私について

私紹介

  • 名 前:柴田 紀 (シバタ ハジメ)
  • 誕生日:1965年1月1日
  • 好 物:激辛料理 お酒
  • 趣 味:風を感じること 自然 小動物
  • 実 績:カウンセリング歴 12年 

私の過去

私は機能不全家族で育ったアダルトチルドレンです。
機能不全家族とは親が子供を1人の人間として尊重をしない等、問題のある家族関係であり、私は過保護の父と、過干渉な母に育てられました。
過保護も過干渉も、子供に対して支配的な態度であることには変わりません。

そして私は、支配的な親から自分を表現することによって、批判されたり、理解されない傷つきから、自分を守るため、親に自分の意思、気持ち等表現することを、8歳頃からやめてしまいました。
また、家庭内において、親から安心感を得ることはなく、慢性的な孤独を感じていました。

そして親が支配的であるということは、常に親の意に自分を合わせるしか、その家庭を生き残る道がなく、子供時代で一番大切なこと、自分のことは自分で決める、好きな時に好きなことをする、チャレンジして冒険する行動等が欠如してしまい、そこから獲得するべき、自信や自己信頼感を培うことが出来ませんでした。

結果として、自信や自己信頼感欠如より、傷つくことへの恐れ、失敗に敏感な子供となり、また親子間の適切なコミュニケーションの欠如より、コミュニケーションの仕方が分からず、他の子供と遊ぶこともなく、協調性を養えず、社会性欠如、コミュニケーション力欠如と、何も話さない陰気な子供となってしまいました。

また、自信の欠如から自意識過剰となり、人からの視線、評価に対しても敏感な、対人不安の問題を抱えるようになりました。
そして、親の養育問題より常に感情を抑圧することを要求されておりましたので、無表情な暗い子供でもありました。

子供の時に、こんなになってしまったので、青年期・大学生になっても、友達や彼女はまったく出来ず、昼休みはいつも一人図書室で寝ており、何の思い出もない虚しい時代を過ごしてしまいました。
人といても一切心を開くことのない、心理的ひきこもりでした。

正直に書くと、私は幼稚園から大学生までの記憶がほとんどありません。

これは、あまりにも辛い子供時代だったので記憶が飛んでしまったのか、もしくは、あまりにも一人孤独でいたので、経験が薄く(脳が記憶する価値のない体験の連続)記憶に値しないのか、また感情抑圧から何も感じなくなってしまったのか、いずれかだと思います。

さて大学卒業後、親の縁故で何とか就職出来たのですが、上述のような性格のためまったく周囲と人間関係を築くことが出来ず、会社での振る舞いも分からず、会社に行くのが辛くてどうしようもなかったです。

また、6歳の頃より強迫観念と、それを打ち消すための強迫行動に苦しめられました。

強迫性障害です。
バカバカしいと思いながらも何回も同じ行動を繰り返し繰り返し、やめようと思ってもやめられない、その葛藤は凄まじいもので、エネルギ−を使い果たし、くたくたになったこともしばしばでした。

したがって、10歳代、 20歳代は自己信頼感欠如、心理的ひきこもり、強迫性障害、対人不安、社会性欠如、コミュニケ−ション力欠如と、辛い日々が続いていました。

しかし、30歳代より社会性欠如、心理的ひきこもり、対人不安は徐々にではありますが改善されつつありました。
おそらく、会社生活をしているうちに、ソ−シャル・スキルが身に付き人間関係が築けつつあったからだと思います。
また、同時にコミュニケ−ション力も徐々に身に付き、何とか相手に慣れれば話せるようにはなりました。

しかし、自分に対する自信、自己信頼感は獲得出来ませんでした。
人の目をまっすぐに見ることは苦手でした。
顔を少し伏せ、上目遣いに人を見ていたように思います。

さて、強迫性障害についてです。これは34歳の時に奇跡が起こり、かなり良くなりました。

私の強迫性障害の体験については、私と強迫性障害のページをお読みください。

そして、会社生活の方ですが37歳の夏(2002年6月末)、退職しました。

もともと私は、事務職として入社しました。
仕事は同じことの繰り返しで、やりがいも感じませんでした。
また、入社以来ずっと同じフロアで14年間、同じ仕事をしており飽きていました。
更に本社での私の評価は不当に低く、いつか目にものを見せてやる、と言った復讐心のようなものもあったと思います。

そんな折、4月に同じフロア内ですが異動がありました。
異動先の仕事内容については、仕事量の割には部下が少なく、また仕事内容もクレーム処理の多い大変なものでした。
もともと仕事自体はやりがいがなく、さらに顧客より文句ばかり言われ(もちろんクレーム処理の重要度については理解していました)、仕事におけるモティベーションは完全に低下していました。

仕事を続けることが出来ない、心理状態にまで追いつめられました。
しかし収入を失う恐さもあり、辞めるか、辞めないか2ヶ月間悩み続けました。
毎晩酒を飲み、心も体もボロボロになったと思います。

しかし、最後はこの仕事を続けていたら、「人生を失う」と魂の叫びが聞こえ、思い切って退職をしました。
2002年6月末のことです。

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