人を見下すことによって心の安定を図る

自分より何か下の人を見ると、心が安定、安心する時もあるでしょう。
人とは比較により、自己価値を決定するものなので、これは人であればこその業だと思います。

そして、その見下す内容は、容姿、経済力、友人の多さ、付き合っているパートナーの美しさ、子供の学歴等、様々です。

多くの人は他者と自分と比較して、他者の何か劣っていることを、見て判断して、自己の心の安定を図ることもあるのです。

自分は下層ではなく、まだまだ下がいるから大丈夫とか。
あの人より、私の方がまし、とか。

でも、あまりにも人との比較、見下すことに懸命になっていては、見下す他者がいなければ、自己の存在価値はないとなってしまう恐れもあります。

本当は人との比較をやめ、人を見下すことはしない方が良いのですが、人によっては、人を見下さないと、自己価値の安定が図れず、自己嫌悪、自己崩壊を招いてしまうかもしれないのです。

しかし、前述しましたように比較しないと自己が保てないということは、自分が自分に何らかの劣等感を抱えていることにも関係がありそうです。

人は人で、皆、精一杯生きています。

比較して人を見下すことにより、自己価値を図るのは、今までのクセのようなものなので、今は仕方のないこととしても、以降は、日々、何らかの活動をしている、努力している自分を認めることです。

他者との比較とは、私たちにとって幸せを遠ざける永遠の罠です。

自分より下と思う人に出会えば、満足感を得るでしょうが、自分より上と思える人に出会えば、劣等感を感じる。

これをやっているときりがありません。

人は人です。

比較した結果、自分より上と思われる人でも、その人の生活には苦悩が満ちているかもしれません。

おそらく比較とは、ぱっと見た感じ、感覚で判断している行為であり、実のところ、その人の内実は知らないのです。

人を見下し、バカにして、傲慢病に浸りたいのであれば、それはそれで、その方の人生ですから、何も書けませんが・・・。

比較を手放し。
最善を尽くして生きている自分を認め。
(この認めることについても、自分の高い理想との比較は不要です。理想は努力目標程度に思ってください)。

皆、何らかの事情を抱えて生きていると思い考え。

自分の人生を歩むことに専念しましょう。