人生 心 スピリチュアルへのメッセ−ジ

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2007年04月25日

人格の向上

人がその生涯をかけて成すこと。
それは何でしょうか。

人それぞれ言われることは違うと思いますが・・・。

私は「人格の向上」をあげたいと思います。

では、人格の向上とは一体何を示すのでしょうか。また、人格の向上を図るためには何をすればいいのでしょうか。そして、人格の向上が図れれば何が起こるのでしょうか。

人格の向上。私は人格の向上とは、その人の波動の変化であると思います。
例えば、優しそうな人は優しそうな顔、雰囲気を持っています。
怒りっぽい人は、そのような顔、話したか、態度、雰囲気を持っています。
これが私の言う波動です。

いかなる、雰囲気を出しているか。いかなるオ-ラを出しているか。
これは、自分とは何者であるか、それを世に向けて発信しているのです。
優しい人、誠実な人、怒りっぽい人、嘘つき、一生懸命働く人・・・。
波動を出している限り、それは周囲の目に留まります。また、人はその波動を感じとることが出来ます。

したがって私たちの出す波動により、人は様々な意味でその波動に反応するのです。

ここまで書くと、人に心地良い、共感出来る波動を出した方がいいことはお分かり頂けるのではないでしょうか。
すなわち、波動を高めること、これが人格を向上させることです。

では、波動を高めるために、人格を向上させるためには、どうすれば良いのでしょうか。
私は「誠意を持って事に仕える」ことを一番に挙げます。

私たちは日々多くの事に仕えています。
それは、有給の働く事、親として子どもを育て事、学生として勉強をする事等、長期の使命的役割を始め、更にはもっともっと多くの事に仕えているのです。
例えば。
道を歩く事。歩く際は自分勝手ではなく周囲を見て、他の歩行者のことを考える事も大切です。
車を運転する事。マナ-を守るのはもちろん、歩行者への配慮、他の車へ配慮して運転する事が大切です。
電車における乗客である事。イライラせずマナ-を守る事。
人と話しをする事。相手に興味を持って肯定的に接する事。

このように、私たちは日常生活においてあらゆる事に仕えているのです。
そして、様々な事に仕え、いかに振る舞うかにより、自分とは何者であるかを、世界と自分自身の人生に証明しているのです。
人格の向上にはすべての事に対して誠意を持って仕えることが大切なのです。

そして、人格が向上すれば何が起こるのでしょうか。
日々誠意を持ち事に仕え、襟を正しすごしている人には、その格にふさわしい、人やステ-ジが自然とその人に訪れてきます。

逆を書くと、道の真ん中を人目を省みずダラダラ歩いたり、滅茶苦茶な車の運転をしたり、割り込み乗車をしたり・・・。
人格の低い行いしか出来ない人には、その人の格にふさわしい、人やステ-ジが訪れて来るのです。

それは、人格の向上とは波動の変革であり、波動は他者が観察出来、感じとることが出来るものですから、当然このような結果になることはお分かり頂けると思います。

人格を上げる。人格の向上とは難しいことではありません。
人としていかに振る舞い、誠意を持って一生懸命事に仕えるかであり、まったく難しいことではないのです。
歩く事、車を運転する事、電車内での振る舞い、人と話す事。あらゆる事を通して、自分勝手なことはしない、常に一生懸命、マナ-を守る、イライラしない、相手の気持ちに配慮をする、人に迷惑をかけない等々。
すべて出来そうなことばかりなのです。しかし、常にこれらを注意して、人格の向上のための振る舞いを続けのが難しいことも事実です。
どうしても私たちは感情の動物であり、感情に支配された時は、感情に任せ行動してしまい。誠意を持って事に仕えることをおろそかにしてしまいます。
常に自分の行動を振り返り、改めるべき点は改めていかなければなりません。


生涯をかけて人生においてなすこと。その最も大切なことは、自分の格を上げることなのです。
それは、人格が上がれば上がるほど、その格に見合った人と出会い、その格にふさわしいチャンスや仕事との出合いがあり、人生が開け、次の活躍出来るステ-ジへ移れるからです。
波動の変化により寄ってくるもの、出会うものが完全に変わるのです。

