性格 変えられるものと 変えられないもの

前回より、性格は変えることが出来、その性格を変えることが出来るは自分であり、そのために他者の関係性を築き、居場所を持つことの重要性を書いてきました。

さて、性格を変える。
今時の言葉で書くと、キャラを変えるとも言うのでしょうか。

人が性格、キャラを変えたいと思う大きな理由は、次の3つではないでしょうか。

1 今の自分に対する違和感。何か自分じゃない感覚。
2 周囲に適応していない自分を変えたい、周囲に合わせる(過剰適応には注意要)
3 周囲に対して、高い理想を掲げた自分を打ち出そうとしている
(リーダーであるべき、明るくなければいけない等)

この、キャラの語源はキャラクタターであると思いまます。
そして、国語辞典によると、キャラクターとは性質、性格の意があり、狭義の意味では、演劇等の登場人物においての役割を指す。と定義されています。

ここに性格を変えるための、興味深い要素があります。

自分の性格を変えるためには、ある場において、意識的に自分を演じることが必要であり、やがては、その演じていた自分が、演じなくても出来る、自分になる。

意識的に行っていたことが定着して、意識しなくても、その自分で在る。
これは、演じる努力をし続けた結果、性格が変わったと言えましょう。

キャラ変の努力が実を結び、そのキャラそのものに、自身の性格が変わった。
性格が変われば、意識しなくてもそのキャラでいることが出来ます。

本当の自分という言葉は、控えたいのですが、(人とは多面体と考えているため)。
しかし、心地よい自分という言葉は使いたい。

人の中、人間関係において、いかに、心地よい自分でいることが出来るかどうか。
心地良い自分になることが、性格を変えることを意味するのであれば、その性格を変えるためには、人の中において、成りたい自分を打ち出し、継続する努力が必要なのでしょう。

さて、性格を変える、キャラを変えることには注意も必要です。
それは、成りたい性格、演じようとするキャラが、本来の自分、素質として、その要素を持っているかどうか、考える必要もあるでしょう。

性格を変えることが出来た人、キャラを変えることが出来た人と、出来なかった人との差は、ここにあるのではなでしょうか。

さて、私の経験を書きます。
いつも、私の経験ばかり書いて申しわけないのですが、経験したことを書くことは、書きやすく、伝わりやかいのではないかと思っています。

私は子供時より、自己抑圧、心理的なひきこもりで、人とのコミュニケーションが出来ず、人の気持ちも分からない子、青年でした。

今では、人の気持ちも分かり、コミュニケーションに苦を感じることはありません。
社会性も獲得しています。

しかし、私にはテンションを上げる、明るく振る舞う。おもしろいことを言う等は、未だ出来ません。
する気もありません。いつも淡々としています。

さて、人には生まれ持った素質の影響もあるでしょう。
私の今の性格がどこまでが素質の影響かは分かりませんが、私は23歳以降、学習によって自分の性格を、ゆっくり作り替えたと思っています。

したがって、強引に真逆の自分を演じたり、キャラ変をしたことはありません。

子供・青年時の自分に、経験と学習により、ゆっくりと、足していった感じです。

あまりにも自分にかけ離れた自分を演じること、素の自分とは違う、その要素を持っていない自分を演じることは行っておらず。
それが自分の成長には良かったように思います。

強引に性格を変える、キャラ変をし続けますと、自分は、本当は何を思っているのか、感じているのか、分からなくなってしまいます。

それは、キャラを演じることに、すべてが集中してしまい、自分を忘れてしまうのです。
(その場、その場に過剰に適応したり、あまりにも高い目標の自分を演じ続けますと、自分は本当に何を話したいのか、どう振る舞いたいのか、何を感じているのか等、分からなくなってしまい、結果として、自分とは何か。自己存在、自己喪失の悩みに発展していきます)。

強引に自分とは真逆の自己を演じる期間、キャラ変の期間が長ければ、長い程、自分を忘れてしまい、気が付いた時には、自分を忘れてしまう可能性が高いのです。

自分の性格を変えることにチャレンジすることは大切なことだと思います。

しかし、その目標とする自分は、無理をするのではなく、居心地の良い自分で在ることが、一番です。

性格には変えられる傾向と、変えられない傾向があることを知ることは、自分を知ることでもあり、このことに、自己の限界までチャレンジし続けないことです。

居心地の良い、自分を目指しましょう。
自分らしく在り続けましょう。