思考停止 感情・感覚フリーズ

思考停止、感情・感覚のフリーズとは、少し大袈裟なタイトルかもしれません。
しかし、この脳の状態、感覚を、私は10代の多感な時代、常時々、味わってきたのです。

実は先日、ある小さな集まり(仕事とは関係ありません)があり、私には少し難しい遊び(正直に書くと、まったく興味がない)ゲームに参加をしようとなったのですが、私にはそのゲームの目的が今ひとつ分からず、強制参加させられそうで、嫌な気持ちになりました。

すると、ゲームの説明をしている人の話しを理解する気も失せ、思考は停止状態になり、同時に、そこに居ることじたいが嫌になり、感情、感覚は何も感じなくなり、フリーズ、スットプ。
ただ、居心地の悪さだけを感じ続けていました。

我慢してゲームに参加する必要もない思った私は、進行役の方に、少し気分が悪いのでと説明して、休ませて頂きました。

さて、この状態、感覚は、30年程前、学校という集団内で、よく感じていた同感覚です。
特に、何人かの人とグループを組んで行う時、よく感じた、苦痛の感覚です。
当時の私は、学校には行きたくなく、行っても誰とも話さない青年です。

また、強制的に他者と同一行動をさせられることが、吐き気のするほど嫌いでした。

しかし、強制参加の学校では、嫌な全員参加型の授業、グループを組み、何かをする授業の時は多々あり、そのたび、我慢してそこにとどまらなければならず、思考、感情、感覚、すべては停止、フリーズした状態になり、かつ、居心地の悪さを消すために、自分を抹消(自分が何も感じない状態になる)。
そして、感情と感覚の無に努め、自分がそこに居るのか、居ないのか、分からない状態を、脳内にてつくり、何とか、その場に居続けた経験が多々あると思います。

出来事の記憶はないのですが、30年振りに、当時の思考、感情、感覚の状態が再現されたようです。

この思考停止、感情・感覚のフリーズの感覚については、青年期以降、完全に再現されたことはありませんでした。
そして、考えました。
それは、私が学校での記憶がほとんどないことです。

おそらく。学校内では事あるごとに思考停止、感情・感覚のフリーズ、自分は居るけど無にする状態を続けたため、本当に何も記憶していないのかもしれません。
そもそも、思考が停止するのですから、記憶力も働いていなかったのかもしれません。

そして、この状態をキープ出来たからこそ、私は学校に通い続けることが出来たのでしょう。
嫌という感情さえ、無として感じないように努めていたのですから。

結果として無表情の少年でしたが。

そして、学校の行事も嫌いであったため、運動会、文化祭、遠足、修学旅行等は、途中でドロップアウトしていました。

でも、笑い話のようですが、このゲームのはじまる、1時間程前、知人と私の子供時の話しを少ししており、学校の行事を途中でドロップアウトしていた話しをした、直後のゲームの出来事だったので、何か不思議な偶然を感じました。

知人と話したドロップアウトの話しと、ゲームの説明の話しは時間の近接はありますが、そこに意味は見いだせませんが、不思議です。

また、過去のあの感覚を再度味わい、ここに書くということも、必然だったのでしょうか?