母の期待に沿うことを第一としてきたことを思い出したのです。

子供時より母の好みの服のみを着て、母がピアノを習えと言えばレッスンが楽しくないにもかかわらず習いに行き、母の期待する通り勉強をして、母の言う通りの大学に進学して、母が好みそうな男性と結婚をしました。

久美さんは子育てを通して結婚するまでの人生、常に本当の自分の気持ちを抑え続け、母のために生きてきたことに気がついたのでした。
そして、もう１つ気づいたこと。
久美さんには妹がいるのですが妹は母に反発して、自分を優先して生きています。

「なぜ、自分だけ母の言いなりだったのか」「なぜ、自分だけ母のために我慢し続けなければならなかったのか」「自分とは何だったのか」と、自分の過去について悲しみを感じはじめ、そして自分を抑え続けて辛かった過去を振り返る都度、その悲しみは怒りへと変わっていき、その怒りは当然母へ向かったのです。

その後久美さんは母に対して自分の過去の気持ちを電話で強く伝えました。驚いた母は泣いて謝罪してくれたようです。
母の謝罪で久美さんの気持ちは一旦は落ち着きました。

そして、その１ヶ月後母から茨木県銘菓の饅頭が送られてきたのです。
この饅頭が久美さんと母との関係を決定的におかしくしたのでした。
饅頭のあんは白あんでした。これは母の好みです。しかし、久美さんは白あんが嫌いで、黒あんが好みなのでした。
久美さんは「また母は自分の好みを押し付け、私を無視した」と烈火の如く怒り、母に対して今までにない強い怒りを感じたのでした。

久美さんにとって以前の母の謝罪は口だけであり反省していない、結局母は何も分かっていない、自分の本当の気持ちを分かってくれていない、また押し付けられた、裏切られたと日々怒り続け、やがてその怒りに自己憐憫の気持ちが加わり、母を破壊したい恨みと憎しみの気持ちに変わっていったのです。しかし破壊することは出来ないので、その代わり母との絶縁を宣言したのでした。

その後、久美さんの性格は大きく変わったようです。
まず激しい怒りです。
母に対する怒りがその根源ですが母とは絶縁宣言をしており、母へ直接怒りをぶつけることは難しい状態です。
したがって、まずは一番の身内である夫に怒りの矛先が向いたのでした。
今まで夫に対して家事等要求したことはありませんが、家事の要求から始まり、食事の仕方、寝姿等こと細かく要求しだしました。

まさに、「全てが自分の思うようにならないと気に入らない」といった感じです。
しかし、夫にしてみれば久美さんが自分勝手な要求をしているにしか思えず、久美さんの要求をことごとく無視、当然夫婦仲も悪くなります。
また、久美さんの「全てが自分の思うようにならないと気に入らない」という姿勢は、子育てにも影響します。
夫との関係の悪化、母に対する怒りを抱えたイライラから、ちょっとしたことで何度か子供に手を上げそうになったそうです。
手を上げそうになる衝動を抑えるのも大変努力が必要であり、自分を制御するストレスも大変なものです。
また、本来母に向けるべき激しい怒りは近所の主婦仲間にも及びます。Ａさんの笑い方、Ｂさんの自分に対するヘラヘラした態度等、今まで気にもならなかったあらゆることが、自分に対する敵意と感じられ、主婦仲間を攻撃・破壊したい衝動に捉われるのでした。

いかがでしょう。
久美さんの豹変振りをどのように思われますか。

子育てから自分が自分の人生を歩んでこれなかった悲しみの気持ちと、母に対して抑圧していた怒りの気持ちを感じ始めました。一旦は母の謝罪で円満に解決したようですが、饅頭の一件から母に対して裏切られた気持ちと今までの以上の怒りを感じたのです。
この饅頭の件については過剰反応と思いますが、心理的には母に対して我慢し続けてきた感情が、もう限界に達しており饅頭のあんの種類に反応したのでしょう。
もう、これ以上自分勝手な好みを押し付けるな、いい加減にしろという強い怒りの気持ちです。