逆に人格を下げる行いばかりしていますと、その格にふさわしい人、仕事、ステ-ジが訪れ、自分自身をも苦しめてしまいます。自分の欠点に気づき、格を上げるための努力をしないと、いつまでもグルグルと回って生き辛さの原因ともなってしまうのです。

そして、更に魂があるのであれば。
人格の向上とは魂のレベルアップにもつながるのです。

人格の向上とは霊格の向上でもあるのです。

投稿者 stella : 09:25

2007年04月18日

転職

職を代えることを転職と言います。
転職をする理由は人様々です。
残業が多い、給与が少ない、仕事内容が自分に合わない、飽きた、キャリアアップにつながらない、人間関係等。

転職することじたいが良い、悪いと言えるものではないと思います。
ただ、本当に転職をするほどの必然があるのか、ないのか考える必要があるとは思います。

転職を考えるということは何か不満があるからでしょうが。
その不満の原因が何であるかじっくり考える必要があります。

例えば、給与が安い場合です。給与がそもそも安く、どう努力しても上がる見込みのない場合でしたら、自分では環境を変えることは出来ませんので得心出来るものだと思います。
しかし、給与が業績給、歩合制等で努力次第で上がる場合は違ってきます。給与を上げるための努力をしたか、どうかが問われます。

仕事内容が合わない場合も同様です。自分がその仕事に合わす努力をしたのかどうか。
何も努力せず辞めるとすれば、何も学んでいません。合わす努力をしたけど、どうしても無理なのであれば、その環境を個人で変えることは不可能なのですから理解出来ます。
合わす努力もしたのですから、仕事を通しての成長もあったと思います。

前回、私は「仕事」とは「事に仕えること」と書きました。
そして、前々回は仕事を通しての成長は計りしれないものがあるとも書きました。

私たちの成長にとって仕事とは欠かせないものなのです。
そこから、自分の内面を理解すること、他者の気持ちを理解すること、社会性を見につける等様々に仕事を通して人は成長出来ます。
ですから、学ぶべきことを学ばずして会社を辞めると、本来成長のために得られる何かを得られないのです。

学ぶためには努力することが大切です。
その事に誠意を持って尽くし、創意工夫を重ねるのです。
仕事を遂行させるために知恵を絞るのです。

そして、すべき努力をすべて行った後、この仕事を続けることは無理であると結論が出たのでしたら、学びは終わったのですから退職されても問題はないと思います。

退職を行う際の一番の問題は、自分が事に仕えるために努力をしたかどうかなのです。

何の努力もせずに退職をしたとすれば、次の職場でも同じ問題に直面する確率が大変高いのです。

例えば人間関係で退職を考えています。それは人間関係築くうえで自分が他者と積極的に話すことが出来ず浮いてしまったことが原因の場合、これは本人の対人スキルに問題があります。
スキルは経験により身に付きます。したがって、この会社で対人スキルをつけずに退職をした場合、次の会社に行っても対人スキルは低いままであり、同じ事態を招くことは容易に予想出来るのです。(もちろん、対人関係が必要ない、もしくは人との関わりが薄い場所へ転職すれば問題はないでしょうが。しかし、人間関係は職場だけではなく、生きていくうえで、あらゆる場面場所で生じてきます。対人スキルは生きていくうえで必要不可欠なものなのです)

転職。

仕える事を代える場合、今仕えている事から学びが終わったのか、仕えるための努力を十分したのか、そのことを考えてください。

転職は慎重に。

投稿者 stella : 13:45

2007年04月13日

仕事と天職

仕事。
皆さんはこの言葉より何を思われますか?

