良識力

心理カウンセラーとして仕事をしていますと、心理カウンセリングの目指すところは、最終的には、「いかに生きるか」という不変のテーマ直面すると思います。

人は都度の心の悩みを抱えてカウンセリングに来られます。
しかし、この相談内容は実は、「いかに生きるか」ということと同質なのです。

自分に対する自信について、対人不安、職場の悩み、転職、離婚等々、すべては今抱えており解決したい悩みではありますが、ここにはその悩みからの解放、すなわち今後いかに生きるか、このことが共通のテーマとして存在しているのです。

したがって、心理カウンセリングは「いかに生きる」かがそのテーマであり、言葉を変えると、「いかに在るか」ということなのです。

「いかに在るか」とは、何を選択して何を実行するのかによって決まり、それはいかに生き、いかなる存在の自分であるか、とも言えると思います。

さて、心理カウンセリングからは少し離れてしまうかもしれませんが、私たちは常にあらゆる状況において「いかに在るか」を問われている存在です。
また、「いかに在るか」に答えることにより、自分とは何者であるかを証明しているのです。

そして今回、「いかに在るか」と問われるなかでも、私たちがその存在を軽んじて証明してしまう傾向のある、無名の私について書きたいと思います。

まず、存在証明についてですが、これは私たちの意思にもとづき選択する行動・態度により、自分とは何者であるかを証明します。
例えば職場において皆に挨拶をする者か、しない者か。
または、道を歩いている際自分の吸っているタバコをポイ捨てする者か、携帯灰皿に収める者か。

私たちは生きるにおいて都度何かを選択して実行して、自分を証明しているのです。

そして次に「無名の私」についてです。
無名とは文字通り、人に知られていない私を指します。
多くの人は道を歩いていても、誰も知りません。誰からも知られていません。
したがって無名なのです。
しかし芸能人が道を歩くと知っている人は知っており、これは有名となるのです。

職場において私たちは、職場の構成員全員から知られており、職場内においては有名です。
したがってその行動は常に相手の立場や視線を意識した、良識ある振る舞いとなります。

良識:社会生活をおくるうえでの健全な判断力。

周囲に挨拶をする、エレベーターではボタン操作をする、常に思慮分別を持った振る舞いとなります。
もちろんそうしなければ、悪く思われたり、批判されたり、上席から注意されたり、自分が職場に居ずらくなることを避ける等考慮してすべて判断しています。
すべては有名であるがゆえです。

しかし職場では良識にもとづく行動を選択実行しているにもかかわらず、無名な状況においては、どのように振る舞うでしょうか。

私は、無名な私がいかに在るか、この状況においてこそ、人としての「真のその人」が存在すると思います。

無名な私とは、誰も私を知らない状況において、その私がいかに振る舞うかということです。
そして、先にも書きました、振る舞いにおける判断は良識にもとづき行われます。

良識とは、社会生活をおくるうえでの健全な判断力であり、多くの人は良識を共有していると思います。

・タバコのポイ捨てをしてはいけない
・割り込み乗車はいけない
・お年寄りには席を譲りましょう
・夜は隣近所に迷惑をかけないように、静かにしましょう
・歩行者の安全を配慮して車を運転しましょう

どうでしょうか。
これらを良識と言います。
誰でも異論なく、納得頂けることだと思います。

しかし、残念ながら無名の私たちは良識があるにもかかわらず、良識にもとづく判断を行わず、しばしば自分勝手な行為を選択することがあるようです。

例えばタバコのポイ捨て。

人は自分の勤めている会社や、自分の住んでいる近隣において、タバコをポイ捨てすることはないと思います。
それは誰かに見られている、有名人としての自分の立場を考慮してのことでしょう。
良識があり、良識に反しない行いの裏には、誰かに見られていたらという、その後の罰の悪さや批判を避けるためです。

でも、この同じ人は無名の存在として、平気でタバコのポイ捨てをするかもしれません。
それは周囲に人がいたとしても誰も自分を知らないという安心感と、そのあとことは知らないという自分勝手さからなのです。

しかしタバコを道に捨てるということは、誰かがそのタバコを拾って捨てているのです。
すなわちポイ捨てした人のゴミを、誰かが集めて責任を持って捨てているのです。

そうです。
タバコのポイ捨ては、自分の捨てたタバコに対する責任を負っていないのです。
ゆえに無責任となります。

無名ゆえの安心感とそれにもとづく無責任な行い。
良識を持っていながらも、その健全な判断を自分に対する甘さから発揮出来ないのです。

でも、知っている人が見ていたら、その場において有名であれば、そのような行いは出来ません。

無名であるがゆえに、人は軽く良識に反した行いを、責任のなさから選択出来るのです。

さて、人として「いかに在るか」に戻りましょう。

有名、無名を問わず、いつも良識にもとづく行動が出来るかどうか。
これは「人としての在り方」です。
ご都合主義ではなく、「真」の自分として、何を証明するのか。

良識とは1人の人として、社会においていかに振る舞うか、その判断力です。
したがって良識にもとづく行動を選択実行したからといって、夢を叶えること、成功することとは観点が違います。

しかし、常に良識にもとづく行動が取れるのであれば、その人の雰囲気や波動は、それを映し出し、その波動は上昇し、その波動にふさわしい、人や出来事が引き寄せられると思います。

引き寄せの法則と昨今よく言われます。
何を引き寄せるかは、その人の願い云々よりも、その人の波動であると私は思っています。

有名・無名問わず、常に変わらない良識にもとづく判断をすることは、人生に実をもたらすのではないでしょうか。

また、良識を持ちながら、良識を発揮することを「良識力」と言います。

「良識力」と「人としていかに在るか」は密接に結びついています。
それは都度、自分とは何者であるかを共に証明しているからです。
また、「人としていかに在るか」の源が「良識力」であるとも言えるでしょう。

では、最後に社会生活をおくるうえで健全な判断をする際、すなわち良識を考える際に、私が大切と思っていることを列挙します。

・相手の立場に立って考え、行動すること
・自分の行動が周囲の迷惑になっていないか考えること
・常に周囲の視線を意識して行動における範を示すこと
・自分を律すること(自分に対する甘さを捨てること)
・自分の行為における責任を考えること

以上「良識力」。