そして、本来母に直接怒りをぶつけた方が良かったかもしれないのですが絶縁を宣言。
怒りを溜め込んでしまったのです。
その抱え込んだ激しい怒りは自分の中で処理出来ず、また過去を振り返るたびに自分が不当に扱われていたことを思い出し、自分に対する哀れみと、その原因である母に対して恨みと憎しみの気持が高まり、抱え込んでいる怒りはさらにパワ－アップしたのです。
そしてパワ－アップされ抱え込めない怒りは夫に向いたのです。

今までずっと我慢し続け抑圧された怒りは、全てを自分の思う通りにしたい、自分の気に入るようにしたいという要求へと変わり始めました。客観的に判断すると「自分勝手」な要求を夫にし始めたのです。

しかし、自分勝手な要求は当然受け入れてもらえません。
要求を受け入れてもらえない久美さんは次のように思います。
「誰も自分の気持ちを分かってくれない」。
この気持ちは母が自分を受け入れてくれなかった悲しみでもあり、夫が自分の気持ち要求を受け入れてくれない悲しみでもあるのです。

そして、そこから「自分は誰にも分かってもらえない」という被害者意識をつくり、近所の主婦が自分に敵意を持っていると思い込み始めたのです。被害者意識は相手を悪者に仕立て、自分が持っている怒りの気持ち、憎しみの気持ちを、相手が自分に対してその気持ちを持っていると勝手な思い込みをつくったのでした。

その後久美さんは動けなくなってしまいました。
医者は鬱病と診断したようです。

母のために人生を失った悲しみと怒り、母に対する恨みと憎しみ、夫に対して受け止めてもらえない怒り、すべてを自分の気に入るように出来ない怒り、子供に対して制御している怒り、主婦仲間に対して表出出来ない怒りの衝動、誰にも理解されない悲しみ、またそこからくる怒り。
久美さんは自分が抱え込んでいる激しい怒りにのみ込まれてしまったのです。

激しい怒りは身を滅ぼします。

久美さんの回復のために必要なことは、自分の辛かった子供時の気持ちを受け入れ、母に対する怒りを手放すことでしょう。


      
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   <title>「～～するな」という思い込み　禁止令について</title>
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   <published>2008-10-01T13:33:19Z</published>
   <updated>2008-10-02T04:25:33Z</updated>
   
   <summary>思い込みは私たちを縛ります。 思い込みを持っていますと、その思い込みに縛られるこ...</summary>
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      思い込みは私たちを縛ります。
思い込みを持っていますと、その思い込みに縛られることによって、行動の自由を奪われ、窮屈で辛い思いをする時が多々あります。

そして、この思い込みとはいかに生きるか、社会でいかに振る舞う等、人生に対する思い込みと言っても問題はありません。
思い込みは子供時、親が子供に接する態度、兄弟との関係、親の生き様、その家庭を生き抜くため、自分を守るため等により形成されます。

さて、思い込みと聞きますと「～～しなければならない」「～～せよ」「～～すべき」等、積極的なべき論を思い起こされる方は多いのではないでしょうか。

ａ　人には好かれなければならない。そのためには無理をしてでも人に合わさなければならない。
ｂ　成功せよ。そのためには無理をしてでも勉強をしなければならない。
ｃ　清潔にすべき。そのためには１時間かけて体を洗わなければならない。

この「～～あるべき」、べき論という思い込み（無意識的思考）が、私たちの行動を縛り、自由を奪い生き辛さをもたらせるのです。

この積極的な「～～しなければならない」というべき論については、このＨＰでも今まで何回か書いてきました。
しかし、今回は積極的に私たちを支配する「べき論」の思い込みではなく、「～するな」という禁止に基づく、思い込みについて書いていきたいと思います。

そして、この「～～するな」という禁止のことを交流分析（心理学理論の一派）では禁止令と名付けました。

さて、禁止令について書く前に、交流分析における人生脚本について書きたいと思います。
なぜなら、人生脚本と禁止令は密接に結びついているからです。

人生脚本というのは自分で幼少期に「人生を、このように生きよう」と決めたパタ－ンのことです。幼児が自分の心の中や周囲に起きていることを、自分なりに解釈をして、自分で自分の生き方を決める、幼児決断に基づく、「人生の計画」、生き方のことです。
そして、この幼児決断は年齢２、３歳から５、６歳までの間になされます。

