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      <title>心の悩み相談集</title>
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         <title>夫婦関係において、妻の仕事を評価・操作して妻を支配する夫の戦略</title>
         <description>社会人の恋愛においては男女とも仕事に就いている場合が多いと思います。そして結婚へと至る場合は、通常は男性は仕事を継続します。しかし、女性の場合は次の３つに別れます。仕事を継続する、今の仕事は退職して時間的に余裕のある仕事（派遣・パ－ト）に転職する、仕事を辞めるの３パタ－ンです。

では今回のテ－マ。
夫が妻の仕事を評価・操作して支配、コトロ－ルする場合にはどのような方法があるのでしょうか。

方法は２つに大別されます。
１　妻に仕事は継続してもらい経済的には自立させながらも支配する
２　妻に仕事を辞めさせて支配する

１　妻に仕事は継続してもらい経済的には自立させながらも支配する
経済力。これはひとつの力です。妻が仕事を継続するということは夫婦関係において力を持つということでもあります。
通常の夫婦では夫婦共働きの場合は、お互いが夫婦生活の維持、及び２人の夢（子育てのための資金、マイホ－ム購入等）ために働いているのですから、家事も分業して結婚における役割負担を公平に分担しようとすると思います。

また、妻が経済力を維持するということはいつでも独立出来る力を維持しているのですから、夫婦関係、夫婦生活に何らかの問題が起こってたとしも、夫は妻の言い分を良く聞き、２人共了解を得られる問題解決方法を探し、関係の維持を図ろうとすると思われます。

すべては妻が経済力という力を持っているからです。

では、夫が妻に経済力を維持、経済的には自立させながらも支配させる方法とはどのようなものでしょうか。

Ａ　精神的暴力　認めない
妻の仕事を認めせん。「大した仕事に就いているわけではないだろう」と言いながらも、「他に何も出来ないのたがらその仕事をしておけ」等。
夫には妻の経済的利得が必要であり、その利得権は維持しながらも、相手の仕事に対する評価は絶対にしません。
また、次のように言うかもしれません「どうせ家のことは何も出来ないのたがら、今まで続けてきた仕事をして少しでも金を稼げ」と。
この場合も妻の家事に対する無能力を勝手に決めつけながらも、仕事は維持させ経済的利得は得ようとしています。

ここにおける共通の戦略は、妻の仕事は認めないという方法です。
相手のしていることを認めないということは、その相手の自己価値を下げる効果があります。
毎日「どうせお前の仕事は大したことがない」と言われ続けますと、人によっては自分は本当は夫の言う通りなのだろうか？と自分に疑問を持つかもしれません。

また、夫の狙いとしては妻の仕事は認めない、家事能力も認めない。何も認めないことによって、妻を絶対的に自分に従わせたいのかもしれません。
「認めて欲しければ俺の思うようにしろ」「金よこせ」と。
前回も書きましたモラルハラスメントの可能性もあるでしょう。

また、お金を稼ぐ道具として結婚を求めていたのかもしれません。やがて夫は妻が働いてきた給与を取り上げ自分の趣味や遊びにつかい始めるかもしれないのです。
いずれにせよ、罪の意識を持たない、自分勝手な人格障害レベルのようです。

妻の収入は当てにするが、人として尊重はしないのです。

このタイプの男と結婚してしまった場合、一体どうすればいいのでしょうか。
カウンセリングが有効な場合は、本人が変わりたいと強く思っている時です。自分勝手な人格障害レベルの人がカウンセリングを受けて自分を変えたいと思っているとは思えません。また、第三者を変えるカウンセリングも出来ません。

したがって、悩んでいる妻、当人が今後の人生の問題、自分の問題として考える必要があります。
考えるポイントは次の１つです。「別れるか」「一緒に生活を続けるか」


Ｂ　同情を誘う　君なくしては生きていけない
ヒモ男に多いのではないでしょうか。すなわち夫は働くことはせず妻の収入を絞り取るのです。それも遊ぶために。
そして、愛想を尽かし縁を切ろうとした妻には次のように言います。「君に見捨てられたら生きていけない」「見殺しにするつもりか」等。
相手に見捨てることへの罪悪感を植え付け、同情を誘おうとするのです。

しかし、とどのつまりは遊ぶ金欲しさに一緒にいたいわけですから、深入りし過ぎれば、ギャンブルで負けた借金の返済まで背負うことになりかねません。

夫の心理は基本的には自立しておらず働きたくないのです。気持ちを入れ替えて働いてもらうためには、「離婚」をキ－ワ－ドに交渉してもよいかもしれません。
目を覚ましてもらうのです。

では、このタイプの男にかかりっきりになる女性の心理的動機は何でしょうか。

ａ　自己価値を上げるため　存在価値の証明
恋愛依存、共依存です。「この人には自分が必要」と信じ、相手に尽くすことにより自己価値を高めます。相手がいて面倒をみることに自分の存在価値があるので、その対象となる者と別れることは自分の存在価値がなくなってしまうので、別れることが出来ないのです。

ｂ　ダメ男を育てたい
父親と一緒にいる男を同一視します。子供時父親は家族を放っておいて自分だけ遊びまくるタイプでした。きっと淋しい思いをしてきたでしょう。
大人になった今、父親とそっくりのダメ男と一緒になり、その男を改心させきっちりとした男に成長させようとします。そして、子供時父親から得られなかった愛を、成長させた男から得ようとするのです。

ｃ　慣れ親しんだものへの愛着
この場合も父親が家族を省みない遊び人だったかもしれません。子供の時淋しい思いをしてきました、淋しく身勝手な父親がいる環境が当たり前の子供にとって、年月が流れて大人になった時、当たり前の淋しい環境、身勝手な男がいる慣れ親しんだ環境を求めるのかもしれません。また、淋しい環境が当たり前ということは、にぎやかな、愛情に溢れた家庭は想像が難しく、親しめない環境なのでしょう。

２　妻に仕事を辞めさせて支配する。
仕事をすることは経済力という力を持つことです。仕事を辞めるとはその力を失うことです。
夫が妻の仕事を辞めさせ支配しようとする場合は経済力を失わせ無力にするわけですが、実は仕事を辞めて失うものは経済力だけではありません。
仕事を通しての自己評価、やりがい、生きがい、職場仲間とのつながり、社会とのつながり等これらすべてを失ってしまうのです。

したがって仕事を辞めるとは孤独で１人っきりになることにつながるのです。
もちろん退職後習い事、サ－クル等に入って社会とのつながりを持っていれば話しは違いますが、妻を支配しようとする夫がそれを許すでしょうか。

夫のしたいことは妻の支配ですので、妻が家で日々１人孤独に過ごしてもらう方が都合がいいのです。

この場合の妻に仕事を辞めさせる夫の動機は、やはり精神的支配が強いと思います。

また、妻の収入が夫より高い場合も、夫の見栄、自己価値を守るために妻に仕事を辞めてもらうか、もしくは収入の低いパ－ト労働への転換を迫るかもしれません。

このように、今回は２つの方法を事例として紹介しました。


さて、本題からそれるかもしれませんが、私の個人的思いを書かせて頂きます。
私は結婚後も女性は仕事を継続された方がいいと思っています。
もちろん夫婦生活において家事分担が必要になってきますが。
今の日本社会は一度会社を辞めた人間には冷たいものです。正確に書くと評価されうる仕事に対するスキルを持っていない限り転職が難しいのです。
これは男女問いません。

また、女性は出産後離婚、子供を引き取るというリスクも抱えています。
結婚して寿退職。出産。離婚。子供を引き取る。再就職。
結婚退職後何年も会社勤めをしていない期間、ブランク期間が長ければ長いほど再就職は難しいです、
ですから、本当は出産後も会社に勤めていた方がいいのですが、なかなか日本の社会制度が理想に追いついていないのが現状です。

これは、心理カウンセリングの範疇ではないのですが、生き辛い社会の問題だと思います。


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         <pubDate>Mon, 14 Apr 2008 23:03:24 +0900</pubDate>
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         <title>破壊的恋愛　モラルハラスメント</title>
         <description>恋愛依存。
この悩みについては、心の悩み相談集でも何回か書きました。
恋愛依存者は自分の存在価値が希薄なため、また過剰な見捨てられ不安を抱えているため、パ－トナ－との過剰なつながりを求めます。
具体的方法としては尽くす、物理的な方法でつながつていることを常に確認する（電話・メ－ル）、これとは逆にパ－トナ－を失いたくないために暴力で脅すこともあります。

いずれにせよ、パ－トナ－と別れたくない症候群であり、常に何らかの方法を駆使して、自分の側に留め置きたい関係性の依存と言えます。

今回はこのパートナ－を手放したくない恋愛依存者と一見似ていると思われる、恋愛夫婦関係における「モラルハラスメント」について書きたいと思います。

モラルハラスメント。
この言葉から何を連想しますか？
様々な定義があると思いますが、ひと言でいうと、精神的暴力と言ってもいいと思います。

精神的暴力とは相手を認めない、何をしても相手を否定する、バカにする、嫌そうにする、無視する等様々な態度をとることにより、相手の価値を落とし、その精神を追い詰めていきます。

さて、モラルハラスメント＝精神的暴力として書かせて頂いたのですが、重要なのは、なぜ、精神的に相手を追い詰めるのか、その動機です。
心理的動機があって行動が促進されるのですから、その動機は重要です。

