自己信頼感と自信について

「自信を持て」、「もっと自信をもって生きろ」等の言葉はよく聞きます。
自信。この言葉はいったい何を意味しているのでしょうか?
自信⇒自分を、信じること、と言葉を分けることが出来ます。

しかし、自分を信じるとは、自分の何を信じるのでしょうか。
自分を信じる拠り所を、どこに求めるのでしょうか。

そして、自分を信じる拠り所とは、目に見える、賞状、社会的肩書、難解な資格の保有、物質の所有なのでしょうか?
おそらく、すべて違うと思います。
なぜなら、これらは失うこともあるからです。
すると、これらを失った瞬間、自信は崩壊するのでしょうか。消え去るのでしょうか?

私は自信とは、自分を信じる感覚であると思っています。
言葉を変えると、自己信頼感。
⇒以降、自信ではなく、自己信頼感として記述します。

※そして、人には自己信頼感と同時に、自己存在のOK感が必要ですが。

まずは、今回、自己信頼感から書きたいと思います。

自分を信頼する自己信頼感。
自分が自分を信頼するということは、自分が自分を信頼出来るという体験、経験が必要です。
この体験、経験の蓄積から、自己信頼感を培かうのです。

では、私たちは成育歴のどのような場面で、自己信頼感を築いてきたのでしょうか。
自分が自分を信頼する拠り所とすれば、それは、成功体験の連続によるものではないでしょうか。(本番前の練習も含む)。

(成功体験とは、その成し遂げたことの大小は問わず、まずは一歩踏み出し、そのことを達成する経験です)。

これら成功体験の連続から、出来る拠り所を多々持ち、自分は出来る、出来る自分を信じる、そして、自己信頼感を蓄積する。
したがって、成功体験をたくさん持っている人は、自己信頼感が強く、自信に溢れている人となるのです。

逆に考えると、子供時から成功体験がなく、失敗体験、否定された経験、何にもチャレンジしてこなかった人は、自己信頼感が弱いと言えます。
そうですね。
自己信頼感の感の拠り所が、人生経験上ないわけですから。

そして、これら自己信頼感を築くと同時に、成功体験の恩賞として得た物が、勲章(メダル 賞状)、社会的肩書、難解な資格保有、物質、富であったりするのです。
俗に言う、成功者の証でしょうか。
しかし、これらの物は剥奪されたり、失うこともあります。

しかし、例えこれらを失っても、これらが自己信頼感、成功体験を得る過程で得たもの、産物であったとすれば、これらを失ったとしても、その人の自己信頼感は失われることはなく(一瞬か、しばらくは落ち込むでしょうが)、再生して、今度は復活力として現れるとも考えられます。

実際に何回か会社を倒産させても、何度も這い上がる人はいますよね。
莫大な借金を抱えていても、見事に返済、再起を図る人もいます。
これらの人は過去の成功体験が多く、自己信頼感も強く、「やれば出来る」という諦めない信念も獲得しているのではないでしょうか。

また、成功体験、自己信頼感と簡単に書いてきましたが、この自己信頼感を得るためには、成功体験の裏打ちがあり、成功させるためには、それなりの努力をされてきたと思います。
ですから、自己信頼感の強い人とは、それなりに諦めずに努力をしてきた人。
その底力のある人とも言えます。

さて、冒頭の「自信を持て」という言葉は、それなりに努力してきた人にとっては、その過去を振り返り、成功体験と、獲得した自己信頼感の感覚を思い出すことにより、
「自分は出来る」と思うことが可能なことであり、「自信を持て」という言葉も心に響くと思います。

逆に、成功体験を培うことが出来なかった方、否定ばかりされてこられた方は、「自信」と聞いても、それがどのような感覚か分からないのではないでしょうか。

でも、自信とは成功体験による積み重ねの感覚であり、年を重ねても、培うことは可能です。
いつでも、自信を獲得する可能性はあるのです。

それは、いつでも、何かにチャレンジすることが可能だからです。