仕事と天職

仕事。
皆さんはこの言葉より何を思われますか?

仕事=働くということ、労働が一般的なイメ-ジのように思われます。
したがって楽しかろうが、楽しくなかろうが、やりがいがあろうが、なかろうが。働かなければならないし、仕事をしなければならない。
私もサラリ-マン時代はこのように思っていました。

しかし、今は仕事について次のように思っています。
「仕事」とは「事に仕える」こと。

事に使えるとは何を意味するか。
事とは自分が今行っている行為行動のことです。これには有給、無給、労働の対価としての収入の有無は関係ありません。
今、自分が行っていること、その全てが事に仕えているということなのです。

有給のサラリ-マンとしての仕事、夫婦、家事、子育、恋愛、勉学、スポ-ツ。人は多くの行動に参加をして、多くの役割を果たし、多くのことに仕えているのです。
人は日々多くの事に仕え、多くの仕事を行っているのです。
仕事とは役割を果たすことと言葉を代えてもいいかもしれません。
そして仕事を行うのに大切なことは、その事に誠意を持って仕えることなのです。

しかし、そうは言っても、面白みのないことに仕えておられる方も多々おられるでしょう。
例えば有給の仕事であれば転職をしたい、辛い、辞めたい。様々な思いで仕事をされていると思います。
恋愛においても別れたい、新しい彼女が欲しい浮気等。

何に仕えるか、何に仕えるのをやめるか、私たちは選択出来ます。
何かの事に仕え、その仕える事を代えたいと思った時、そこで学ぶべきことが、すべて学び終えていたとしたら、その事は私たちが学ぶために提供された仕事、事であり、学び終われば、次の仕事、次の事に仕えるのは、私たちの成長にとっては当然の現象です。
(学びを終えるのと、学び終わる前に嫌気で逃げるのとは違います)
したがって転職や、失恋離婚、再婚等の事態は必然に生じることもあります。

私も銀行事務に14年3ヶ月間仕えていました。仕事は事務という性質上あまりやりがいは感じませんでしたが、14年3ヶ月間も勤務しました。さっさと辞める勇気がなかったのかもしれませんが。今、考えますとそこでの学びが終わるまでには、14年3ヶ月の時間が必要であったのだと思います。
そして、何を学んでいたかですが、このHPに書いてある通り、私は幼少期より様々な心理的問題を抱えており、人間関係が築けない大人でした。したがって私が銀行事務という事に仕えて学んだことは、銀行事務という仕事以上に、人間関係を築くという事であったのだと思っています。そして、人間関係が築けるようになったことによって、ここでの学びが修了して退職したのだと思います。

ここで皆さんの疑問が1つあるかもしれません。「仕事じたいは学び終えたのか」。
しかし、1つの会社に属して全業務を習得するのは不可能です。
私は入社以来14年3ヶ月の間、仕事じたいに対してはやりがいをほとんど感じていませんでした。。
惰性で銀行事務に仕えるのであれば、本来私がなすべき事、カウンセラ-職に仕えたいと決意して会社を退職したのです。
同じように考えると結婚をしたが離婚した夫婦。彼らは恋愛結婚生活に仕えることを通して、学ぶべきことを学んだのです。そして、これ以上2人でいると学びはなく、かつ修復不可能な状態になったのでやむを得ず別れたのです。いずれ、彼らの人生において、そこから学んだことは活かせられるでしょう。

さて、ここまでは仕える事を代えることについて書いてきました。
しかし、もし仕えることをやめることが選択出来ない仕事があるとすれば・・・。
そのような仕事がはたしてあるのでしょうか。
やりがいを感じて生きがいでもある有給の仕事。大恋愛の末結婚したカップルの永遠の夫婦生活。子供がかわいくて子育てが生きがい。
その仕事をやめることが出来ないということは、その仕事をやめることを選択しないということなのです。(経済的困窮で嫌で嫌でたまらないけれどやめられない仕事労働といった例は除外します)

仕事をやめられない理由は肯定的理由なのです。

この肯定的理由でやめられない仕事、何の事に仕えるか、これこそが天職なのです。
生涯をかけてなすべき仕事なのです。

天職とは天から与えられし職です。

私たちが生まれてきた目的を果たすための仕事かもしれません。私たちの魂の転生の目的かもしれません。

いずれにせよ、天職も事に仕えることであり、有給、無給の仕事を問わないということです。
そして、ひとつ言えること。有給の仕事でこれが「天職」と言える仕事に就いている人は少ないということです。

有給の仕事に就き労働して得られるものは経済的なものです。そこには、夫婦、家族と過ごすという事に仕える、何かを勉強する事に仕え夢を実現する(学費授業料確保)、趣味に仕え生きがいを得る等、その人にとって大きな目的を果たすための手段として有給の仕事に仕えることがあるのです。
すなわち天職を果たす、天職の役割を果たす、天職を行うため、有給の仕事労働に仕えることは多々あるのです(生計の維持のため)。

人は生涯を通して多くのことに仕えますが、人生において天職とはどれほどあるのでしょうか。天職に仕えながらも、他の事に仕えるのは複雑な経済社会ですから、それはしかたのないことなのです。

私たちは無意味、無目的に生まれてきているのではありません。
かならず生まれてきた意味、果たすべき仕事があります。
それは人各々ですが。

必ず私たちには、私たち独自の天職があるのです。
それを発見、見つけることも私たちが生きるうえでは重要なことなのです。