アダルトチルドレンも、常に自分が正しいという認識のもと、パ－トナ－を否定して精神的に追い詰めることはよくあります。
それは、アダルトチルドレンが親からそのような育てられ方をされたからです。
子供の頃親より「親は正しい、お前はダメだ」「子供は親の言うことを聞いていればいい」等否定され追い詰められる育てられ方をされると、大人になりパ－トナ－と一緒になった際、自分が親にされたのと同じことを、パ－トナ－や自分の子供にしてしまいます。
したがってこの場合の心理的動機は、「自分は正し」「自分の言うことを聞け」という親からの生育の過程で身に浸み込んだものとなります。

また、対人行動の未学習の観点から考えても、パートナ－を精神的に追いこむ方法しか知らないのです。

また、恋愛依存者はパ－トナ－と別れたくないがために、パ－トナ－を精神的に追い詰め無力化を図り、自分の側から離れられないようにする場合があります。
この心理的動機はパ－トナ－と別れたくないという思いです。関係性の依存です。

さてでは、モラルハラスメント加害者によるパートナ－を精神的に追い詰める心理的動機、背景とはどのようなものがあるのでしょうか。
マリ＝フランシス・イルゴイエンヌ著、「モラル・ハラスメント　人を傷つけずにはいられない」、イザベル＝ナザル・アガ著、「こころの暴力　夫婦という密室で　支配されないための１１章」の２冊（共に紀伊国屋書店刊）の文献をもとに記述していきたいと思います。

モラルハラスメント加害者は過剰な自己愛性人格者です。したがって、自分はＯＫ、他者はＮＯという人生態度を持ち生活しています。
基本パタ－ンは「悪いのはすべて相手の責任」であり、また過剰で変質的な自己愛から、「他人を人間として考えることができないという＜能力の欠如＞と、自分のためにすべてを利用しようとする＜冷たい合理性＞が組みあわさってできたもの」となっています。

したがって自己愛が強く、共感能力のない自分勝手なモラルハラスメント加害者はパ－トナ－に対しては、恋愛感情ではなく自分の価値を高めるための道具として接することになります。
自分の価値を高めるためにパ－トナ－を必用とするのであれば、パ－トナ－に対して日々どう接するでしょうか？
それはパートナ－の価値を貶めることが一番です。
したがって、認めない、否定する、バカにする、嫌そうな態度をとる、他者と比較して侮辱する、曖昧な自己表現を行い混乱させる、敢えて嘘を言い恥をかかす等様々な手をつかうのです。

そしてパートナ－を無力化して支配します。
しかも、恋愛依存者のパ－トナ－を手放したくない思いから無力化して縛りつけるのとは違い、パ－トナ－をいだふることに快感を感じ、これでもかと落とし精神の破滅に追いやるのです。
すべては、自分の自己愛を満たすため。自己の優越性確認のためです。

例えば、恋愛依存者でしたらパ－トナ－があまりにも傷つき「別れる」とでも言いようものなら、土下座してでも謝り、自分に対して罪悪感を感じるでしょう。
しかしモラルハラスメント加害者は共感能力に欠けており、パ－トナ－の別れの言葉を聞いても罪悪感を抱くことはありません。
しかし、パートナ－がいなくなると自己の優越性を確認する相手もいなくなり、自己価値も低下してしまうので、口先だけでは謝るかもしれません、しかし反省はしません。
なぜなら、そもそも１人の個としてパートナ－の存在を認めていないからです。自分に必用な道具なのです。

モラルハラスメント加害者はパ－トナ－を侮辱して支配することにより、自分の存在を満たすという人格障害レベルです。
しかも頭の回転は基本的に早く、演技性も高いです。
一見この人がモラルハラスメント加害者とは周囲は信じられないようです。そして、逆にいじめぬかれ取り乱しているパートナ－の方が、常軌を失していると誤解されることもあるようです。

ではモラルハラスメント加害者はどのような人をいけにえとして選ぶのでしょうか？
それは、そもそも自己価値の低い、罪悪感を感じやすい人です。
モラルハラスメント加害者は、最初はパートナ－に対して自分の人生の悲惨さや、苦労話を開けらかせ（作り話かもしれませんが）、パートナ－の同情を誘うパタ－ンがあります。
そして、パートナ－はモラルハラスメント加害者を何とか元気ずけよう、側にいてあげようと振る舞い、やがてはモラルハラスメント加害者の罠にはまっていくのです。

では、一度モラルハラスメント加害者と関係を築いてしまった場合はどのようにすればよいのでしょうか。
２人の著者が共通して言っていることは、「別れること」。
これしか方法はないようです。

そもそも、モラルハラスメント加害者は変質的な自己愛性人格者です。
自分はＯＫ。他者はＮＯです。
モラルハラスメント加害者をカウンセリング等で変えることは不可能なのです。

ですから、モラルハラスメントのパ－トナ－がまず加害者と別れ、そして傷ついた自己価値、心を癒し、立て直すしかないのです。

参考　自己愛性人格障害者（パーソナリティ障害）の定義を、精神疾患マニュアルの分類と診断の手引き　DSM－Ⅳ－ＴＲより参考のため記述します。

自己愛性パーソナリティ障害

誇大性（空想または行動における）、賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる、以下のうち５つ（またはそれ以上）によって示される。

①
自己重要性に関する誇大な感覚（例：業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する）。
②
限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
③
自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に（または施設で）しか理解されない、または関係があるべきだと、信じている。
④
過剰な賞賛を求める。
⑤
特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
⑦
共感の欠如：他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
⑧
しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
⑨
尊大で傲慢な行動、または態度。
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         <pubDate>Thu, 03 Apr 2008 23:23:27 +0900</pubDate>
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         <title>期待と怒り　期待を手放す</title>
         <description>「あいつは私の気持ち、期待を理解出来ない」
「期待はずれな奴だ」「あれだけいろいろとして目をかけてやったのに」
期待に対する拒絶に対して、激怒して怒りをぶちまける人がいます。

でも、ちょっと待ってください。
本当にその怒り、妥当なものなのでしょうか。

他者に対する期待。
期待とは自分の理想の通りに相手に行動して欲しい、または、そうなって欲しいことと解釈出来ると思います。

さて、ここで問題がすでに出ています。

「自分の理想通り」です。
自分の理想とは何から構成されているのでしょうか。
それは自分の思い、知識、知恵、夢、あるべき論（思考）、学んだ社会一般常識等様々です。

ここで重要なことは、すべてが自分を基準にしているということです。
人によっては他者に対する思いからくる期待は、他者に対する思いやりからきており、それは純粋な感情だと、言われる方もおられるかもしれません。
しかし、残念ながら他者に対する思いやりや、感情反応もそれを思っている者の反応であり、主観でもあるのです。
ですから、相手に対する期待とは、すべてにおいて自分が規準になっていると言ってもいいのです。

こう考えますと相手に対する期待とは、自分の基準を相手に当てはめるということになります。
しかし、自分の期待を相手に当てはめることが悪いのかと言うと、必ずしもそうとは言えません。

実際、相手にこうなって欲しい、こういう行動をして欲しいという、相手に対するヴィジョンには社会生活を送るうえで好ましいものも数多くあるからです。

だからと言って、やはりそれは自分の主観に基づく期待であることにかわりはありません。
では、相手に期待するうえで大切なことは何でしょうか。

相手に期待に沿ってもらうには、必ずこうして欲しい、こうなって欲しいという要望、意志表示をするはずです。
ここまではＯＫです。
それは、ここまでは自分の意志表示に係る部分だからです。

問題は次です。
期待を言われた相手は必ずそれについて何らかの意志表示をします。
受け入れる、拒否、保留です。

分かりますか。相手はこの３つの態度のいずれかを意志表示するのです。
と、いうことは、あなたの期待に対して、相手は３つの選択肢を持っているということです。
これを選択する権利、選択権と言います。

あなたが自分の期待を相手に話す発言する権利があるのと同等、相手にはあなたの期待に対してどうするのか、選択権があるのです。

そして相手の選択権を尊重するということは、相手があなたの期待に沿わない意思表示をしたとしても、それを尊重することであり、それ以上相手に自分の期待を言う必要はありません。
もちろん、期待を受け入れそのように行動したいと意志表示があったのでしたら、応援をしてあげればいいのです。

もし、相手があなたの期待に沿わないことに対して、あなたが必要以上に相手に自分の期待に沿うことを執拗に要求するなら、相手はあなたに対して反感を抱きます。それは、自分の意思決定、主張を否定して、なおかつ要求し続けられるからです。自分に対する攻撃とみなすかもしれません。
そうすると、今度はあなたが相手から攻撃されることになるのです。

当然ですよね。相手の選択権を尊重しないということは相手の人権を尊重しないのと同じことですから。

「でも」と、あなたは言うかもしれません。
「絶対にこうした方がいいのに」。
確かもそうかもしれませんが、先述した通り、相手には選択する権利があるのですから。
引くことも大切です。
仮に相手があなたの期待を受け入れず失敗したとしても、それは相手の問題です。
自らの選択権を行使してあなたの期待に基づく提案を拒否して、他の行動方法を選び失敗したのは相手の選択権それに基づく行動の問題なのですから。
これはあなたの問題ではないのです。
自分の権利、相手の権利との間にしっかりと境界を作りましょう。

また、相手が期待を受け入れることを意思表示した場合でも、時間が経ち期待に沿って行動することを、やめると意志表示することがあるかもしれません。
これも、相手の選択権です。
続けること、やめること共に相手に選択する権利があるのです。

