根源的不安はどこからくるのか・1

E・H・エリクソンの発達理論を中心に

前号(不安と依存と攻撃と)では自分が自分とつながっていないと、そこからくる不安(漠然とした不安)を解消するために他者とつながろうとすると書かせて頂きました。
言い換えると、自己信頼感を持っていない人はその存在認知・価値を、他者に委ねるということです。
ここに自分を他人に委ねる依存症が発生します。
では、自分が自分とつながっていないこと、この自己信頼感の欠如からくる不安(漠然とした不安)は一体生育歴の中のどこで生まれたのでしょうか。
ここでは不安(漠然とした不安)を根源的不安と定義します。

そして、今回はエリクソンの発達理論を中心に、この根源的不安の発生を見ていきたいと思います。

誕生前 私達は胎内においていろいろなことを感じています。特に母親の感情はそのまま胎児に影響するでしょう。
例えば母親が妊娠中に何らかの不安があると、その不安は胎児に影響して不安感の強い子供が生まれるでしょう。
また、望まない妊娠をしてしまった母親が胎児に憎しみ等を抱いていたら、胎児はその憎しみを感じて、自分は歓迎されていないと孤独感、不安感を感じていると思われます。
更に遺伝の要因も見逃せません。
両親等神経質で不安感が強いと胎児はその素質を受け継ぐことは容易に想像されます。
これら、胎内での環境・遺伝は根源的不安に大いに関係してくるでしょう。
但し遺伝に関しては神経質・不安感が強い素質を持って生まれてくるということであり、生育歴・周囲の環境によってはその素質を開花させないこともあります。
したがって必ずしも遺伝的要因のみでは根源的不安の決定要因にならないのです。

では、次にエリクソンの発達理論を中心に生育歴からくる根源的不安を見ていきます。

第一段階 乳児期(〜1歳まで) 基本的信頼感対不信

基本的信頼感とは私達が生きていくうえで、世の中、周囲、自分を信じることを意味しています。
これは両親や自分の世話をしてくれる人が常に自分の欲求を満たしてくれることから獲得するものです。
自分が泣けば誰かが自分の面倒を見てくれる。
そして、自分は安全だ、安心だ、そして生きるに値する価値(世話をしてもらう価値)があるということを感じるのです。
乳児はまったくの受身です。ですから、基本的信頼感は周囲から得られる愛情、サポ−トによって初めて獲得出来るものなのです。 これとは逆に、親が放任主義で乳児が泣いても誰も助けに来てくれないと孤独感、不安感を抱き、自分には価値がない、愛してもらう価値がないと感じてしまいます
これが根源的不安の始まりのひとつであると思います。

⇒周囲からの放任⇒愛されるに値しない、生きるに値しないと感じる⇒自己存在の否定⇒基本的信頼感の欠如、自分が自分とつながっていない感じ⇒根源的不安、漠然とした不安の発生。

ですから乳児期に周囲から適切な愛情を受けなかった場合は、漠然とした不安感を背負って成長することになります。
これは自己不信を獲得すると言葉を変えてもいいと思います。
ただ、この場合気をつけないといけないのは、親は放任主義でもなく乳児に愛情を充分持っているのだけれど、忙しすぎて構ってあげられない場合もあります。
乳児、幼児は周りを理解出来る力はまだ持っておらず、すべてを自己中心的に考えてしまいます。
したがって表現のない愛は理解出来ず、やはり自分は愛される価値、生きる価値のないものと感じることでしょう。

第二段階 幼児期(1歳〜3歳) 自律性対恥・疑惑

親からの躾(外からの要求)を受け入れつつ自分自身を築いていきます。幼児は自分の好き勝手に好奇心を満たそうと行動します。
そこで、親が躾ということで「〜〜してはいけません」と幼児の行動を規制します。
親の適度な躾は社会性を養ううえでも大切なものと思います。
しかし、過剰な躾はどうでしょうか。幼児が好きなことをしようとすると親がそれを規制し続けるのですから、子供はそこから何をしても親に邪魔されると思ったり、また親に怒られるのが嫌で、おとなしくしていれば(自分の意志を出さなければ)親に認められる、誉められると理解して、自分を抑圧してしまうかもしれません。
これらは自己表現の抑圧または欠如と発達していきます。
また、行動を規制するだけでなく、親が過剰な要求を幼児にしたらどうでしょう。
例えば「早く服を着なさい」等日常のささいなことなのですが実際に幼児が大人の早さで服を着れるわけがありません。
あまり過剰な要求を幼児にすると、幼児は自分自身を親の要求、期待に応えられないと感じ、そのことを恥たり、または自分はどうなっているのかと疑惑を感じます。

親の躾や要求が適度なものであれば幼児はあまり親の干渉を受けず、自分の思った通り好きに行動をして、自律性を獲得します。
しかし、それが逆であると好きに動きたい気持ちや行動の抑圧から自己表現を抑えたり、控えめな人間へと成長していくでしょう。
自分は本当はこうしたいという意思を表現しなくなります。
どうせ表現しても邪魔され怒られるから。
そして、常に親の視線を過剰に気にして怒られないように振舞うでしょう。
自律性を獲得出来なかった幼児はその後の児童期、学童期、青年期へと進んでも、常に人の目を気にしたり、やたら人に合わせ過ぎたり、自分を抑圧したりと自分が自分でない感覚を感じるのではないでしょうか。
これも自分が自分とつながっていない根源的不安の要因であると思います。