そして、幼児決断の基になっているのが禁止令なのです。

禁止令とは自分に対して何かを禁止しています。
人生において「～～するな」ということを自分に禁じて、その禁止を遵守して人生を送るのです。
この禁止令も積極的なべき論の思い込みと同じく、親の子供に接する態度、兄弟姉妹との関係、親の生き様、その家庭を生き抜くため、自分を守るため等により形成されてきます。

では、様々な禁止令を見ていきたいと思います。

ａ　何々するな
親が子供が自由に振る舞うことを禁止（怒る、無視）してしまいますと、何も自由にさせてもらえないと子供は感じ、自発性のない覇気のない大人になってしまうかもしれません。また、過保護で何でもしてしまう親に育てられた子供も、何でも先回りして親がしてしまうので、何をしても否定されていると感じ、何もしないことを幼児決断してしまうかもしれません。

ｂ　存在するな
「お前なんか産まなければ良かった」「消えてしまえ」等親より存在を否定され続けますと、大人になるにつれ、自殺願望が強かったり、強い自己否定感より社会生活、対人関係が築けず、ひきこもってしまうこともあります。
社会、家庭における居場所、安心して存在出来る場所がないのです。

ｃ　成長するな
過保護の場合です。何でも先回りしてしてしまう親がいると子供は自発的に考え、体験することが出来ません。子供は何もせず親の言いなりになっている方が親も喜ぶので、成長しないでおこうと幼児決断をします。
また、「成長するな」と「何々するな」は似ています。
それは、成長するには様々な体験が必要であり、何々するなという禁止令を持っていますと、当然何も人生体験をせず、結果として成長しないことにつながるのです。

ｄ　子供であるな
子供時より年齢相応以上の態度行動を求められた場合です。兄弟の面倒をみること、家事手伝い等を要求され、子供からのびのびする自由を奪ってしまいます。大人になっても能力以上にガチガチに頑張ってしまったり、自由なのびのびとした心を失ったままです。
子供であるなという禁止令ではありますが、常に相応以上に頑張らなければならない等のべき論でもあります。

ｅ　男の子であるな、女の子であるな
親が望んだ性と違う性で生まれた子供に対して与えられます。男子には女の子の格好、女子には男の子の格好をさせたりと、また、親が自分の性とは逆の性行動をすると喜ぶので、大人になった時、自分の性を受け入れられなくなってしまうかもしれません。

ｆ　正気であるな、健康であるな
子供が普通に健全に過ごしている時には親は構いませんが、病気等になった時は熱心に世話をします。
子供からすると病気の時だけ親から大切にされるので、健康でない方がメリットがあるとなってしまいます。疾病利得。

上記以外にも「成功するな」「所属するな」「重要であるな」「考えるな」「感じるな」等様々な禁止令があります。

禁止令の内容を見ていますと、自分が自分であることを放棄しているように感じます。
積極的なべき論は社会に対して過剰適応、自分に対して過剰な頑張りを行い、無理をして辛い思いをしますが、この禁止令「～～するな」「～～であるな」は自己存在の抹消につながるようにも感じるのです。

さて、「～するな」「～～であるな」という禁止令ですが、これは私たちが小さい頃の幼児決断に基づくものであり、その決断に基づき禁止令を受け入れ人生を歩んでいるのです。幼児の時にいかに生きるかの人生脚本を描いたのです。
でも、脚本は書き換えることが可能です。

禁止令が幼児の時の決断に基づいているものであれば、その決断に気づいた時、今の私たちはこれからいかに生きるか、禁止令を放棄して、新たに再決断することは可能なのです。

幼児の時とは違う決断を再度することにより、「～するな」ではなく「～してもOK」「～してみよう」と再決断を行い、新しい脚本のもと新たな人生を送ることが可能なのです。

参考文献　
杉田　峰康　国谷　誠朗　共著
脚本分析　株式会社チ－ム医療　発刊

      
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   <title>人と親しくなるには－２</title>
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   <published>2008-09-19T13:21:12Z</published>
   <updated>2008-09-22T05:57:27Z</updated>
   
   <summary>２　自分が話すこと　自己開示をためらう 人の話しを聞くことは出来るのだけれども、...</summary>
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      ２　自分が話すこと　自己開示をためらう