しかし、この場合問題が出てくるかもしれません。
例えば相手があなたの期待に沿い目標を設定して、あなたがその目標達成のために経済的援助等をしている場合です。
この場合ですとお互いの契約が交わされているのですから、一方的に期待に沿うことをやめる、設定した目標を破棄することは契約違反になるかもしれません。
残念ながらこうなると心理学ではなく、司法の出番となります。

また、期待で大きな問題となるのは親の子に対する期待です。
しかし、この場合でも子供には子供の人権、意思決定、選択権はあります。
子供が嫌がるのにそれを無視して、自分の期待に子供を無理やり沿わせようと強権を発動することは、子供を親が呑み込む問題、機能不全家族、アダルトチルドレンの問題となりますので要注意です。

期待。
相手に対してこうして欲しいと唯一、言い続けてもよい場合は、公序良俗、法律に反しないことだけではないでしょうか。

仮に相手が社会通念上望ましくない何らかの姿を選択しても、それはその人の問題です。

期待を言い続ける、期待に沿わそうとする、期待を押し付ける、もし仮に相手が嫌々でもあなたの期待を受け入れ、そして失敗した場合、あなたはその責任を取れますか？
誰も人の人生に責任は取れません。

だからこそ、自分と相手にしっかりとした境界線をひくことが大切なのです。
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         <pubDate>Mon, 17 Mar 2008 21:07:09 +0900</pubDate>
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         <title>恋愛依存　パ－トナ－を縛る６つの戦略</title>
         <description>前回恋愛依存者の恋愛におけるアイディンティティ獲得について書きました。
それは、自己存在の不確実感をパ－トナ－と一緒になることにより、アイディンティティを獲得しようというものです。
したがって恋愛依存者にとって、パ－トナ－との破局は自己存在の喪失にもつながり、破局は恋愛依存者にとって致命的な辛さを与えてしまうのです。

恋愛依存者のそのことを意識的、無意識的に感じており、パ－トナ－との破局を避けるため、パ－トナ－を自分の手元に置いておくため、あらゆる方法を用いてパ－トナ－を縛りつけます。

今回は恋愛依存者のパ－トナ－を縛る方法、戦略について書きたいと思います。


１　力による支配
文字通りです。脅しとも言い換えてもいいかもしれません。パ－トナ－をあらゆる暴力で脅し、叩きのめし、自分の側から離れないようにするのです。
この暴力には直接パ－トナ－に当る場合と、間接的にパ－トナ－に当る場合（物に当る場合、子供に当る場合、子供を苦しめたくなければ言うことを聞け）があります。

また、暴力とは力による暴力、言葉による暴力共に指します。

そして、パ－トナ－は暴力を振るう相手を見て無力感、恐怖から逃げられず無抵抗となり、暴力を振るう相手のいいなりになります。
しかし、暴力を振るう側も、暴力を振るわれているパ－トナ－が我慢の限界となり、「別れる」と固い決意を表明したとたん、泣いて土下座をして謝り、今までを反省して、２度と暴力を振るわないことを誓い、暴力を振るっていたパ－トナ－に優しく接することもあります。
暴力を振るわれていたパ－トナ－はこの優しさこそ「本当の姿」と感激するのです。
まるで強弱、緩急の如く、これをコントラスト効果と呼びます。
そして、しばらくするとまた暴力が始まるのです。

さて、ここで気をつけないといけないのが暴力を振るっていたパ－トナ－が本当に恋愛依存者かどうかです。
相手をつなぎとめるために意図的に暴力を振るっていたとしたら恋愛依存者かもしれません。
しかし、そうではなく「逆らうな」「お前は言うことを聞いていればいいんだ」と自分本位な思い上がりで暴力を恒常的に振るっていたとすれば、発達のおける情緒の欠如、何らかの人格障害者かもしれません。
また、暴力によってしか自分を表現することを学んでいないのかもしれません。

いずれにせよ、暴力によって人を支配する行為は犯罪です。
充分な注意が必要でしょう。

２　弱さをＰＲする。
自分がか弱く無力であることを最大にＰＲします。「あなたに見捨てられたら生きていけない」という戦略です。
弱さをＰＲされたパ－トナ－は相手に対する同情、または別れることの罪悪等を感じてパ－トナ－のもとに留まざるを得ません。
しかし、いつまでも執拗に弱さをＰＲされ続けると、いい加減嫌になるのではないでしょうか。
弱さをＰＲする方法は、最後はパ－トナ－の怒りを買い見捨てられることにもつながります。
また、弱さをＰＲするのも考えものです。それは本当の自分の能力を値引くことであり、その結果さらに自己喪失の加速をかけるかもしれないからです。

３　尽くす
パ－トナ－に見捨てられないために尽くします。実はこれは下手に出る取引なのです。これだけ尽くすから、これだけしてあげるから見捨てないでねという取引です。
しかし、この戦略の問題は尽くされた側が、パ－トナ－の尽くす意図をどれだけ意識しているかです。尽くされた側としては、単にパ－トナ－が尽くしたいから尽くしているとしか捉えないかもしれません。
ですから、見捨てることはないとしても、自分の価値、用事を優先して尽くしてくれるパ－トナ－との約束等を次順位にするかもしれません。
そうすると尽くすことを戦略としているパ－トナ－は、自分の尽くしていることが報われないと勝手に怒るのです。
見捨てられないためにパートナ－に尽くすのは、尽くす側の勝手な行動なのです。
「これだけ尽くしているのに」「これだけしてやっているのに」と尽くしているパ－トナ－に怒りを表明した瞬間、２人の関係は終わるかもしれません。

４　罪悪感を抱かせる
パ－トナ－に罪悪感を抱かせることで自分の元に留めます。
パ－トナ－に罪悪感を抱かす具体的方法は、辛そうな顔つき、ためいき、沈黙、涙等があり、この非言語コミュニケ－ションのメッセ－ジは、「私が苦しんでいるのはあなたのせい、だからあなたは私の側にいなければならない」というものです。

この罪悪感を抱かせる恐ろしい方法は「死ぬ」ことを連想させることです。自殺をほのめかす、リストカットにはしる。自らの生命を絶つ危険性でパ－トナ－を脅し、そして、実際それが起こることを連想させることでパ－トナ－に罪悪感や恐怖を抱かせます。

罪悪感はそれを向けられたパ－トナ－を確実に縛ります。
しかし、これも弱さをＰＲすると同様、執拗にし過ぎるとパ－トナ－の怒りを爆発させます。それは「死ぬ」ことを連想させてもです。

なぜなら、「なぜ自分がこいつのために、こんなにも苦しまなくてはならないのか」。
「もう好きにしろ」と我慢の限界に達するのです。

５　嫉妬させる
パ－トナ－に罰を与える行為です。「君が相手をしてくれないから他の女性と親しくする」等。あからさまに行為を連想させる発言、またはその行動を見せつけることにより、パ－トナ－の嫉妬心を煽ります。
パ－トナ－は相手を失うのではないかという不安に悩み、また、パ－トナ－が他の異性に惹かれる、または付き合うのは自分に魅力がないからではないかと自分を責めるかもしれません。

いずれにせよ嫉妬した側はパ－トナ－を取り戻そうと様々な手を使うでしょう。

この戦略の怖いところは、嫉妬を感じたパ－トナ－の相手を取り戻すための手段方法です。
パ－トナ－に対して優しく振る舞ったり、性的に魅力的に振る舞いパ－トナ－の関心を得ようとするのはまだいいのですが、怒りに任して暴力で支配し出したら大変です。
また、嫉妬より重犯罪が起きることも周知の事実です。

嫉妬は悲しみ、不安、怒り、あらゆるネガティブな感情の複合体です。
嫉妬によりパ－トナ－を縛る戦略は大変危険なのです。

さて、ここまでの分類は、ハワード・Ｍ・ハルパ－ン著、ラブ・アディクションと回復のレッスン、学陽書房を参考にしてきました。

私はこれ以外にも次の戦略を１つあげたいと思います。

６　パートナ－を無能化する
パ－トナ－に尽くすと似ているかもしれません。
これはパートナ－の面倒を見ることです。
パ－トナ－のすべきことを先に手を打ちしていきます。すると、面倒を見てくれるパートナ－が何でもしてくれるので、面倒を見てもらうパ－トナ－は何もすることがなくなります。
そして、面倒をみるパ－トナ－は次のように思わせます。「私がいないとあなたは何もできない」と。

パ－トナ－に尽くす場合は下手に出るイメージﾞですが、パートナ－の面倒をみる場合は、上から高圧的に出るイメ－ジと思って頂けばいいのではないでしょうか。

いずれにせよ、他の戦略と同様パ－トナ－を支配するのです。


さて、ここまでパ－トナ－を自分のもとに留める方法、パ－トナ－を縛る戦略についてみてきました。

問題の本質は冒頭に書きましたが、恋愛依存者の自己不確実感、自己存在の希薄さです。
ですから、彼らは１人孤独になるのが耐えがたく執拗以上にパ－トナ－にしがみつこうとするのです。
これは「見捨てられることの恐れ」です。

なぜ、自分がパ－トナ－にこれほどこだわるのか、一度自分を振り返る必用もあるでしょう。
また、執拗にパ－トナ－から様々な戦略で支配されて身動きのとれない場合も、なぜ、自分がこのパ－トナ－のもとに留まっているのか、別れないのか、振り返る必用があると思います。

