ひきこもる理由の様々‐1

前回からの続きです。

人が社会からひきこもる際の理由は自分を守るため、傷つくことへの恐れからが主な理由です。
安全な居場所を家や部屋に求めるのです。

それでは、ひきこもる理由について詳細を4つみていきたいと思います。
(ひきこもる理由は他にもあるかもしれませんが、今回は4つ書かせていただきます)

1 会社や周囲からのいやがらせ受け傷つきひきこもる場合
2 自分が周囲からの拒絶を恐れるあまり、または拒絶されたのではと思い傷つきひきこもる場合
3 周囲の期待を満たせず自分の居場所を失ったと思う、または燃えつきと絶望からひきこもる場合
4 自分が自分に課した期待を達成することが出来ず傷つき、絶望してひきこもる場合

1 会社や周囲からのいやがらせを受け傷つきひきこもる場合

これはひきこもる本人の問題という以上に、組織や周囲の人間の問題です。
ひきこもる以前に沢山のいやがらせで心の傷を負い、回復不能の状態まで追い込まれたのでしょう。

このような危険な場所からは距離を取るのが一番であり、場合によってはしばらく心の安定と回復を図るため家でゆっくりと過ごした方がいいかもしれません。

また、いやがらせは○○ハラスメントと解釈も出来、パワーが残っているのであれば法廷での闘争も可能かもしれません。

いずれにしても、外部要因からのストレスですので、ひきこもる本人にはまったく罪はなく、それ以上に被害者だと思います。

2 自分が周囲からの拒絶を恐れるあまり、または拒絶されたのではと思い傷つきひきこもる場合

自分が他者や周囲からの拒絶に敏感で、気を遣い過ぎ疲れてしまったり、他者の何気ない一言を自分に対する拒絶と感じたりと、とにかく何事につけ自分が何らかの原因で拒絶されたのでは(されるのでは)と考えすぎ疲れきって燃えつきてしまう場合があります。

この拒絶に対する不安について何事も自分に原因があるのではと考えることを、自己関連づけといいます。自己関連づけは大変なエネルギーを消耗させます。例えば他者の何気ない一言を気にして真相(あれは一体何の意味だろう)を考え続けたり、自分が他者に言った一言が相手に不快感を与えていないか等考えすぎますと、結論の出ない推測を延々と行い、思考のグルグル回りで疲れきってしまうのです。

また、自己関連づけは自分の行動、言動がすべて自分に大きく関係すると捉えていますので、「頼みごとを断ったら嫌われる」等と思い込み、自分もアップアップの状態にも関わらずプラス他者の仕事も引き受けてしまい、忙殺より燃えつきてしまうかもしれません。
しかし、断ると嫌われる、嫌われると自分が傷つくと思い込んでいますので断れないのです。

拒絶を恐れる。拒絶を恐れるとは否定的評価を受けることを恐れると言葉を換えることができます。
否定的評価を受けることが行き過ぎますと近所の人、道ですれ違った人と視線が合っただけでも、自分が否定的評価を受けるのではと不安を感じ、日中は外出を控え、人の少ない夜中にだけ外出するようになるかもしれないのです。

この否定的評価からひきこもるということですが、先日NHKで一瞬不思議に思った番組がありました。
ひきこもっている方へのインタビューだったのですが、何とそのひきこもりの方はテレビに顔を映して堂々と話しをしているのです。
この人本当にひきこもっているの??
と思いましたが、すぐに理解出来ました。


ひきこもりの方が否定的評価を受けること、拒絶に敏感とすれば、NHKのスタッフは取材にきており、ひきこもっている方に対して受容的に接しています。
そうしますと、ひきこもってる方は安心を感じてリラックスして取材の受け答えが出来るのでしょう。
しかし、一般の人はこのひきこもりの方にどう接するかは未知数です。そして、拒絶に敏感な彼らは不安から一般の人を避けてしまうのでしょう。

そして、この例から明らかなように「人が誰も自分を拒絶しない」と感じることが出来れば、テレビのインタビューにも堂々と応じることが出来るのです。

しかし、この他者が自分を拒否するという感じ方は、根拠のあるものなのでしょうか。
すべての人が自分に注目して評価をしている。
そのようなことありえますか?
よく考えてください。

3 周囲の期待を満たせず自分の居場所を失ったと思う、または燃えつきと絶望からひきこもる場合

常に周囲の期待を満たすべき、責任を果たすべき等の思いに捉われていますと、当然仕事等は過剰にまで頑張り続け、やがては業務量超過や疲労から疲れ、その期待や責任を果たせなくなります。

このタイプの人たちは周囲の期待を満たしている自分は価値がある、責任を果たし続ける自分には価値があると思い込んでいますので、それが出来なくなりますと当然自分に価値はないと思ってしまいます。

価値のない自分には居場所がないと勝手に思ったり、また頑張りすぎた結果の疲れから燃えつき動けなくなり、自分に絶望を感じてしまいます。
また、自分に絶望を感じますと当然その自分が他者に受け入れられることがないと他者や周囲にも絶望を感じ、生きることにも絶望や無意味を感じてひきこもってしまいます。

ひきこもるというよりは「休む」ということかもしれません。

しかし、なぜ周囲の期待を満たすこと、責任を果たし続けることに過剰にまで価値を求めるのか、自分を振り返る必要があるかもしれません。