人の話しを聞くことは出来るのだけれども、自分が話すのは苦手と言われる方がおられます。

自分が話すことが苦手とは何を意味しているのでしょうか

ａ　話すスキルに自信がない
ｂ　話す話題がない　何を話して良いのか分からない
ｃ　話したあとの結果を気にし過ぎる

ａ　話すスキルに自信がない

私たちが自分のことを話す際に大切なことは何でしょうか。
人によっては相手が興味をひくように話すこと、おもしろおかしく話すこと、理路整然と話すこと、簡潔明瞭分かりやすく等、様々な答えがあると思います。

しかし、私は自分が話しをする際に大切なことは次の１つだと思っています。
「自分に正直に、一生懸命に話す」ことです。

人によっては物凄く話し上手な人がいます。それはそれだけのスキルがあるからです。
でも、スキルがなくても「自分に正直に、一生懸命に話す」ことは誰にでも出来ます。
今出来ることを精一杯すること、今の自分のコミュニケ－ションスキルを受け入れ、ありのままの自分を表現するのです。

コミュニケ－ションはスキルでもあります。スキルは経験、磨けば上達します。
したがって、スキルに自信がなくても、コミュニケ－ション、会話を促進することによって上達出来るのです。
逆にスキルがないからと、コミュニケ－ションを避けていては上達しません。


ｂ　話す話題がない　何を話して良いのか分からない

私は私自身趣味がなく、興味の範囲も狭い人間だと思っています。
カウンセリングや心理学の勉強には時間をかけますが、それ以外のことにはあまり興味がありません。
したがって人と話す際、話す話題がない、何を話して良いか分からないと感じる時もあるのですが、本当に何も話す話題がないのでしょうか？

いいえ、違います。

今まで生きて体験したこと、最近のニュ－スを見て思ったこと、感じたこと等、話す話題についてはいろいろと持っているはずです。

話す話題がないと主張される方は、自分が話す話題が相手に気に入られるだろうか、興味を持って聞いてくれるだろうかと考え過ぎているのかもしれません。
または、こんな話しをしてもいいのだろうかと、申し訳ないという気持ちもあるのかもしれません。

話しをするのに迷うことはありません。
「自分に正直に、一生懸命に話す」ことが大切なのです。


ｃ　話したあとの結果を気にしすぎる

自分が話すということは、例えそれが時事の話しであっても、自分がそれをどう感じたのかということを開示する必要が出てきます。
したがって、自己開示を伴うのです。
しかし、人によっては自己開示をした後、相手からどう思われるかが気になって、自己開示が怖いと言われる方もおられます。

しかし、相手がどう思うかは、これは相手の反応責任であり、話し手の責任ではありません。
話したあとの結果、相手の反応を気にし過ぎる人は、どこからどこまでが自分の責任か、きっちりと境界を考える必要があります。


３　自分が話すことばかり考えて１人相撲を取っている

コミュニケ－ションは話し手と聞き手がいて成り立ちます。
しかし、人が話している時に自分が何を言おうと考えていては、相手の話しをきちんと聞いておらず、すれ違いのコミュニケ－ションに陥ってしまうかもしれません。

また、自分が話すことに夢中になってばかりいて、話しを聞いてる相手の反応を無視しても、すれ違いのコミュニケ－ション、または相手を無視したコミュニケ－ションとなってしまうのです。

自分が話す時は焦らず、相手の反応を確認しながら、ゆっくりと進めていきましょう。


４　話しが合わない　価値観が違い過ぎる

人は様々な価値観、興味を持って生きています。
人によってはまったく価値観が正反対で話しをしても理解出来ない人もいます。
それは、それでいいのです。
とりあえず話しはお互いにして、分かりあえない部分はそれはそれで置いておきましょう。

自分を１００％理解してもらおう、受け入れてもらおうと、我を強く出しては逆効果です。
これは、相手からすると価値観の押し付けであり、否定と攻撃行動とも捉えかねません。

大切なことは自分も相手も大切にしたコミュニケ－ションであり、自分を１００％認めてもらうことではないのです。
これは、自分の主張を大切に、かつ意見の違う相手も認め大切にすることなのです。
違いは違いであり、間違いではありません。
そして、多くを期待しないことも大切かもしれません。