支配する側、支配される側、共に恋愛依存者かもしれないのです。

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         <pubDate>Thu, 07 Feb 2008 22:56:45 +0900</pubDate>
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         <title>恋愛破局　その辛さ（カップルのアイディンティティの崩壊・恋愛依存）</title>
         <description>恋愛における破局。
誰でも辛いものです。
でもなぜ、かくも辛いのでしょうか。

恋愛ですから必ずパ－トナ－がいるわけです。
パ－トナ－と別れることが、なぜそこまで辛いのか。

まずは辛さを考える前に、恋愛の意義について少し考えてみましょう？

まずは、パ－トナ－がいない時を考えてみましょう。
あなたはパ－トナ－がいない時、どのように気持ですか。または、どのような気持ちだったのでしょうか。
たぶん、「淋しい」「パ－トナ－と知り合いたい」「早くハッピ－になりたい」等、パ－トナ－との出会いを切実に望んでいる（いた）のではないでしょうか。

と、言うことは。私たちはパートナ－を見つけ、一緒になりたい気持ちを自然と持っているのです。

でも、なぜパ－トナ－、恋人、恋愛をここまで欲するのでしょうか？

心理学では心理的な「健全」について次のように言います。
「私たちは１人でも楽しめます。また、２人でも分かち合い楽しめます」
「私は１人でも大丈夫です」

これは定義です。
理屈はそうなのでしょうが、例え１人でも楽しめます、１人でも大丈夫と、自己宣言したとしても、その気持ち、心の欲求としてはパ－トナ－、好きな人、恋人には側にいて欲しいと思うのが本音だと思います。

では、なぜ私たちはパ－トナ－を求めるのでしょうか。
虚しさを埋めたい、孤独から逃れたい、楽しみたい、分かち合いたい、セックスがしたい等様々です。
どこまでが健全な理由でパ－トナ－を求め、どこまでが不健全な理由でパ－トナ－を求めているのでしょうか。

これは難しいです。

今回恋愛における破局の辛さをテ－マとして書いています。
そこでよりテ－マを限定したいと思うのです。でないとテ－マが大きすぎて書くことが難しくなるのです。

今回は「恋愛における、カップルのアイディンティティと破局」をテ－マとして書きたいと思います。

アィディンティティとは自分とは何者であるか、その存在証明のことです。

そして、恋愛においてはカップルは２人で１つのアイディンティティを形成するのです。
したがって、カップルは２人で１つの存在証明を行っているのです。
より正確に言うとカップルを形成している１人ひとりが、カップルを形成することで自分のアイディンティティをさらに獲得するのです。
「だれだれの彼氏（彼女）」「彼に尽くす私」「綺麗な彼女と付き合っている俺」「彼と週1回のデ－トが楽しみな私」・・・。

様々なカップルが存在して、カップルの数だけカッブルに参加する人の数だけアイディンティティが存在します。

問題は自分自身のアイディンティティを持っていない人が、カップル形成により、自らのアイディンティティを獲得しようとする場合です。

自分のアイディンティティを持っていないとはどのような場合でしょうか？
「自分が何のために生きているか分からない」「自分とはと聞かれても答えられない」「自分の好きなこと、したいことが分からない」等々、自分とは何者か、自分が何を考えているのか、自分は何を感じているのか分からない人たちのことです。

これは何を意味するのでしょうか？
自己存在の不確実感です。生きているということに対する空虚感ではないでしょうか。

したがって実体のない自己、アイディンティティのない自己のアイディンティティを獲得するために、カップルを形成しようとするのです。

愛する、愛されるを問わず、、彼もしくは彼女と一体となることに執着して、恋愛にのめりこみ、自己存在の虚しさ、苦痛の解放を図るのです。

すなわち「恋愛依存」です。
さて、破局についてです。

恋愛においては様々なカップルが２人で１つのアイディンティティを形成します。
先の定義、心理的に「健全」であろうが、なかろうがです。
ですから、誰でも破局は辛いものなのです。
今まで２人で楽しんでいたことが出来なくなる、楽しかった時間はもう味わえない、過ぎ去った時間に対する悲嘆等、様々な辛さを体験します。
そして、１人に戻っていくのです。

しかし、これが自分を持っていない、「恋愛依存」の場合の破局はさらに強烈な痛みを伴うのです。
それは、カップルになることにより、パートナ－と一緒にいることにより、自分のアイディンティティを築いていたわけですから、破局、１人になるということは、自らのアイディンティティの崩壊を意味するのです。自分を喪失するのです。

パ－トナ－と一緒にいることから得られる安心感、自己価値の獲得、存在意義、何でも決めてもらえる安全感、すなわちパ－トナ－にしがみつき、パートナ－と同化することによって、自分自身を形成していたのですから、パ－トナ－と別れ、もとの自己存在の希薄な状態に戻ることは耐えられないのです。
虚無の地獄へ戻るようなものなのです。

「恋愛依存」とは自分の存在価値をパ－トナ－に委ねてしまう症状でもあります。
自分の存在価値を相手に委ねてしまい、自身のアイディンティティを形成するのです。
したがってパ－トナ－のいない自分は無価値となってしまいます。

カップルは２人で１つのアイディンティティを形成します。
でも、それは自分自身のアイデインティティを形成したうえで、カップル、恋人、夫婦としてのアイディンティティを形成した方が健全なのです。

自分のアイディンティティを獲得するために、パートナ－、恋人を得る、結婚の道を進みますと、そのアイディンティティを失いたくないために、パ－トナ－に幸せの鍵を渡してしまうのです。

その結果パ－トナ－と常にいたい欲求が強く、見捨てられることへの不安も増大して、２人の関係性を維持するために、自分の本当の気持ちを抑圧したり、パートナ－を支配しようとしたり、様々な心理的葛藤も経験するでしょう。

「恋愛依存」からの回復には、まず自分自身のアイディンティティを築くことが重要なのです。
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         <pubDate>Wed, 23 Jan 2008 12:25:05 +0900</pubDate>
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         <title>プライドが高く頑固な彼について</title>
         <description>奈々子（仮名）さんは、２つ年上の彼のことで悩んでいます。
奈々子さんによると、「彼は普段はおとなしいのですが、変にプライドが高く頑固で、自分の意見を曲げない人」なのです。
ですから、奈々子さんが彼と話していて、少しでも彼に反対の意見を言おうものなら、彼はネチネチと口撃してきて、絶対に自分を意見を曲げず、また、最後は怒りから口もきかない状態になるそうなのです。そして、いい加減奈々子さも彼には愛想を尽かしはじめていたのでした。

さて、私は奈々子さんの彼にお会いしたことはないので、彼の人物像は分かりません。

しかし、プライドが高いということ、頑固ということ。ここに問題があるのは間違いありません。

まず、プライドが高いということ。
プライドが高いとはどのような状態なのでしょうか。

プライドとは自尊心のことです。自分を尊ぶということ。
プライドとは自分を大切に自分の能力を信じて、自分に誇りを持つことと、言葉を変えてもいいと思います。

そして、プライドを問題とする時、問題となるのは次の２点です。
１　プライドが高すぎて思い上がって尊大で傲慢な態度で振る舞う。
２　自分に自信がなくその防衛としてプライドが高いように振る舞う。

では、彼に関してプライドの問題とは何でしょうか。前者のプライドが高すぎて傲慢な態度で振る舞う問題をまず考えると、冒頭に書きましたが彼は普段はおとなしいのです。
おとなしいとは、内向的な状態を指します。
したがって、思い上がった尊大さとはニュアンスが違うと思うのです。
思い上がった尊大さであれば、常に人に対して尊大に振る舞う傾向もあり、彼のように普段はおとなしいとはならないと思うのです。

ここで１つ問題があります。
なぜ、奈々子さんは彼のことをプライドが高いと思ったのでしょうか。奈々子さんは彼は変にプライドが高いと表現しています。
「普段はおとなしいのに、私が彼に対して反対意見を言うと絶対に認めないところです」
と、答えが返ってきました。

なるほど、奈々子さんは彼が自分の意に反する意見を認めないことを、プライドが高いと思ったのです。
そして、これを言葉を変えて頑固とも表現しています。

したがって、彼はプライドが高いというよりも、自分に固執する頑固者のようです。

では、頑固者からどのようなイメ－ジがありますか。
頑固爺。いますね。でも、この頑固者は普段から頑固者で気難しいオ－ラを当たりに撒き散らしています。
普段はおとない彼には当てはまりません。
彼が頑固なのは自分の意見を否定された時なのですから。

自分と違う意見を言われて自分にこだわるということは、この意見の違いを自分が否定されたと感じる時によくみられます。
先にプライドに関して、自分に自信のない人がその防衛としてプライドが高いように振る舞うことについて書きましたが、自分が否定されたと思った時に、自分にこだわり頑固になるのも、自分を他者からの否定から守る防衛行為と考えられます。

もちろん、本当はこの時に起こっていることは意見の相違であり、人格の否定ではないのですが。
どうも彼は意見の相違を人格の否定と混同しているようです。
そして、自分が否定された怒りから奈々子さんにネチネチと口撃を行い、最後は腹立ちさから口をきかない状態になってしまったのです。

これだけ書くと彼は小さな子供のようですね。
親に怒られた子供（行為に対する叱責であり、人格に対する否定ではありません）が、親に逆に食って掛って、最後は怒りからふてくされる。
こんなイメージです。

