大阪へ戻ろう 合わない地域もある

病気療養から大阪市を出て、6年になります。
その間、いろいろな事がありました。

さして、大阪府内の他市、大阪隣接県もお世話になりましたが、馴染めなかった。

何が馴染めないのか、大阪府内の他市については、人がどうとか、土地がどうではなく、その地の物件の造りが街全体に安っぽい。
(工賃を低く抑え、家賃が安い分、物件の造りが甘い、内装は豪華でも、建物本体が弱い。したがって、上下間の足音等が、はっきり聞こえ、常にイライラしていました。)。

私は聴覚過敏の傾向があるので、物件の上下の音には過敏です。
大阪府内の他市の建物は、軽量鉄骨造りが多く、とくに下からの音がよく響く。響く。
すると、自分を制御ではない程、イライラする。

さて、では、いつから、私が聴覚過敏になったかと振り返ると、心理カウンセラー(37歳頃)として活動を始めてからです。

心理カウンセラーは耳で聴く仕事でもあります。
したがって、クライエントの方の声のトーンを聞き漏らすまいと思い、聴覚も過敏になっていったのでしょう。

カウンセラーになる以前は、聴覚過敏の傾向はなかったと思います。

結局5年間、大阪府内の他市にいたのですが、どうしても建物内に響く、聴覚、音には我慢が出来ず、大阪府隣接県に引っ越したのですが、ここは、観光都市で商業都市ではなく、街の一部の地域を除き活気もなく、街から頂ける、パワーがなかった。

簡潔に書くと、退屈な街。

どうも、私にとっては、街そのものから溢れ出る活気が、自分の活気とつながり、大切なようです。
しかし、活気があっても、住んでいる建物の音には過敏。
ややこしい、性格です。

さて、街には街の特徴があり、その街の特徴と自分がマッチしていることが、長期に住むためには、重要であると、自身の経験を振り返ると思います。
住めば都と言いますが、過敏な私にとって、住環境適応力は極めて弱いのかもしれません。

そして、大阪隣接県の観光都市に対しては、退屈も我慢が限界。
心理的にも、これといって活動することがなく、少し狂った日々を過ごしてしまいました。

神経過敏、感受性の高い人、聴覚過敏等の人等は、自分が落ち着く街で暮らすのが、心の安定にとって、一番大切ではないかと思います。

そして、6年振りに大阪市へ戻ることにしました。
病気の方も症状はかなり改善。
そして、何よりも、大阪市の活気が懐かしい。

しかし、大阪市に戻ったとしても、心理カウンセラーとして再活動するかは未定です。
先のことは、ゆっくり考えましょう。

そして、その後年後、懐かしの大阪北摂の地へ帰りたいなぁと思っています。