さて、ここまでは話しを続けるためには、そして続かない原因等について書いてきました。

再三書いていますが、人と親しくなるためには、自己開示、自分とは何者であるか、自分の情報を開示する必要があります。
しかし、人によっては開示した情報に反応されない方もおられます。
これは相手の反応問題であり、自己開示をした側の問題ではありません。

人と親しくなること、親密化の過程は様々です。

様々なことを共有（話題、趣味、価値観等）したり、更には悩みの相談と、共有出来る範囲は、親密の程度と比例していると思います。
そして、深い親密を図るためには、お互いの自己開示と相互理解が何よりも必要なのです。

そして、最後に。

自己開示をするためには、自分が何を思い、何を考え、何を感じているか、自分が自分を理解している必要があります。

しかし、生育歴等の影響でしょうか、自分を抑えてばかりいる人は、自分が何を思い、考え、感じているかを感じにくくなっている人たちがおられるのも事実です。

これは、常に自分を抑え続けてきたことが原因だと思います。

ただ、自分を抑える習慣がついているだけです。

自分を解放出来れば、自分が何を思い、考え、感じているか。

必ず回復します。



      
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   <title>人と親しくなるには－１</title>
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   <published>2008-09-19T12:48:01Z</published>
   <updated>2008-09-19T06:49:20Z</updated>
   
   <summary>前回よりアサ－ションについて書いてきました。 アサ－ションは適切な自己表現であり...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.office-stella.com/renai/">
      前回よりアサ－ションについて書いてきました。
アサ－ションは適切な自己表現であり、人との関係を築くのには大変重要です。
そして、人との関係を築くゴ－ルに、「親しくなる」ということがあると思います。

実はカウンセリングをしていますと、「人と親しくなれない」という悩みで来談される方が結構おられます。

では、人と親しくなるとは、どういうことを指すのでしょうか。

これには思ったことを素直に話す、相手の話しをきちんと聞く、きちんと自分の意見を言う、人を笑わせる、会話をリ－ドする、場を盛り上げる等、人様々あると思います。

私は、私個人として親しくなるとは何かと考えますと。
「お互いが自分の気持ちに正直に話し合える関係」と答えます。

これはお互いが思っていること、考えていること、感じていることを率直に正直に話し合える間柄と言葉を変えてもいいと思います。
そこには、自分の話しをする、相手の話しを聞く、お互いの違いを認め合うことが不可欠です。

そして、上述の人を笑わせる、会話をリ－ドする、場を盛り上げる等については、自分が率先して人の輪のなかで行う行為ではありますが、そこには心の交流があまりなく、ただ楽しく騒ぐだけの関係のような気がして、私にとっては興味のない人との関わり方です。

では、今回の「人と親しくなる」というテ－マを書き進めるにあたっては、「お互いが自分の気持ちに正直に話し合える関係」、「お互いが思っていること、考えていること、感じていることを率直に正直に話し合える間柄」をポイントとして書いていきたいと思います。


それでは、まず人と親しくなるために１番大切なことは何でしょうか？
私は、「相手の存在を認める」ということだと思います。

そして人の存在、相手の存在を認めるために一番大切なことは？
それは挨拶です。

挨拶が出来なければ、挨拶をしなければ、相手の存在を無視していることにつながり、そこから人間関係の発展性はありません。

では、挨拶をしたあとさらに人間関係を深めるためには何が必要でしょうか。
それは雑談です。

おそらく多くの方は、挨拶は出来るのだけれども、この雑談が難しくて悩んでおられるのではないでしょうか。
そして、この雑談にも様々あります。

あたり障りのない話しから始まって、趣味の話し、共有出来る話題の話し、悩みの話し等、雑談の深さは、自己開示の程度とそれと並行する付き合いの程度により様々です。

では、人と親しくなれないと悩まれている方は、どの程度の内容の雑談が出来なくて悩まれているのでしょうか。

よく雑談が出来ないと言われる方の共通の悩みとして、「話しが続かない」ということがあります。

話しが続かないということには次のことが考えられます。

１　相手の話しを聞くスキルを持っていない
２　自分が話すこと　自己開示をためらう
３　自分が話すことばかり考えて１人相撲を取っている
４　話しが合わない　価値観が違い過ぎる