でも、もしかすると本当にそうかもしれないのです。

子供の頃常に親や周囲に否定をされ続けて大人になりますと、ちょっとした否定に対しても敏感に反応してしまいます。
敏感で余裕がないので、ちょっとした意見の相違でも自分が否定されたと感じてしまうのです。
そして、これは子供の時の再演なのです。
小さい子供が傷ついて泣いているのです。
「もうこれ以上ボクのことを否定しないで！」
まだ、彼の子供時の傷は癒えていないのかもしれません。

そして、もしかしたら奈々子さんに母親を求めているのかもしれません。
子供の時否定され続けた母親ではなく、自分の理想の母親、常に自分を受け入れてくれて安心出来る母親です。
もし、彼が奈々子さんにそのような感情を無意識のうちに持っているとすれば、奈々子さんからの否定は、お母さんからの否定であり、自分のことをもっと分かって欲しいと、彼のなかの子供の部分が怒り、そして最後は、自分のことを否定するならもう話してあげないと、ふてくされてしまうのです。

これは仮定の分析ですが。

彼がなぜ自分と意見が違うと怒って頑固になるのか。
カウンセリング等受けて自分を振り返った方がいいかもしれません。
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         <pubDate>Mon, 17 Dec 2007 12:17:08 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>防衛機制　私たちを守る心のしくみ-2</title>
         <description>⑥	置き換え
ある人物に向けられた無意識的な欲求や行動を他の対象に向きかえることによって、最初の対象からの攻撃を防いだり、不安、罪悪感、欲求不満等を解消します。
例えば子供が先生からひどく怒られた場合、家に帰って先生と親を置き換え、親に当り散らす等。
カウンセリングをしていると会社勤めの方で偉そうな上司は嫌いと言うクライエントの方がおられます。自分の親の偉そうな態度が上司に置き換えられているのかもしれません。

⑦	反動形成
抑圧だけでは不十分なとき、抑圧を助ける重しとして加えられるものです。
自分の欲求にある程度気づいて、それが表面化することで自己の評価が低下することを恐れ、そのため、まったく正反対の態度や行動をとる防衛機制です。
例えば、ある人に対して憎悪を抱いている時、その憎悪が表面化すると社会生活をおくるうえでは困る時があります。その場合反動形成が働き、その対象者に対して、親切に振る舞い相手や周囲に憎悪を抱いていることを悟られないようにと、社会的な振る舞いをします。
あまりやりすぎると、わざとらしいという印象を与えてしまいます。

⑧	合理化
もっともらしい理屈をつけて自己を正当化しようとします。
本当は欲しいのに理屈をつけて要らないと言ってみたり。
本来すべきことを、こじつけの理由をつけてやらなかったり。
あまりに合理化に走りますと、社会的共感を得ることが難しくなり、周囲からは理解不能な人になってしまいます。

⑨	知性化
自分を守るため知識を振りかざします。
何でも知的に分析したり、知っていることを話して相手を説得、打ち負かそうとするので、過剰に行い続けますと、やはり共感を得ることがなく、難しい人と思われてしまいます。

⑩	補償
ある分野での劣等感を補うために、他の分野で優越感を求めます。
勉強が苦手な子が野球に集中したり、営業成績の芳しくない営業マンがお茶を極めようとしたり・・・。
補償行為も逸脱しない限りにおいては、ストレス解消の有効な手段となります。

⑪	昇華
抑圧された欲求、衝動、意識的に持っている劣等感等が、社会的、文化的に承認される価値ある好ましい活動となって発現する防衛機制です。
攻撃的傾向や性的欲求による緊張が、学問、芸術、スポ－ツなどで代償的に解消されるのがその一例です。
また、自己の劣等感を社会的に価値あるものに熱中して、その道の大家となる例等、好ましい自己評価の向上でもあります。


いかがでしょうか。
思い当たることはありましたか？

防衛機制の基本は抑圧です。
抑圧が不十分、出来ない時に他の防衛機制が働くのです。

すべての人は皆何らかの防衛機制を持っており、これが自分を守ってくれます。
ただ、自分を守ることばかりに専念してしまうと、他者との関係性が築けない等、逆に生き辛さの原因にもなります。


参考文献（防衛機制　１、２共）
笠原　嘉　著　不安の病理　岩波新書
初級産業カウンセラ－　養成講座テキスト　社団法人日本産業カウンラ－協会編

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         <pubDate>Thu, 08 Nov 2007 19:57:54 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>防衛機制　私たちを守る心のしくみ-1</title>
         <description>私たちは何か欲求不満や葛藤の状態、もしくは不安、攻撃性、性的欲求が高まりますと、自己を防衛するため、社会生活を今まで通りおくるためにも、様々な自己防衛の反応をします。それは無意識的に防衛しているのかもしれません。
そして、フロイトはこれを防衛機制、ディフェンス・メカニズムと名付けました。

では、防衛機制の数々を今回、次回と見ていきたいと思います。

①　「抑圧」　
上述した様々な心の状態を意識に上らないように無意識へと押さえ込みます。
無意識化されるとその心の問題じたい体験している本人は気がつかないことが多々あります。
例えば、職場で上司から怒られた場合、部下はその上司に対して反撃したいのですが、それでは会社生活はおくれません。そこで、その攻撃性を感じる前に無意識へと追いやることによって上司の叱責を平然と受け入れるのです。
また、子供が常に親から叱責されている場面を考えてみましょう。子供はその家庭で生き残るために、親の叱責を受け入れるのは当然と、叱責からくるすべての感情を抑圧してしまうかもしれません。
自分の感情を抑圧し続けるというのは、自分が何を感じているのか等慢性的に分からなくなり、また、自分のことを自分で考える能力、意志決定能力の欠如等、人生の様々な局面で生きている実感を喪失する事態になるかもしれません。

②　「逃避」　
抑圧だけでは処理出来ない問題に対して、逃れようとして取られる行動です。抑圧出来ない対象は主に不安です。（抑圧出来ないということは、何か不安を感じいることを意識していることになります）。

逃避は次の５種類に分かれます。
ａ　退避
ｂ　現実への逃避
ｃ　病気への逃避
ｄ　空想への逃避
ｅ　子供時代への逃避

ａ　退避
不安な場面に直面することを避ける場合です。例えば学校で大勢の前で発表する機会があることが事前に分かっており、その日は休む等。不安への直面を避けます。これが続き習慣化しますと、人生において永遠に出来ないものを作ってしまいます。
また、あらゆることに退避をし出しますと、ひきこもりの状態ともなり社会と断絶してしまいます。

ｂ　現実への逃避
直面する事態を避けて、それとは直接関係のない別の行動に没頭します。
大学受験に不安を感じて勉強を避けて趣味に没頭する、夫婦仲の危機の夫が仕事に没頭して家に帰ってこない等です。

ｃ　病気への逃避
仮病とは違い、本当に不安等から病気になってしまいます。
不安だけではなく、長時間労働の疲労やストレスからも病気になります。
文献では逃避という言葉が使われているのですが、限界の身体反応と考えれば逃避という言葉は使わない方がいいかもしれません。

ｄ　空想への逃避
空想の世界へ逃げ出します。ネット、ゲーム、漫画等架空の世界に入り込んだりします。または、自分の空想の領域も含みます。

ｅ　子供時代への逃避
退行と呼ばれています。おねしょをしたり、赤ちゃん言葉を使ったり、子供がえりすることで、今の問題から逃避します。子供がえりするということは、不安の対象から守ってくれる何か（母性等）を求めているのかもしれません。

③　投射・投影　
自分の弱点、自分のなかの容認しがたい欲求、感情を相手が持っていることにして責任を転嫁する防衛です。
例えば自分が嫌いと思っている人に対して、相手が自分を嫌っていると思い込んだり、自分の負の感情を相手が持っていると思い込みます。その結果自分勝手な攻撃心を持つこともあり、ひどくなると妄想の領域に入ってしまいます。
または、恋愛において自分の好きというプラスの感情を、相手も持っていると勝手に思い込み、ひとりよがりな恋愛に夢中になることもあります。

④	取り入れ
両親や文化が期待する、もしくは期待するところを自分の内部に取り入れ、いつしか、それは外からのものではなく、自分の内に元来あったもの、自分自身のものと見なす防衛です。
周囲からの保護を失ったり、拒否、処罰、孤立化を防ぐために、周囲の期待に沿う行動をすることで不安を解消するのです。
学校での集団でのいじめは周囲の学生の考え、振る舞いを自らに取り入れ、いじめる側としていじめをを行い、いじめられる危険から自己の安全を図っているのかもしれません。

⑤	同一視
ある特定の対象者の考え方、感情、行動等を無意識的に取り入れ、その対象と同じように振る舞う傾向になる心理過程です。
権威のある人物と自分を同一視して、服装、言動を表面的にまねて偉そうにしてみたりします、同一化することにより自己価値をあげる目的もあります。
好きなアイドルと同じように振る舞う、尊敬する先生の真似をする等。
また、よくある例としてＤＶの夫は子供の頃その父親からひどい虐待を受け恐怖心を抱いていました。
そして、自分が成長するとその父と無意識のうちに同一視を図り妻に暴力を振るいます。</description>
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         <pubDate>Tue, 06 Nov 2007 09:15:21 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>要領のよい人は得をする</title>
         <description>「要領のよい人は得をする」。
この言葉よく聞きますよね。
でも、この言葉どこか悪意、敵意のような気持ちを感じて、あまり心地のよいものではありません。