仕事=働くということ、労働が一般的なイメ-ジのように思われます。
したがって楽しかろうが、楽しくなかろうが、やりがいがあろうが、なかろうが。働かなければならないし、仕事をしなければならない。
私もサラリ-マン時代はこのように思っていました。

しかし、今は仕事について次のように思っています。
「仕事」とは「事に仕える」こと。

事に使えるとは何を意味するか。
事とは自分が今行っている行為行動のことです。これには有給、無給、労働の対価としての収入の有無は関係ありません。
今、自分が行っていること、その全てが事に仕えているということなのです。

有給のサラリ-マンとしての仕事、夫婦、家事、子育、恋愛、勉学、スポ-ツ。人は多くの行動に参加をして、多くの役割を果たし、多くのことに仕えているのです。
人は日々多くの事に仕え、多くの仕事を行っているのです。
仕事とは役割を果たすことと言葉を代えてもいいかもしれません。
そして仕事を行うのに大切なことは、その事に誠意を持って仕えることなのです。

しかし、そうは言っても、面白みのないことに仕えておられる方も多々おられるでしょう。
例えば有給の仕事であれば転職をしたい、辛い、辞めたい。様々な思いで仕事をされていると思います。
恋愛においても別れたい、新しい彼女が欲しい浮気等。

何に仕えるか、何に仕えるのをやめるか、私たちは選択出来ます。
何かの事に仕え、その仕える事を代えたいと思った時、そこで学ぶべきことが、すべて学び終えていたとしたら、その事は私たちが学ぶために提供された仕事、事であり、学び終われば、次の仕事、次の事に仕えるのは、私たちの成長にとっては当然の現象です。
(学びを終えるのと、学び終わる前に嫌気で逃げるのとは違います)
したがって転職や、失恋離婚、再婚等の事態は必然に生じることもあります。

私も銀行事務に14年3ヶ月間仕えていました。仕事は事務という性質上あまりやりがいは感じませんでしたが、14年3ヶ月間も勤務しました。さっさと辞める勇気がなかったのかもしれませんが。今、考えますとそこでの学びが終わるまでには、14年3ヶ月の時間が必要であったのだと思います。
そして、何を学んでいたかですが、このHPに書いてある通り、私は幼少期より様々な心理的問題を抱えており、人間関係が築けない大人でした。したがって私が銀行事務という事に仕えて学んだことは、銀行事務という仕事以上に、人間関係を築くという事であったのだと思っています。そして、人間関係が築けるようになったことによって、ここでの学びが修了して退職したのだと思います。

ここで皆さんの疑問が1つあるかもしれません。「仕事じたいは学び終えたのか」。
しかし、1つの会社に属して全業務を習得するのは不可能です。
私は入社以来14年3ヶ月の間、仕事じたいに対してはやりがいをほとんど感じていませんでした。。
惰性で銀行事務に仕えるのであれば、本来私がなすべき事、カウンセラ-職に仕えたいと決意して会社を退職したのです。
同じように考えると結婚をしたが離婚した夫婦。彼らは恋愛結婚生活に仕えることを通して、学ぶべきことを学んだのです。そして、これ以上2人でいると学びはなく、かつ修復不可能な状態になったのでやむを得ず別れたのです。いずれ、彼らの人生において、そこから学んだことは活かせられるでしょう。

さて、ここまでは仕える事を代えることについて書いてきました。
しかし、もし仕えることをやめることが選択出来ない仕事があるとすれば・・・。
そのような仕事がはたしてあるのでしょうか。
やりがいを感じて生きがいでもある有給の仕事。大恋愛の末結婚したカップルの永遠の夫婦生活。子供がかわいくて子育てが生きがい。
その仕事をやめることが出来ないということは、その仕事をやめることを選択しないということなのです。(経済的困窮で嫌で嫌でたまらないけれどやめられない仕事労働といった例は除外します)

仕事をやめられない理由は肯定的理由なのです。

この肯定的理由でやめられない仕事、何の事に仕えるか、これこそが天職なのです。
生涯をかけてなすべき仕事なのです。

天職とは天から与えられし職です。

私たちが生まれてきた目的を果たすための仕事かもしれません。私たちの魂の転生の目的かもしれません。

いずれにせよ、天職も事に仕えることであり、有給、無給の仕事を問わないということです。
そして、ひとつ言えること。有給の仕事でこれが「天職」と言える仕事に就いている人は少ないということです。