人と親しくなるために必要なことは、相手の存在を認め、そしてお互いが自己開示を行い、お互いが知り合うことが大切です。
自己開示とは自分の趣味、思っていること等、自分とは何者であるかの情報を相手に提供することであり、自分を知ってもらうことでもあります。
そして、相互に自己開示をするためにはお互いのコミュニケ－ションが必要になってくるのです。


１　相手の話しを聞くスキルを持っていない

「話し上手は聞き上手」と言われています。
コミュニケ－ションの基本は相手の話しを聞くことなのです。
相手がせっかく話しを始めても、自分がその話しを受け止めないと、相手は一方通行のコミュニケ－ションをしてしまい、話し始めたことを不本意に感じてしまうでしょう。

したがって話しを聞く側としては、話しをしている相手が話しを続け易い雰囲気をつくってあげることなのです。
これは、「いかに相手の話しを聞くか」ということです。

話しを聞くために大切なことは、相手の立場に立ち、伝えたい内容と意味の把握、またその時の気持ちを感じてあげ、そして話しを促進する対応です。

大切なことは、まずは相手に話してもらうということなのです。
相手は何らかの目的を持って話し始めたのですから、その目的を達成させてあげることです。

きちんと受け止めて話しを聞いてあげれば、話し手は興味を持って話しを聞いてもらったことに満足を覚えるはずです。
自分を受け止めてもらっている、自分の自己開示をした目的を果たすことが出来、話しを聞いてもらった人に対して好意を持つと思います。


続きは次号で。


      
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   <title>アサ－ション・２</title>
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   <published>2008-09-17T12:25:57Z</published>
   <updated>2008-09-19T12:28:17Z</updated>
   
   <summary>前回、適切な自己表現、アサ－ションについて書きました。 アサ－ションとは自分の気...</summary>
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      前回、適切な自己表現、アサ－ションについて書きました。
アサ－ションとは自分の気持ち、感情、意見を大切に、かつ、相手にも配慮をして自己主張するものです。

そして、この場合優先するのは、まずは自分です。
自分を最優先してかつ、相手にも配慮するのです。

そして、アサ－ションとは対人スキルです。いかに話すか、受け答えをするか、スキルは意識することにより、訓練により、必ず獲得出来ます。

人との人間関係を豊かにするため、スム－ズに進めるためにアサ－ションは必要不可欠ですが、アサーションスキルを獲得していても、スキルを発揮出来ず、アサ－ションが出来ない場合があります。

それは、なぜでしょうか。
以下にその理由を見ていきたいと思います。


１　自分の感情、気持ちを分かっていない
２　人に対する共感能力を培っていない
３　自分を優先する気持ち、大切にする気持ちを持っていない
３　アサーションスキルを発揮することにＯＫを出していない

１　自分の感情を分かっていない
アサ－ションとは自分の感情や気持ち、意見を大切に人と接するスキルです。しかし、自分の感情、気持ち、意見等について、自分が何を感じ。何を思っているのか分かっていないと、当然相手に何を伝えていいのかも分かりません。したがって何を表現していいのか分からず、アサ－ションは出来なくなるのです。

２　人に対する共感能力を培っていない
アサ－ションとは相手の気持ちを配慮して行います。したがって相手の気持ちを感じとる能力がないと出来ません。
例えば、パ－トナ－から映画に行こうと誘われましたが、都合が悪く一緒に行くことが出来ません。
ここでアサ－ションを用いて映画の誘いを断る場合は、「映画を断ったらがっかりするだろうな」という共感能力が必要です。
⇒「がっかりさせてゴメン」等、断られたパ－トナ－の気持ちを感じながら自己主張する必要があるのです。
したがって、ある程度共感能力を培っていないとアサ－ションは難しいと思います。
また、共感能力といっても１００％相手の気持ちが分かることは不可能です。
ですから、想像の範囲内の共感でいいのです。