たとえば次のような例があります。
同期入社１５名のうち、Ａさんのみ早々に課長に抜擢されました。
同期のうち数人は言います。
「あいつは要領がいいんだよ。要領が」

まるで、要領がよいから早期課長昇格が果たせたような言い方です。
聞いていて、あまり気持ちのよいものではありませんね。

では、この「要領」という言葉。
国語辞典ではどのように定義されているのでしょうか。
国語辞典　三省堂によると２つのことが書かれていました。

①	むだが無く、やってのける。手ぎわがいい。
②	表面だけはいいように見せかけ、実際の作業は手を抜くことのうまい人。

①は望ましいイメージですが、②はずる賢いイメ－ジですね。
そして、前例の「あいつは要領がいいんだよ。要領が」という言葉は、この②のずる賢いイメ－ジに基づいて、要領を評価しているようです。

でも、本当に表面だけで、実際の作業は手を抜く人が企業内で評価されるのでしょうか。

これを具体的にイメ－ジすると。
表面だけはいいように見せかける⇒話すことがうまく、自分のことや自分に関連することをいいように話す。そして、人をひきつける。でも、実際は何もしない。

知らない人が彼を見ると話すのがうまくて、ひと言、ひと言が納得出来、凄いなと感心するかもしれません。
でも、よく知っている人から見ると、いつもの口だけとなり、「またかぁ」と愛想を尽かされるでしょう。
企業内では当然上司、同僚、部下と様々な人から見られているのですから。
表面だけが要領がよく、実際手を抜く人はどこかで化けの皮がはがれると思います。


では、本当に要領がよく評価をされたとしたら、それは、どのようなことが考えられるでしょうか。

先ほどの①では「むだが無く、やってのける。手ぎわがいい」と要領について定義されていました。

むだが無く、やってのける。
このためには何が必要でしょうか。

むだがないということは、様々な選択肢（情報収集、複数方法論を考える）を創造力を働かして考え、そのうち最適なものを選択及び計画立案、そして目標に向かって計画に基づき臨機応変に修正を加えながら、効率的に動くとイメージしてもいいかもしれません。
そして、やってのけるには、積極的な行動推進と責任感、強い意志が必要です。
また、目標を達成した際はそれを成果として、周囲に認めさせるための説得力も必要でしょう。

このように要領について考えますと、単なる口八丁ではなく、意志決定のための思考、計画立案、行動推進、チェックと修正、成果を上げる、その成果について論理的に話し周囲を納得させる等様々な能力が要求されていると思うのです。

いずれにしても、積極的に、自分が前に出ていく姿勢が大切です。

さて、今回なぜ、このテ－マについて書いたかですが。
現在私は就職支援のカウンセラ－として月～金は非営利団体で勤務をしていますが、実際には組織の一部を管理しており、成果についてよく考えます。
成果については数値管理を行いますので、どの数字を捉え、どう加工するか、そして、どう結論づけるか、どう話すか。
多少の要領も要求されています。
実際に自分でも要領は多少はよい方と思っています。

しかし、私はサラリ－マンを１４年３ヶ月しておりましたが、サラリ－マン時代はまったく要領はよくありませんでした。

では、今と昔。何が違うかです。

一言でいいます。
仕事に対する、取り組み姿勢です。

サラリ－マンをしていた頃も中間管理職で働いていたのですが、仕事に対する熱意はなく、消極的だったと思います。
仕事は事務で数値目標が本部からくるのですが、「ふ－ん」という感じで目標を見ていました。
どうでもいいかという感じだったと思います。
でも、その原因を考えると、好きな仕事ではない。やらされている感じ。
もっと根本的な問題として自分の人生を生きていないと感じていました。

その後カウンセラ－を目指し、自分の納得出来る人生を送るために、１４年３ヶ月勤務した会社を退職しました。
会社を辞めたあと、自分の人生は自分で開いていかなくてはならず、様々な体験を通して、自分自身に肯定的なイメ－ジを持てたと思います。

そして、その自分が今、仕事に対してどのように取り組んでいるかです。
組織ですので当然目標もありますが、大切なことは、自分に何が出来るか、それは目標外でも常に考え、出来ることは何事も積極的に行う姿勢です。
そして、これは目立つことばかりではなく、共有部等目立たないことについても考え取り組む等、自分の足元もきっちり見る必要があるのです。
さらには、何をすれば組織に貢献出来るか、求められるであろう結果数値を先に考え、求められる前に把握すること。そして、その数値を成果として論理的にＰＲすることも大切です。

常に自分に何が出来るかを考え、何事にも積極的に取り組す。
目立つことばかりするのではなく、目立たないことにも取り組む。
事に仕えるのです。
これが、私が常に意識している仕事に対する取り組み姿勢です。

さて、要領に話しを戻しますと、自分が何事も問題意識を持ち、何事も主体的、積極的に取り組みますと、自然と要領がよくなってしまいます。
すべて先を見据え考え、行動しますので、結果として要領がよくなってしまうのです。
要領がよい人は得をする。
言葉を変えると、要領のよい人は評価されるのだと思います。

でも、それはそれでそりなりの努力をしているのです。

要領がよいとは、常日頃の努力の結果であると私は思います。
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         <pubDate>Mon, 15 Oct 2007 12:49:22 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>真面目は性格の長所なのか</title>
         <description>真面目という言葉を見て、聞いて、皆さんは何を連想しますか？
性格の長所を聞かれて「真面目です」という人がいたとしたら、それについてどのように感じますか？
もっと言うと「真面目だけが取り得です」という人がいたら？

私も以前（１０年程前）は真面目が取り得の性格でした。
でも、真面目が取り得の性格では、あまりいいこともなかったように思います。

そもそも、真面目とは何でしょうか。
嘘をつかない、誠実、約束は守る等、これらは大変いい印象です。
でも反面、おもしろくない、ノリが悪い、気難しい等、あまりよくない印象もあるようです。
私の人生体験から言うと、性格の長所が真面目だけでは、あまり自分のＰＲにはならないということです。逆に言うと、「真面目」だけでは、人からの評価を得にくいのです。
これは、就職、転職活動の際、自分のＰＲを述べる時、「私の長所は真面目」ですと言っても、面接者の関心を買うことが出来ないことからも分かると思います。

どんなことでも、言葉でも必ずプラスとマイナスの評価はあります。
では、真面目という言葉を考える場合、なぜ、マイナスのイメージ、評価が起こるのでしょうか。
真面目を他の言葉で表現しなおしてみましょう。
「約束は守る」「与えられたことはきっちりとこなす」「責任感が強い」「嘘はつかない」「素直である」等、具体的な言葉で表現出来ると思います。

これらの言葉を聞いて、どう感じますか。
大変素晴らしいですよね。
でも、これらの言葉に欠けている要素もあります。それは、「自分から前へ出る」という姿勢、強さなのです。
真面目を他の言葉で言い表してみると、大変良い印象なのですが、これらの言葉は社会生活をおくるうえでは、ごく当たり前の要素でもあるのです。
当たり前であるからこそ、性格が真面目だけではプラスの評価を得にくいのです。
ですから、真面目プラス、何かが必要なのです。

では、この真面目という言葉を、マイナスイメージ、例えば「自分から前に出ない」という点から考えますと、「自分の殻にこもる」と言葉を代えて、捉えることも可能かもしれません。
言葉を言い換えると、「あまり人と話さない」「目立たない」「消極的」「自己表現をしない」「おとなしい」となってしまうようです。

もしかすると、性格が真面目ですと第一声で言う人は、自分に殻をまとい自分を守っているのかもしれません。
それは人間関係、人生を開くこと、自分から打って出ること等です。
保守的で冒険を避けているのかもしれません。
傷つくことを恐れているのかもしれません。
そうすると、自分から積極的にﾁチャレンジを行い、そこから得ることの出来る成功体験、自己信頼感を獲得しにくいのではないでしょうか。
そして、この自己信頼感が弱いからこそ、「真面目唯一」という性格、人生態度を選択して自分を守っているのかもしれないのです。

真面目とは生きるうえで大変素晴らしい資質です。
しかし、真面目過ぎると、性格のＰＲは真面目のみとなってしまい、逆に周囲からはマスナスの評価を受ける可能性が高いのです。

真面目でかつ、自分から何かを積極的に行う、これには自分を開示することも含まれます。
豊かな人生をおくるうえでは、真面目プラス、バランスが大切なのです。

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         <pubDate>Thu, 30 Aug 2007 23:37:39 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>対人不安からの回復　１つの方法として</title>
         <description>前回は、過剰適応、不適応について簡単に紹介しました。
前回も書きましたように、どちらも他者からの否定的評価や嫌われることを恐れています。

過剰適応は対人スキルがありますが、不適応は対人スキルが低いことも問題の１つとなっています。（もちろん、対人スキルはあるのだけれど、人からの否定的評価を恐れ、スキルを発揮出来ず不適応になっている方もおられると思います）

したがって、適応への道は次の２つがポイントです。

１　嫌われることの恐れに対して考える
２　対人スキルの獲得

１　嫌われることに対して考える

なぜ、それほど否定的評価、嫌われることを恐れるのかよく考えてみてください。
そして、周囲全員から高い評価を得ること、好かれることは可能なことなのでしょうか。
そのような人は世の中に存在するのでしょうか。

不可能なことにチャレンジしていませんか。

また、仮に誰から否定的な態度を取られたとしても、それはあなたがそう感じているだけかもしれないのです。
事実かどうかも分からないのです。

自分の頭の中で、嫌われたかもしれないと事実無根の結論を出し、堂々巡りの悩みや不安でエネルギ－を浪費していませんか。

また、嫌われることの恐れに対しては、仮に嫌われたとしても、本当にそれが恐れるに値するものか、また、何を持って他者から否定的評価を受けたと感じているか、現実観点からじっくり妥当性を考える必要があります。


