同意を求める言い方 言葉のニュアンス

「~~じゃないですか。」
と、自分の意見を延べられた後、他者に自己の意見に対して、同意を求める言い方があります。

また、自分の意見を延べた後、「〇〇さんも、そう、思いませんか?」
と、名指しで自分の意見に対して同意を求める方もおられます。
半ば、強制的に・・・。

私はこれらの、言い方を聞いた時、いつも、微妙な感覚、不思議な感覚を感じてしまいます。

それは、なぜ、同意を求めるのだろうか?
この疑問です。

人が自分の意見を延べることは、人の権利であり、私は私と意見が違っている人がいても、特段、否定、攻撃はしません。
また、基本的に私自身、他者に同意を求める言い方はしないのです。

私が意見を言う時は、簡単です。
「私は~~ゆえに、~~思います」。

ここまでです。

私の意見を受けて、また、他の意見が出ることは、それはそれで、意見の多様性があって当然のことだと思います。

私が、自己の意見に対して同意を求められることに、しっくりこないのは、私の感性の問題でしょうか?

私について、1つ考えられること、実は私は、人に巻き込まれることが嫌いなのです。
人に操作されることも嫌いです。

何か私の主権さえ、脅かそうとされている。
このように感じてしまう時もあります。

私は私で在り、私は私だ。

この「私」という、自己感覚が強いのです。

政治家が街頭演説をしている時
「~~じゃ、ありませんか」
「皆さん、~~しましょう」等、同意を求める、巻き込み型の演説をよくされていますが、私はこれにも、微妙な感覚で見ています。
政治家は巻き込み型、劇場型の演説、プロデュースを行い、賛同者を増やし、選挙に勝たなければならないので、この演説手法は、当然なのでしょうが。

私は私。
あなたがそう思っているのであれば、やりたければやってみたら・・・。
何かしらけた感覚で見てしまいます。

さて、話しが少しそれましたが、一般の社会レベルにおいて、他者に同意を求める必要は何でしょうか?

その理由とは
・否定されたくない
・自分の意見を押し通したい(従わせたい)
・傲慢 同調圧力
・反対意見は言わせない
・巻き込んで利得を得たい
・今風の言い方(たんなる無意識)
等の理由により、「~~じゃないですか」等の同意を求める、言い方をされるのでしょう。

でも、どれだけ、私に、同意を求められても、私は私の意見と違うなぁと思った時は、

同意を求める相手に対して、次のように返す努力をしています。
「〇〇さんの仰っていることも理解出来ます。しかし、私はこのように思います」。

同意を求められる方の意見を尊重しながらも、自分の意見は伝えます。
私には、私の意見を言う権利がある。
同意を求められても、私は従わない。

また、カウンセリングの場においてですが、クライエントの方がカウンセラーに同意を求めた時は

「〇〇さんは、~~のように思われておられるのですね」。
と、クライエントの方の意見を否定せず、同意もせず、あなたの思い、意見は了解いたしましたと、言った感じでまとめています。
(共感、理解はしていますが、賛成はしていません)。

また、私がクライエントの方に対して同意を求めることはないのですが、私の述べたことに対して、クライエントの方はどう思っているのか、確認をする必要がある時は、

「私は~~のように思いますが、私のお話しを聞かれて、〇〇さんは、どう思われますか」
等、クライエントの方の意見、意思を確認する努力をするようにしています。

カウンセリングの場で、カウンセラーが一方的に「私だったら~~します」等の口調で
自分の意見を延べると、クライエントの方は何も言えなくなると思いますので、私は伝え方にも、少し、工夫を凝らすようにしています。

いずれにせよ、同意を求める言い方は、日本中にあふれています。
ただただ、私にはその現象が不思議なのです。

人は人 自分は自分。

自分の意見があるのであれば、それを、自分の意見として、しっかりと主張されればいいことであり。
他者に同意を求める必要はなく、自己主張までで、いいのではないでしょうか。

共感、理解、賛同される意見であれば、同意を求められなくても、自然とその意見に皆、傾いていくのではないでしょうか?