３　自分を優先する気持ち、大切にする気持ちを持っていない

アサ－ションとはまずは自分の気持ち、意見を大切に優先することを前提として行います。
したがって、自分を優先することが出来ず、他者の気持ち、意見を優先してしまいますと、アサ－ションは出来なくなってしまうのです。
この場合どうして他者を優先してしまうのか、考える必要があります。
他者の気持ちや意見を優先するということは、それを叶えるために、自分を抑える、自分を軽んじることにつながります。

４　アサーションスキルを発揮することにＯＫを出していない

アサ－ションのスキルはあるのだけれども、スキルを発揮する勇気を持っていないのかもしれません。それは、何かに遠慮をしているのでしょうか。または自己主張することで嫌われることを恐れているのでしょうか。この場合もなぜ、自分がスキルを発揮出来ないのか、何をためらっているのか、自分を見つめなおす必要があるでしょう。

以上、アサ－ションのスキルの発揮を抑えていることについて４つ書いてみました。


さて、このアサーションですが、すべての人に対して行う必要があるのでしょうか。

アサ－ションの基本は自分を大切にすることです。
そして、相手にも配慮をします。
したがって、コミュニケ－ションの相手にも自分に対して配慮をしてもらう必要があるのです。
しかし、人によっては、こちらの気持ちを無視して、自分の意向のみズケズケ言ってくる人もいます。

このような人たちにアサ－ションを心がける必要があるのでしょうか。

私は必要ないと思います。

私自身生活をしている場において、すべての人に対してアサ－ションをしているわけではありません。
人によって使いわけています。

挨拶をするだけの人もいます。
コミュニケ－ションをほとんど取らない人もいます。
用件のみの会話の人もいます。
それでも困りません。

いくらこちらが相手の気持ちに配慮をしてアサ－ションを行ったとしても、相手がそもそもその気持ちを持っていなければ、自分がしんどい思いをするだけだと私は思うのです。
だから、この人たちとはアサ－ションではなく、必要最低限しか話さないのです。

どこまでの人たちに対してアサ－ションを心がける必要があるのか、人によって様々意見があると思います。

いずれにせよ、重要なことは自分を大切にすることだと思います。


アサ－ションについてお勧めの本。

平木　典子　著
アサ－ション・トレ－ニング
（株）日本・精神技術研究所　発行
（株）金子書房　発売





      
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   <title>アサ－ション　適切な自己表現について</title>
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   <published>2008-08-27T12:30:12Z</published>
   <updated>2008-09-17T02:41:51Z</updated>
   
   <summary>自己主張。 私たちは自分を主張すること、特に相手に対して自分の希望、期待、欲求（...</summary>
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      自己主張。

私たちは自分を主張すること、特に相手に対して自分の希望、期待、欲求（これらの中には断ることも含みます）を主張することに難しさを感じることが多々あります。
それはなぜでしょうか。

それは、私たちが自己主張したあとの影響を考えてしまうのかもしれません。
嫌われるのでは、怒らせてしまうのでは等。自分の主張に対する相手の反応を過剰に意識してしまうのです。
また、自己主張することの難しさとして、自己主張するスキルを磨いていないのかもしれません。

でも、適度に自己主張しないと人間関係がうまく築けないことは皆さんもご経験あるのではないでしょうか。

例えば相手に「こうして欲しい」といった要求を伝えることが難しいとします。
これを我慢をすると、なぜ相手は私の要求、思っていることに気がつかないのだろうと怒りが生じます。
しかし、残念ながら私たちの要求は伝えないと分からないのです。

また、あなたが相手から頼みごとをされた時、どうしますか？
都合が良ければ快諾するでしょうが、都合の悪い時は？
断りますか？どのようにして。どのように相手に対して断りますか？
また断れない場合はどうしますか。無理をして相手の頼みを聞きますか。
しかし、無理をして相手の頼みを引き受けた結果、あなたは余計な仕事や用事を抱え込み、ストレスを抱え込んでしまうかもしれません。
相手の要望や頼みごとを断るにはいかに話しをするか。

自分の要求や期待を相手に伝える、嫌なことは断る。
このために大切なことは何でしょうか？
それは、自分の気持ちに正直に、しかも相手を責めるのではなく、傷つけるのでもなく相手に伝える。
自分の感情を尊重しながらも、相手の感情も尊重して、自分の気持ちを伝えることが大切です。
この、適切な自己表現のことをアサ－ションと言います。