２　対人スキル

対人スキル。
この言葉の意味をお分かりですか。

対人スキルとは社会で人と接するにおいて、妥当とされる対人行動（言葉・態度）のことです。
例えば人とのコミュニケ－ションの場で挨拶が出来る、自然と雑談が出来る、自分の要望は相手の気持ちを大切にしながらも主張出来る、更には人が笑っているなかでそんなにおかしいとは思えないけど笑顔を出す等。
要は自分にこだわりすぎず、自分を大切にしながらも、社会、周囲に合わせた言動が出来るかどうかなのです。

この対人スキルは文字通りスキルです。
スキルは学習、訓練により身につけることが可能です。

カウンセリングにおいても、対人スキル、自己主張の訓練を行えます、また、グル－プでそのような訓練を実施しているところもあるでしょう。
しかし、最も身につく訓練は実生活における、社会生活を営むなかでの訓練です。

でも、いきなり何のスキルも持っていないのに社会で実践をするのが怖いと思われるのでしたら、事前にカウンセリングや訓練の場で予習をして、多少の自信を得てから社会でその訓練の成果を発揮していいかもしれません。

再度書きます。
対人スキルはスキルです。
必ず学習出来ます。
身につけることが可能です。

そして、身につけたスキルを社会生活で発揮。自分は出来ると自信を培うことが大切なのです。



過剰適応も不適応も、共に適応していない意味においては不適応です。
「適当」がいいのです。
気楽な気持ちで。</description>
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         <pubDate>Mon, 04 Jun 2007 09:39:18 +0900</pubDate>
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         <title>対人不安</title>
         <description>対人不安の原因は、自分が他者からどう思われているか気にすることから生じます。
よく思われたい、裏を返すと嫌われたくない気持ちが強すぎるのです。

誰でも嫌われるよりは好かれる方がいいに決まっています。しかし、対人不安の方は嫌われたくない気持ちが極端に強すぎるのです。
（嫌われたくない気持ちと書きましたが、好かれたい、バカにされたくない、変な奴と思われたくない、人を傷つけたくない等、人によって言葉は変わってきます）
なぜ、この気持ちが強すぎるかは生育歴、親子関係、学校でのいじめの問題等が原因としてあげられると思いますが。

では、対人不安の方はいかにその不安に対処されているのでしょうか。
嫌われたくないためにどのようにしているのでしょうか。
２つのパタ－ンを見たいと思います。

１　過剰適応
２　適応せず


１　過剰適応

人に嫌われたくないあまり、人に気を遣い過ぎます。具体的にはコミュニケ－ションの場で、周囲を盛り上げようとエネルギ－を注ぎます。実際に周囲からはよく話す人、面白い人と嫌われることはなく、良い評価を得ます。
しかし、当の本人からしてみると無理をして場を盛り上げようと、力を入れているわけですから、ストレスです。次は何を話さなければならないのか、どのような話しをすれば相手は喜ぶか、今目の前の人は嫌そうな顔をしたのはなぜか、嫌われたかなと、そのようなことばかりに気を遣い過ぎています。
自分が嫌われていないかばかり気にしており、本来のコミュニケ－ションの目的である、他者理解や共感は遠いものになってしまっています。
話すことじたいが緊張感を持ってしまいます。
そして、他者の視線や気持ちばかり推し量かり行動しているので、自分が自分でないような気持ちになってしまいます。他者といる間は他者にエネルギ－を費やし自己を喪失しているのです。

これは他者の視線を気にし過ぎ、嫌われたくないための過剰適応です。

しかし、この過剰適応が出来るということは、ひとつの光です。
それは、対人スキルが高いということなのです。

なかなかあまり知らない人相手にその人を退屈させないでおこうと、振る舞うことは難しいと思います。また、周囲をにぎやかにしようとする積極性、これもなかなか出来るものではありません。

対人スキルが高いので良好な人間関係は問題なく築けることでしょう。
あとはいかに他者からの視線や評価を気にせずにいられるか。

嫌われるとは本当は何を意味するのか。
全員に好かれることは可能なことなのか。


２　適応せず

他者の評価、どう思われているかを気にしすぎて、他者から悪く思われるのを避けるため、他者とのコミュニケ－ションを避けてしまいます。
したがって、学校、職場には通うけど、その中で人の輪の中に入れず、孤独感を感じています。

また、発言すべき時でも言いたいことを言えません。なぜ言えないかは、こんなことを言ったら周りはどう思うだろう、バカにされるのではないか等、周囲を気にし過ぎています。
しかし、結局は言うべき時に何も言わないので、周囲からは低い評価を得てしまうのです。

また、断られることに対しても敏感です。自分が否定されたと悲しみを感じてしまうので自分から人を誘うことが出来ません。

積極的な自己開示も出来ず、かつ、人の輪の中にも入りづらいので、人間関係が広がりません。
言わなければいけないと思いながらも、言えないので、高いストレスを抱えてしまいます。
言えない自分を責めてしまう傾向もあると思います。

そして周囲からは「おとなしい人」「いるかいないか分からない人」と結局は低い評価を得てしまいます。人の評価が気になってしかたがないのに、結局は望まない正反対の評価を得てしまうのです。

そして、人の視線、評価、嫌われたくなく思いから、人を避けることにより、他者との関わり、関係性からのみ学ぶことが出来る、対人スキルの獲得にも失敗してしまいます。

否定的評価を恐れ、人と関われず対人スキルが低いとなると、不適応から適応への道は少し時間がかかるかもしれません。</description>
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         <pubDate>Fri, 27 Apr 2007 12:38:56 +0900</pubDate>
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         <title>不安の共有と連帯、その弊害</title>
         <description>前回不安、不安感について人に話すことは、気持ちの共有や連帯が図れ、不安を抱えている人の気持ちが整理されたり、安心感を得たり、不安の軽減効果もあり楽になると書きました。
今回はその逆。不安の共有、連帯における弊害を書きたいと思います。
ここで言う弊害とは、人としての成長に対する弊害のことです。
では、不安の共有、連帯がなぜ人の成長に弊害をもたらすのか？
考えてみましょう。

弊害をもたらす気持ちの共有、連帯とは、人間関係における不安の回避を図ることを第一としていると思います。
詳しく書きますと、人間関係がうまく築けない人がいます。そして、このタイプの人は同じく人間関係を築くことが苦手な人と手を組むのです。類は類を呼ぶとでも言いましょうか。

何人かの人が集まっています。そこに、人間関係を築くことが苦手なＡさんが入って来ました。彼は初対面の人と気楽に話すことが出来ず（話したくない）、でもひとりぼっちの疎外感やそこからくる不安を感じたくないと思っています。
彼はどのような行動をとるでしょうか。話したくはないが疎外感を避けたい。
考えられることは、自分と同じようなタイプを探してその人と一緒にいることです。
でも、これは友人になりたいからではなく、単にその場にひとりぼっちでいることが嫌なので、その事態を避けるために一緒にいるだけですから、人として相手から学ぼうとか、相手を尊重する姿勢もありません。

私も過去心理的ひきこもりでした。人間関係を築くことが苦手でした。学生時はクラスでも浮いた存在でした。
では、私がどのように学生時を過ごしたか。少し振り返ってみたいと思います。
クラスで気楽に話しが出来ない学生は少数派です。したがってその他大勢のクラスの人間は敵です。なぜ敵かというと自分とは異質な連中であり、自分と異なる者が大勢いるため、その結果自分は浮いてしまい、辛くなるという短絡的な自分勝手な発想です。
そして、その大勢の敵のなかで私はいかに振る舞ったのでしょうか。
それは、自分と同じタイプを見つけて一緒になることなのです。
さすがに１年間クラスでひとりぼっちを続けることは、慢性的な孤独と不安を感じます。自分と同じタイプと一緒にいることにより、孤独感、不安を和らげたのです。
でも、仲良くなりたいわけではなく、ひとりぼっちが嫌で一緒になったわけですから、１年間一緒にいたとしても、それほど関係性も深まらず、クラスが変わればサヨウナラでした。

大勢の敵に対決するために、一緒になったのですから。当然です。
敵がいなくなれば、敵が変われば一緒にいる必要もなくなるのです。
不安に対して一緒にいることにより、気持ちの共有と連帯を図りました。
この方法の継続からくる問題は何か。
それは人として成長しないことです。

人は様々な人を通して成長します。同じタイプの人間としか付き合わないということは、違うタイプと付き合うことが出来ず、違うタイプの持っている良いところを学習することも出来ません。
したがって対人関係スキルの向上が図れず、自己成長も難しいのです。

不安、孤立の感情から自分を守るために、人と一緒になることからは、学ぶことや体験も少なく、真の友人ともなりえないのです。</description>
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         <pubDate>Tue, 03 Apr 2007 09:16:01 +0900</pubDate>
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         <title>不安の共有と連帯</title>
         <description>私たちは人生において、どのような時に不安を感じるでしょうか。
そして、不安への対処法の１つ。不安を共有する、連帯するとはいかなるものでしょうか。
今回、次回と「不安の共有と連帯」をテ－マに書きたいと思います。