有給の仕事に就き労働して得られるものは経済的なものです。そこには、夫婦、家族と過ごすという事に仕える、何かを勉強する事に仕え夢を実現する(学費授業料確保)、趣味に仕え生きがいを得る等、その人にとって大きな目的を果たすための手段として有給の仕事に仕えることがあるのです。
すなわち天職を果たす、天職の役割を果たす、天職を行うため、有給の仕事労働に仕えることは多々あるのです(生計の維持のため)。

人は生涯を通して多くのことに仕えますが、人生において天職とはどれほどあるのでしょうか。天職に仕えながらも、他の事に仕えるのは複雑な経済社会ですから、それはしかたのないことなのです。

私たちは無意味、無目的に生まれてきているのではありません。
かならず生まれてきた意味、果たすべき仕事があります。
それは人各々ですが。

必ず私たちには、私たち独自の天職があるのです。
それを発見、見つけることも私たちが生きるうえでは重要なことなのです。

投稿者 stella : 09:29

2007年04月04日

適職が分からないと働けない

ここ数年、適職が分からないという悩みを若い方を中心としてよく聞きます。
しかし、この適職とは一体何を意味するのでしょうか。

「適」「職」。適した職。自分に適した職。自分に適した仕事のことを意味するのだとは思うのですが。
そうであるなら、自分の何に適しているのでしょうか。

性格、価値観、スキル、資格、企業風土、福利厚生・・・。

私は現在月~金までキャリアカウンセラ-として若者の就職支援のカウンセリングを担当していますが、適職が分からない悩みで一番多い相談は、自分の性格に合った仕事が分からないというものです。
自分の性格に合った仕事が分からないのです。

でも、大体の自分の性格が分かっていたら、それに適する仕事、職種は大体このようなものと分かるはずではないでしょうか。

例えば話すのが好きと言うのであれば、対人折衝業務、サ-ビス業。具体的には営業、販売、企画。コツコツと体を動かして仕事がしたいのなら物造り等。
何となくですがイメ-ジは出来ると思うのですが。

それでも、適職が分からないと悩んでいるならば、自分に合う完璧な仕事を探しているのではないでしょうか。
もしそうであるのならば、自分について完璧に理解しているのでしょうか。
ある程度経験と年齢を重ねた方は、自分をある程度お分かりになるかもしれませんが、若ければ若い人ほど人生経験も乏しく、自分を知ること理解することは難しいと思います。
ですから、なかなか適職とは何かという悩みの結論が出ないのです。
完璧に自分に合った仕事とは見つけにくいのです。

それでも、探し続け見つかるまで働かないと自己決定をされるのならば、それはそれで良いのです。
人生からの問いかけに対して、それを選択されたわけですから。
あとは、その態度、行動に対する責任が生じるだけです。


では、私個人として適職の悩みについて思うことを書きます。

人は年を重ねるごとに成長して性格も変わります。
そうしますと、性格をキ-ワ-ドとした適職も変わってきます。
また、価値観をキ-ワ-ドとして適職を考えたとしても、やはり年齢と共に価値観も変わるでしょう。

ですから、適職が分からないという悩みで時間を膨大に費やさない方がいいのです。

ある程度自分の能力が活かせ、価値観に合うのであれば働いた方がいいと思います。

それは職業経験から学ぶべきものが多々あるからです。
仕事を通しての成長は大切な経験です。
仕事における役割が人を作ることもあるのです。

そして、新たな能力を培い、新たな自分を発見出来たりと、仕事を通しての成長は計りしれないものがあるのです。
そして、適職もその人が成長した度合いに応じて変わってくるのです。

勇気を出して仕事に飛び込むことが大切です。

それに、履歴書を書く際、あまりにもブランクの期間が長いと、面接で不利になります。

投稿者 stella : 11:40