また、幼児が何かしようと行動を起こそうとして、親が先回りしてその行動をしてしまう場合も同様の結果を招くと思います。過保護です。

過保護の場合でも過干渉と同様、幼児は自分がしたかったことが結局は出来ず、親が何でも先回りしてしまうので、自分は何もさせてもらえないと無力感を感じてしまうでしょう。

無力感から自律性は養えません。

 

更に、第一段階で基本的信頼を獲得出来ないと、この第二段階の自律性は獲得しにくいと思われます。なぜなら、根本的に自分に不信感を抱いているとそれだけで自分に自信がなく、抑圧的で自分の好きに振る舞うということが阻害されると考えられるからです。

 

また、人の性格は3歳までに決定されるという説があります。3歳までに、基本的信頼感と自律性の獲得が大切ということでしょう。

 

なぜ、3歳までの体験が重要であるかは、別の観点も交えて次回書きたいと思います。

 

第三段階 児童期 自発性対罪悪感

 

自発性とは何でしょうか。

これは、自分の要求を外に表現すること。

そして、自分が周りに影響を与えることです。

では、自発性を発揮するためには何が必要でしょう。

自分が周りの視線や態度に影響されずに自分の要求を外に表現するためにはです。

第一段階での基本的信頼感は当然必要でしょう。また、第二段階での自律性の獲得も必要でしょう。

自分を信頼して自分の意志を持ち好きに行動することから、更にはあまり遠慮をすることなく、自分の要求を外に表現出来るようになれるのです。

 

それでは罪悪感とは何でしょう。これは調子に乗って自分の要求たくさん出しすぎたり、自分勝手な行動をして、周囲からの叱責を買い、「悪かった」「失敗した」「自分は悪い子」と罪悪感を感じるということです。

あまり日々怒られすぎて罪悪感を感じすぎると、そこから自分はダメな人間と思い込みその後の成長の妨げとなるでしょう。

 

第一段階での基本的不信感、第二段階での自分に対する疑惑・恥の感覚。ここからくる根源的不安を持って成長してしまった児童は、第三段階において幼稚園等に入ってもおとなしく、抑圧的で常に周囲の視線ばかり気にする、おどおどした児童へと成長して自発性を発揮出来ないと思われます。

そして、そのまま大人へと成長してしまうかもしれません。

 

しかし、そうは言っても第三段階まで順調に発達成長しなかったとしても、次の発達段階以降で環境が変わり、そこから行動等が変わることによって、基本的信頼感の回復や、自律性を発揮していくことも多々あるとは思います。

第四段階 学童期 勤勉性対劣等感

中学生、高校生と成長するにつれて体格も立派になり、学校での勉強も難しくなり、そして、思春期を迎えます。
勉強やスポ−ツ、恋愛がうまく進むと、自己優位性、優越感が獲得され、ますます頑張ろうと思うでしょう。
勤勉性より育ってくる力が有能感なのです。逆に、勉強も出来ず、スポ−ツはダメ、恋愛も出来ないとなると、他者との比較により劣等感を感じてしまいます。この時期は自己を過剰に意識しだして他者との比較により自己概念を形成していくのです

またここでも、自己信頼感、自律性、自発性の欠如、罪悪感(根源的不安)より、自分の意志を通すことなく行動を抑制してしまうと、本来行動すること、経験することから得られるはずの様々な力を獲得しそこない、ますます自分に自信が持てなくなってしまい、劣等感を抱いてしまうのです。

第五段階 青年期 アイディンティティの獲得(19歳〜24歳)

自分とは何者であるか。自分で自分を決定します。今までみてきた発達段階を順調に成長していれば「自分は有能で協調性もあり自分はOKな人間である」等の肯定的自己概念を持つでしょう。
しかし、ここまでの各成長段階で獲得すべき力を獲得せずに青年期まできてしまいますと「自分は価値がない、何も出来ない良いところがない人間だ」等の否定的自己概念を抱いてしまうことは容易に分かると思います。

根源的不安(基本的信頼感欠如、自律性欠如、自発性欠如、罪悪感、劣等感)により、自分の好きに振舞う意思や行動を抑えて成長していくと、成長の発達段階で得られる様々な力を獲得しそこない、生きることへの不安や生き辛さへと発展していきます。そして、何よりも辛いのは、自分で自分に対してマイナスのレッテルを貼ってしまうことなのです。
そして、このレッテルをはがせるのは自分しかいないのです。
レッテルをはがすためには、成長の止まってしまった発達段階で出来なかったことを経験、体験して獲得すべき力を獲得しなおさなければなりません。
言いかえれば、自分で自分を再生させるのです。

さて、ここまでエリクソンの発達理論を中心に、根源的不安の発生をみてきました。
しかし、根源的不安は発達理論だけで説明出来るものではありません。
次回は発達理論以外から根源的不安をみていきたいと思います。