まず、私たちが不安を感じる時について、そのパタ－ンを書きます。（漠然とした継続的不安感及びＰＴＳＤは除きます）

１　危機に直面したことからくる不安
２　結論が見えない将来に対する推測の不安
３　態度反応が固定した経験上からの不安

１　危機に直面したことからくる不安

危機に直面したことからくる不安。
では、危機とは何でしょうか。

自分の生命に対する危機、当然です。
それ以外にも自分に対する比較、評価、達成が生じる時等も含まれるでしょう。そして、これらはすべて自己存在が関連しているのではないでしょうか。生命に対しては生きることが命題であり自己存在に直結しています。では、比較、評価、達成は自己存在とどのように関連しているのでしょうか。
私たちは競争社会に生きています。受験、仕事等。受験に失敗したら、仕事が達成できなければ、昇格を逃したら、これらの事態において望ましくない結果を招いた時、自分が否定されたような感じを持ってしまう人もいるのではないでしょうか。
そして、この背景にある思考は「受験に失敗したら終わり」「仕事が達成出来なければ自分はダメ人間だ」「昇格を逃したらバカにされる」等の自分を追い込む破滅的思考であり、思い込みなのです。

いずれの場合も、危機に直面したことからくる不安については、人と話すことで不安が緩和されます。

生命の危機については、今の病気、控えた手術等に対する不安を語ることで、少しは気分も和らぐと思います。ただ、命に直結していることですので、どこまで不安を払拭出来るかは人各々によって違うでしょうが、語ることは心の安定に多少なりとも寄与すると思います。当面のこと、先のことも整理されたり、不安を理解してもらった、受け入れてもらったという多少の安心感もあることでしょう。

また、比較、評価、達成についての不安ですがこの場合も効果があります。不安の受容共有は当然のこと、それ以上に話し相手よりフィ－ドバック、アドバイスをもらうことにより、他者の意見を得ることも出来、物事の見方の多様化にもつながるからです。
これらの不安を人に話すことにより、落ち着いたアドバイスを得られると、自分の思い込みから解放されたりして、緊張から狭まった視野が広がることと思います。
「失敗したら終わり」等の自己破滅的思考からの脱却も出来るのです。
但し、聞く側はアドバイス先行ではなく、まずは話しを聞くという受容が最も大切です。信頼関係を築いたうえで始めてアドバイスも有効になるのです。


２　結論が見えない将来に対する不安

例えばある会社が債務超過で倒産する可能性があるとします。従業員の方々は先のことを不安に思い日々過ごされています。でも、その不安は推測に基づくものであり確定していません。誰にも分からないけど現実になるかもしれない堂々巡りの不安なのです。
そんな時、同じ職場の人とその不安について話すことにより、話した相手と不安の共有が図れ安心感を得ることもあります。「不安に思っているのは自分だけではない」。
（また実際に倒産決定後、その後の進路が不透明な場合も不安を話すことにより、今後の進路への不安の共有と連帯が図れます）
不安を口にしたところで、会社の経営状態や先のことは不透明なのですが、悩んでいるのは自分だけではないという思いから不安が軽減されるのです。
また、不安を共有することで連帯意識も生まれ、今までにはなかった人とのつながりも出来るかもしれません。

カウンセリングにおいても将来の結論が出ない不安の場合は、その不安感を共有するように徹します。そうすることにより相談された方は、自分の不安を理解してもらったこと、受容されたことに安心感を覚えられ、不安の軽減に役立つのです。また、視線を変えたアドバイスを行うことにより不安感の軽減も図ります。

３　態度反応が固定した経験上からの不安

さて、難しい不安がこれです。過去の経験からまた同じ事態、状況になれば、自分はその事態に対応出来ないだろうと、予期してしまい、この予期不安から不安感を持ってしまうのです。
例えば人前で話すことに数度失敗している人は、人前で話す機会があるたびに、また失敗するのではと不安に悩まされます。そして、やがては「自分は人前では話すことは出来ない」と決めつけてしまうのです。出来ないイメ－ジが先行して、そのイメージが現実のものになるのです。
出来ないと決めつけてしまいますと、人はその不安となる事態を避けようとします。そうしますと、再チャレンジの機会も奪われ、スキルを高めることもなく、生涯に渡ってこれだけは出来ないと人生態度を決定してしまうのです。

この場合カウンセリングを通して不安の受容と共有は出来ますが、ご相談者様の不安の軽減には即結びつきません。なぜなら、今まで人前で話すことに失敗し続けて出来ないと決定的な恐怖感を持っているのですから。
不安を軽減するためにはカウンセリングもひとつの手段ではありますが、話すスキルを獲得して話すことにチャレンジ、そこから出来るという体感を獲得していくことも重要となります。

実際私も対人不安で早口でしたが、話し方教室にも５年近く通い、今では何とか人前でも話すことが出来るようになりました。

時間はかかります。でも、諦めないことです。必ずスキルは付き、自信も獲得出来ます。</description>
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         <pubDate>Thu, 08 Mar 2007 23:07:16 +0900</pubDate>
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         <title>せっかちな上司</title>
         <description>会社勤めの方の悩みのなかで、せっかちな上司についてのご相談があります。
悩みの趣旨は「上司が怖い」「切れる」「暴言を吐く」等です。

彼らせっかちな上司の特徴は部下に仕事をさせ（任せ）、部下に任せた仕事が少しでも彼らの定めた期限通りに終わらなければイライラが始まり、最後は待ちきれず切れて、一方的にせかすところに特徴があります。そして、この瞬間暴言が放たれるようです。

私もサラリ－マンを１４年間していましたので彼らの雰囲気は分かります。平素からこのタイプの上司は「俺が」「俺が」主義で、部や課の大将といった感じです。
よく言えば親分肌、悪く言えば独裁者といった感じでしょうか。
性格もおおざっぱであまり細かい神経は持っていません。
彼らのように自己顕示欲が強く、自分の言うことは絶対的であると認知していますと、自分の言ったこと、指示したことは絶対であるとなります。
要は人を自分に従わせたいタイプなのです。

では、人を従わせたい上司がどうして、部下に任せた仕事が少しでも遅れると、過剰にイライラするかです。
先述しましたが、「自分の指示命令は絶対である」。
この認知を持ってしまいますと、自分の指示通りに動かない、自分の定めた通りに仕事が出来ない部下は、自分に対して反意があると捉えてしまうかもしれません。
自分が絶対なので自分に反抗する者は許せないのです。
もちろん、部下は反抗しているのではなく、たまたま上司の定めた期限通りに仕事が仕上げられなかっただけかもしれないのですが・・・。
自分にこだわり続けるということは視野を狭くします。他者の視線で物事見ることも出来ません。共感能力も培えません。したがって、自分に固執して自分の定めた期限を少しでも守らない部下に過剰に反応してイライラし、待つことに限界が来て怒鳴り散らしてしまったりと散々なことになるのです。

このタイプの上司とうまく会社生活を過ごすには、指示されたことが少しでも遅くなりそうな時は即報告、連絡、相談をすることです。（会社生活の基本ですが）
そして謝ることも大切かもしれません。（仕事の期限が間に合わないから謝るというのも納得出来ない方もおられるでしょうが、先手を打って謝ると向こうも悪い気はしないものです。これは相手のタイプに柔軟に合わすというスキルです）
また、親分肌の上司ですので、自分に対して謝ったり、頼ってくるような部下に対しては案外面倒見がいいかもしれません。

さて、ここまで書いて、ふと、私はもう１つのパタ－ンのイライラする上司について思いつきました。
それはまったく部下を信頼していないタイプです。
性格は神経質で内向的なところがあります。
先ほどのおおざっぱ、無神経とは対照的です。

部下を信頼していないタイプとはどのような人物特徴でしょう。
これは恋愛にも通じることですが、他者を信頼出来ない人は自分も信頼していません。

自分を信頼出来ない人は常に不安感を持っています。
すると、部下に任せた仕事の期限が少しでも遅れると、いつ終わるのかと不安になってきます。また、部下の作業後自分がその仕事に対する確認作業をするならなおさらです。
なぜなら確認作業にはそのための時間が必要であり、部下に任せた仕事が手間取るということは、自分の作業時間が減ることになり、そこに責任を果たせないのではと不安からイライラを募らせるかもしれません。
そしてこのタイプも部下の作業が遅れると、自への不安から視野が狭くなり、他者の視線で物事見ることが出来なくなり、人を従わせたい上司と同じ状態になってくるのです。
いずれも、極限状態に追い込まれると同じ様相を呈するのです。

では、この２パタ－ンのイライラを日常生活で活かすことは、出来ないのでしょうか。
まず、イライラの本質を考えてみましょう。人を従わせたい上司のイライラの本質は、自分に従わない部下への怒りです。また、部下を信頼していないタイプのイライラの本質は不安が怒りへと変換されたものです。
共に怒りなのです。怒りをパワ－と言葉を変えてみればどうでしょうか。

パワ－。
ここでは仕事へのパワ－として考えます。
人を従わせたい上司は自己顕示欲が強いので、力強く素早く仕事を完了させ、優越感に浸りたいもしれません。
また、自分を信頼出来ない上司も、期限ぎりぎりまで担当の仕事を持っておくことは不安であり、早く楽になりたいと思い、素早く仕事を完了させるかもしれません。
共に仕事のスピ－ドが早いかもしれないのです。

以前も書いたと思いますが、性格の長所短所は同じ根であり「長短同根」なのです。
短所も長所とすることも出来るのです。

また、自身の性格の過剰に反応している箇所を把握出来れば、そこをフォ－カスして修正することにより、今まで以上のよりよい生活が出来ると思います。</description>
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         <pubDate>Thu, 15 Feb 2007 09:27:51 +0900</pubDate>
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