大人の発達障害誤診 精神科医との対話を通して

大人の発達障害。
近年、クローズアップされています。

私は公共放送で何回も、このテーマの番組を見てきました。

そして、大人の発達障害については、障害程度によっては支援の必要がある(障害)、または、障害の傾向はあるが支援の必要はない、ここに、誤診とグレーゾーンの問題があることを理解しました。

大人の発達障害の誤診について思うこと

実際に、大人の発達障害は誤診が多いと聞きます。

まず、発達障害の検査結果には、大まかに書くと2つの結果があります。

・発達、脳機能に偏りはあるが、日常生活、社会生活において、支援を受ける程ではないこと、したがって障害者とはならない判断。

・発達、脳機能に偏りがあり、日常生活、社会生活において支援が必要であり、その為に、「障害者手帳」の交付が望ましい判断。障害者と診断されます。

さて、私が精神科医との対話を通して、精神科医より、大人の発達障害の判断の難しさのお言葉を頂いたのは、以下の通りです。

「大人の発達障害の検査は、まず、検査実施前に、検査員と被検査者が、お互い多少の信頼関係を築き、リラックスした雰囲気のもと、実施しなければならない。
数分の精神科医との対話、及び、被検者者の検査時の緊張状態の中、いきなり、検査シートをポンと渡されても、緊張、不安な心の状態では、誤回答が連発、したがって、誤診が多い。またそれとは別に、被検査者のその時々の心理状態も検査に影響する」。

この精神科医の先生の仰ることは、日常生活、社会生活の能力はあるが、発達障害検査時の緊張、不安等の心理状態より、通常では応えられる能力を有しながらも、検査、質問に応えられず、障害者と判定される場合です。

また、先日、公共放送の放映では、大人の発達障害の診断の難しさ(判断の統一性のなさ)に対し、次の3点を伝えられていました。

・診断の手法が確立されていない
・合併症(発達障害以外の精神疾患)などで、発達障害が見えにくい
・過剰診断 過小診断 基準が曖昧

また、検査時における親子関係、成育歴の聞き取りが不十分とも伝えられていました。

この事実は見逃してはならないことです。

発達障害の特性が、先天的な脳機能に起因する障害なのか、親子関係の成育歴、その延長にある性格特徴なのか、同じ状態で悩むとしても、原因は全く別です。

しかし、親子関係の聞き取りとなると、心理カウンセラーである私の感覚では、最低、1時間は必要になるのではないでしょうか。
それだけの時間は、検査時に検査員(精神科)は、取れないのかもしれません。

これらの理由により、検査する機関、精神科医によって判断は、曖昧であるということなのです。

しかし、何にせよ、医者、医師の判断が不正確ということは恐ろしいことです。

内科、外科等を含め、医療関係の医者の判断は、人の命に関わります。

そして、精神科医の医者の判断は、人の人生に関わるのです。

発達障害グレ-ゾーンについて思うこと

このテーマも、先日、公共放送で放映されていて気付いたことです。

人間関係が続かない(コミュニケーション、他者の気持ちが分からない)、仕事が続かない(同じミスを繰り返す)こと等によって、悩まれている方々の話しです。

彼らは自分に何らかの障害(発達障害)があるのではと疑っています。
なぜ、自分はいつも同じことで失敗してしまうのだろう。
自分自身と言うよりも、脳機能に問題があるのではないかと。

しかし、精神科医の判断は、発達障害の傾向はあるが、支援、配慮が必要な域ではないと、障害者として認定されません。

彼らの思いは、障害者として認定され、早く、障害者手帳の交付を受け、福祉支援、配慮、サポートを受けたい思いが強いのです。

そして、支援、配慮の基、仕事の継続等を望まれているのです。

しかし、上述のテーマ、大人の発達障害の診断は誤診が多いのです。

同じ人が、ある精神科で検査を受けても、支援・サポートの必要はない、したがって障害者とは認められないと判断を得ても、別の精神科の検査では、要支援、障害者と判断される場合もあります。

精神科とは、医者であり、権威者、先生と呼ばれる立場の人たち。
もう少し、この状態、何とかならないのかなぁと、複雑な心境です。

しかし、このテーマに関しては、精神科が統一見解(検査法も含めて)を持つ必要があり、私は文章を書いて、メッセージを投げかけることしか出来ません。

障害という言葉について思うこと

今、行政、福祉においては、「障害」を、「障がい」と表記されています。
これは、障害の害が、害をなす者と誤解されることを防ぐためでしょう。

しかし、「障がい」の「障」は、目障りの障です。
したがって、「害」をとっても、「障」が残っていては、中途半端な感じです。
それならば、「しょうがい者」という表記もあるのですが、すべて、ひらがな表記をすると、バカにしているのか等、怒り、反発心を抱える方もおられるでしょう。

私は、「障害者」、この言葉じたいを使わず、他の言葉で表した方が良いと考えています。

発達障害に限ったことではないのかもしれませんが
例えば、発達障害の1つ、 ADHDの傾向は認められるが、障害レベルではない。
と、精神科の判断が出たとします。

ADHDは、DMS-5 精神疾患の分類と診断の手引きによると、
注意欠如・多動症/注意欠如・多動性障害と表記されています。

上述のADHDの判断を、多少強引かもしれませんが、私なりに訳すと
注意欠如/多動性障害の傾向は認められるが、要支援の障害ではない。
と、なります。

障害の傾向はあるが、障害ではない。
これが、私には、しっくりこないのです。
分かるのだけど、曖昧な日本語のように感じてしまいます。

したがって、やはり、「障害」、「障害者」の言葉の持つ力の意味を考慮すると、何らかの、別の言葉に置き換えた方が良いのではないでしょうか。

先日、Eテレ、うわさの保護者会の放映にて、私の記憶違いでなければ、先生が、「障害という言葉が壁をつくる」。
このように、発信されていたように思います。

障害という言葉を、他の言葉に置き換えて、まずは、意識改革の手始を、はじめても良いのではないでしょうか。

共生をテーマとするならば、一考の価値ありと思いますが・・・。