あなたの思っていたパートナーは最初から存在していなかった

恋愛において付き合う期間が長くなるほど、パートナーについてよく分からなくなったということを経験されたことがあるかもしれません。

これは付き合う当初に感じていたイメージ、もしくは相手に対する認識が時間の経過とともに、変わってきたということだと思います。

今回はパートナーに対して抱いていたイメージ、認識がなぜ変わってしまったのか。
つきつめて書くと、「最初からあなたの思っていたパートナーは存在していなかった」ことについて書きたいと思います。

1 誰にでも親切にする彼 しかし私には不親切だった

A子さんはB君と付き合って2年経っています。
B君とは社会人サークルで知り合いました。
A子さんはB君のサークルでの活動において「誰にでも親切」なところに好意を持ち付き合いはじめました。
B君に対しては人に対する愛であふれている、このような感覚を持ったということです。

誰にでも親切⇒これは人に対する声かけ、後輩の面倒をよくみる、全体の場では参加者全員に対する目配り、必要と思ったことはすぐにしてあげる親切心。

彼の親切を振り返りますと、本当に誰にでも親切な感じがしますね。
A子さんによりますと付き合った当初はB君もA子さんには親切で優しかったのですが、時の経過とともに、どうでもいいような冷たく感じられる態度をとるようになったとのことです。

それでも相変わらず、周囲の人には親切な気配りと行動を取り続けているのですから、A子さんにとっては不思議でなりません。
「恋人には不親切。でもどうして関係性の薄い人には親切なの」
と疑問を感じていました。

私はB君の生い立ちは知りません。
しかし心理カウンセラーの経験から考えますと、B君は心の深い部分では、人との親密を恐れているように感じます。

人との親密を恐れる人とは本当の自分を知られることに恐怖を抱いています。
それは、本当の自分を知ったら人は自分を避けるであろうというような根拠のない不安にもとづいています。
そして大概この人たちは親からの愛を獲得することなく、愛をあまり感じることなく成長してきました。
だから心の中核は「淋しい」のです。

この「淋しい」感覚より人とつながりたい気持ちが強く、多くの人とつながるための方法を考えます。
その方法がB君にとっては「親切の発揮」だったのです。

彼が本当に親密を恐れている人かどうか、確認出来る質問があります。
それは「彼は、お友達は多いですか?」という質問です。

誰にでも親切、好かれる人なのに友達が少ないとしたら・・・。
何か妙ですね。

恋人に対しても、あまり本当の自分や感情を出すこともなく、また時の経過とともに、自分を深く知られることが恐くA子さんには自己防衛から無意識的に冷たく振る舞われるのかもしれません。
また、親密を避ける傾向から、情緒の深いやりとりである恋愛に対しては淡泊なのかもしれません。

彼は本当は誰にでも親切なのではなく、自分抱いている淋しさを大勢の人から薄く広く満たしてもらいたいのでしょう。

2 何でも知っている物知りの彼 実は甘えたで幻滅

C子さんは尋ねたことは大概答えてくれる物知り、雑学王の彼と付き合って驚いたことがあります。
それは彼(D男さん)が甘えたで、C子さんにお母さんのように甘えてくるということです。
C子さんは彼の物知りでインテリな雰囲気が好きだったのに。

人は心に空虚を抱えている場合、その空虚を何かで満たす傾向があります。
その空虚を満たすため、その痛みを麻痺させるために、アルコール、ドラッグ、仕事中毒等、空虚感を麻痺させる傾向のものに向かう場合もあります。

D男さんの場合はやはり子供時より親の愛をあまり感じたことがなく、かつ人生を楽しむという感覚も分からず、その心の虚しさを何かで満たす必要があったのかもしれません。

それが「知識」だったのです。

今まで自分を知識で満たしていたD男さんですが、今は恋人であるC子さんに虚しさを満たしてもらうために、彼女に甘えているのでしょう。
したがってD男さんの実態はインテリな雰囲気の男性というよりは、少年のままなのかもしれません。

さて、今回は「薄く広く愛を求めるが親密を恐れるB男さん」「自分の空虚を知識で満たしていたが今は彼女で満たすD男さん」の例でした。

この2例に共通していることは、子供時における親子間における愛情の薄さの問題です。
(これは心理カウンセラーである私の推論ですが)。
愛情不足の子供時からくる空虚、虚しさ、淋しさを大勢の人とつながることで満たそうとするB男さん、そして彼女で満たそうとするD男さん。

圧倒的な空虚の前に、人は何かで心にあいた穴を埋めてもらいたいという衝動があるのです。

しかし重要なことは。
満たしてもらいたいと思っている本人が自分は問題を抱えていると認識をすること。
そして、その満たし方に偏りがないかチェックをする自制心があるかどうかです。