困っている人は放っておけない燃え尽きの心理

利佳子(仮名)さんは整体の仕事に就いています。
彼女の悩みはお客さんのネガティブな話しを聞きすぎ、それを家にまで持ち帰り、気が沈んでしまうということです。

Index
1.困っている人の役に立ちたい心理
2.恋愛において、いい加減な男性を困っている人と見なし尽くす傾向
3.自身の自己価値を上げるために困っている男性は放っておけない
4.困っている人のための世話行為は相手を暴君にすることもある

1.困っている人の役に立ちたい心理

なぜ施術中にネガティブな話しを聞きすぎるのか尋ねたところ、彼女は「困っている人は放っておけない、自分に出来ることは何かしてあげたい」という気持が強く、施術中出来ることは「聞いてあげることしか出来ないから」一生懸命聞きすぎてしまうのだそうです。

しかし、彼女の仕事は整体であり心理カウンセラーではありません。
気を遣いながら整体を施して、かつ人の辛さや悩みの話しを聞いていたのでは心が持たないだろうと思います。

気楽に聞き流せばいいのですが困っている人は放っておけない彼女。
どうしても真剣に聞きすぎてしまうようです。
ちなみに彼女が整体の仕事を選んだのは、人の役に立ちたいからだそうです。

さて、彼女の問題の本質は何でしょうか?

ここまでお話しを伺っている限り「人の役に立ちたい、困っている人を何とかしたい」という気持が強すぎるのではと思いました。

そして、ここまで話された利佳子さんはご自身の恋愛の話しをされました。

2.恋愛において、いい加減な男性を困っている人と見なし尽くす傾向

「私はどうもだらしのない男を選んでしまうようです。今まで水商売風のいい加減な男ばかりと付き合っています。友達からはいい加減に目を覚ませと言われているのですが、どうも普通の人には興味が持てないのです」。

「やっぱり恋愛にも何かしてあげたいという気持ちが強いように思うのです」。

「周囲からは尽くしすぎると言われています」。

これは非常に注目すべき発言です。

整体の仕事でもお客さんに対して何かしてあげたいという気持ちが強くかつ、恋愛においても彼に何かしてあげたいという気持ちが強いのです。

誰かれかまわず、常に何かしてあげたいという気持ちが強いのでしょうか。

そして利佳子さんが付き合う男性のタイプは彼女の言葉を借りると、いい加減な男のようです。
いい加減な男というのは、だらしのない男と言葉を替えてもいいかもしれません。
だらしのない男だからこそ、何かをしてあげたいという気持ちになるのでしょう。

利佳子さんは、いい加減な男性は、そのいい加減ゆえに困っている人と、見ているようです。

逆に普通にしっかりしている男性であれば、何かをしてあげたいと思っても、何もすることが出来ずつまらないのだと思います。

そして利佳子さんは言葉を続けられます。

「たくさん何かをしてあげるのですけど最後はいつもうっとうしいと言われてしまいます」。

「決まって言われることは、俺はそんなこと望んでいないと言われたり、いい加減に俺のこと分かれよと怒られるのです」。

この言葉から察すると利佳子さんは何かをしてあげたい気持ちから、一生懸命いい加減な男に尽くされるのでしょうが、どうも男性の求めていることとは違うことをされているようです。

さて、尽くすという行為には2つの観点があります。

A・相手の望むことを察して先回りをして行うこと。

B・相手の望むことよりも、自分ならこうしてもらえると嬉しいと思ことを行うこと。

どうも利佳子さんは、後者のタイプのようです。

実際に友人関係においても相手が望まない(趣味ではない)本、DVDを「これいいよ」と言って貸してあげて、友人より「やめて欲しい」というメールが何回かきたことがあるようです。

話しはそれますが、他者に何かをしてあげる時は、他者の求めていることをしてあげないと、人間関係がおかしくなることがあります。

自分が良いと思ったものでも、他者には興味がないことも多々あり、他者にとって興味や価値のないことをどれだけしてあげても、これは自己価値の押し付けであり、相手にとっては迷惑になってしまうのです。

さて、話しを戻します。

なぜ利佳子さんは「自分に出来ることは何かしてあげたい」この気持ちが強いのでしょうか。

人の役に立ちたい、何かをしてあげたい、恋愛においては、普通の男性では何もしてあげることがないのでつまらない様子。

3.自身の自己価値を上げるために困っている男性は放っておけない

ここまでお話しを伺って思うことは、利佳子さんは人に何かをしてあげることによって、自己価値を保っているのではないかということです。

逆に書くと、人に何もしてあげられない自分は価値がないとなるのです。

この自己価値観を持っている人は次の2つのパターンが考えられます。

a)子供時の親の子供に対する接し方の問題

親が子供を誉めるのは子供が何かお手伝い等親の役に立った時だけであり、子供は自分が存在を認めてもらうためには、何か役に立つことをしなければいけないと思っている。
そして大人になっても同じことをし続けている。

b)見捨てられ不安の強い場合

他者から常に見捨てられるのではという不安の強い人は、他者に何かをすることで、その見返りとして見捨てられない安心を得ようとします。

利佳子さんの場合はどちらか分かりませんが。
カウンセリング等を通して、もう少し自分を見つめる必要があるでしょう。

そして最後に「相手に尽くしすぎる危険性」について書きます。

4.困っている人のための世話行為は相手を暴君にすることもある

相手に尽くす。
この場合の尽くすとは相手の満足を満たすと定義します。

常に相手に尽くしますと、相手は何もすることもなく楽です。
そして、尽くされ続けますと、自分ですべきことは何もせず、何かをする機会を失い、そこから獲得する能力もつきません。

したがって尽くしすぎるということは相手を無能化することにもつながります。

また、常に尽くされ続けると、その状態が当たり前となり、尽くす側が少しでも手を抜くと、尽くされる側は日々の当たり前のことが出来ていないと感じ激怒するかもしれません。

自分が尽くし過ぎることによって、相手を無能化して、相手は尽くされる状態が当たり前となり、楽を覚えた相手はさらに尽くすことをあれこれ要求して、尽くす側は我慢の限界を超え疲弊してしまうのです。

皮肉にも自分が困っている人は放っておけないと、何かをしてあげたいと思った相手によって、潰されることもあるのです。

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