では、ここで私たちが人とのかかわりにおいていかなる態度で自己主張をするか、その４パタ－ンについて簡単に書きます。

１　直接攻撃的
常に相手を攻撃して自己主張をする人です。

２　間接攻撃的
自己主張をする際、同意したように、または自分が悪い振りをしながらも、相手に罪悪感を抱かす自己主張です。

３　非主張的
自己主張をしません。常に我慢をし続けます。

４　適切な自己表現
自分も大切に、相手も考慮した自己表現を行います。

では、この４つのパタ－ンをもとに２つの事例をみていきましょう。

事例１
今日はあなたの誕生日です。しかし、パ－トナ－はあなたの誕生日をすっかり忘れているようです。プレゼントもお祝いの言葉もかけてくれません。

１　直接攻撃的
今日は私の誕生日。忘れたの？
プレゼントはないの？
いつもながら忘れることにかけては天下一ね。

２　間接攻撃的
今日は私の誕生日だったのに忘れたのね。どうせ私は誕生日を祝ってもらう価値のない人間ですから、いつもいつもそう。慣れています。

３　非主張的
何も言わない。

４　適切な自己表現
今日は私の誕生日。覚えてる？
ここでは相手に対して覚えていると投げかけて、相手の言葉を待っています。
そして、相手の反応に合わせて、お祝いして欲しかったこと等相手を責めることなく自分の気持ちを伝えます。
例えば「忘れられているのは淋しいけど、また埋め合わせしてね」。
⇒自分の気持ちを正直に相手を責めることなく、サラリと伝えることが出来ます。


事例２

職場で同僚より仕事を手伝って欲しいと言われました。しかし、あなたの仕事量は手一杯で応援する余力はありません。

１　直接攻撃的
私は今忙しいの。見て分からない？

２　間接攻撃的
手伝うことは出来ますよ。でも、またひとつ急な仕事が増えて大変。
（ため息を効果的に使います）

３　非主張的
「はい」と断ることが出来ず引き受けます。

４　適切な自己表現
ごめんなさい。今仕事が一杯で手伝えません。また、手が空いたら声をかけます。

どうでしょう。
あなたの自己主張パタ－ンは４つのうちどれですか？
最も活用したい理想的なパタ－ンはどれですか？

やはり適切な自己表現、アサ－ションを用いた自己表現ではないでしょうか。

では、他の３つの自己表現について各々問題をみていきたいと思います。

１　直接攻撃的
相手を責める行為を常にしていますと周囲からは恐がられるでしょう。また、恐がらせている相手は我慢しているわけですから、いつ逆襲されるか分かりません。
いずれにせよ、人間関係を築くのは難しいと思います。

２　間接攻撃的
この態度を取りますと、一見相手からするとおとなしく頼みやすい相手のように思われます。しかし、何かある都度、相手に罪悪感を抱かすような態度を取り続けますと、相手はそれを不快に感じます。
また、罪悪感とは相手を操作することが可能です。何か頼みごとをしても、「自分は忙しいけれど、仕方がないから引き受ける」と、相手に罪悪感を抱かす態度で接しますと、相手は自分が悪いことをしたのかなと、頼みごとを引き下げることも考えられます。これは、罪悪感による相手の行動を操作したことなのです。

３　非主張的
何事も要求しない、拒絶しない態度で日々過ごすとどうなるでしょうか。
これは我慢、抑圧の世界です。しかし、人は完全にすべてを抑圧し続けることは出来ません。過剰な抑圧は怒りに変わります。何かの拍子に人に対して激しい怒りをぶつけるかもしれません。俗に言う、切れるということです。また、怒りが外部に向かない場合は自分自身に向き、鬱病を始め、身体、心理状態に負荷がかかるかもしれません。

いずれにせよ、自分を大切に、かつ相手の感情も尊重をした主張をしないと、人間関係はもとより、自分自身にも不都合が生じるのです。

アサ－ションとは人間関係を築くうえで大切なものなのです。

次回は、意識してもアサ－ションが出来ないことについて書きたいと思います。



      
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