依存症から救われたきっかけ

本HPは私の個人的な経験、思考、論より、記事を重ねており。
今回は、少し、記録(日記)の感じもありますが、了承をお願いいたします。

さて、前回の続きとなるのですが、私の過去の薬物依存(処方箋薬、睡眠剤)とアルコールの乱用からの回復(アルコールについては、依存症にはなっていないと思いますが)について、書かせて頂きます。

2018年7月(僻地引っ越し後)より、2020年1月に至る、私の当時の最大の問題。
それは依存であり、対象は薬物(睡眠剤)だったのです。

僻地での悪習慣が、大阪に戻った後も、半年以上続いていました。
私は自身の、睡眠剤依存について事態を軽視していました。

しかし、自分の依存の問題に直面、考えざるを得ない事態になったのです。

実は、2020年1月20日より、大阪市の天満橋において、カウンセリングを再開する予定でした。
ルームについては、前年の11月末に、マンションの一室を仮契約していました。

(本当はレンタルルームでカウンセリングを再開する予定だったのですが、格安物件を見つけ、賃貸契約を結ぶことにしました。また、この当時、新型コロナウイルスの情報もありませんでした)。

しかし、自分の状態をよくよく振り返り、考えました。

アルコールは20歳から飲酒しているので、振り返って問題視することはなかったのですが。
睡眠剤の乱用は異常ではないのか?
カウンセリング再開前にはじめて、深く内省をはじめました。

睡眠剤を多用している自分に、まともなカウンセリングが出来るだろうか?
脳はクリアに活動しているのであろうか?
それ以上に、日々、薬物(睡眠剤)に頼っている自分にカウンセリングを行う資格はあるのだろうか?
と、大きな疑問がわいてきました。

僻地に住んでいる時から、1年以上、睡眠剤を多用乱用しています。
薄々、自分が薬物依存症であろうと感じはじめていました。

そして、まずは、睡眠剤への依存を断ってから、カウンセリングを再開すべきと決意しました。
したがって、1月20日のカウンセリング再開は延期。

1月22日、精神科医より睡眠剤の種類を変えて頂き、1月23日、土曜日より服用。
1月24日、日曜日から、離脱症状が出始めたことは、前々回の記載の通りです。

これにより、体調を崩してしまい、カウンセリングの再開は、3月以降となってしまいました。

しかし、この時、時運が悪かったのか、新型コロナウイルスの大問題が、大阪においても発生。

カウンセリングの予約は減。
私は今回の新型コロナウイルスと人類の戦い、ワクチンの開発、経済への悪影響は1年以上続くと、再開業と同時に判断。
3月末には、賃貸マンションの解約届けを提出。
4月18日に、カウンセリングルームを撤退しました。

開業カウンセラーの経済(利)は、当然、社会経済の影響を強く受けます。
私の感覚では、カウンセリング料金は高額、社会が不景気になれば、節約志向より、真っ先に高額な買物であるカウンセリングを受けることを、控えられるでしょう。
(実はリーマン・ショック時にも、カウンセリング予約激減の経験はしています)。

したがって、カウンセラーも、他の自営業、企業と同じく、利益縮小へと追い込まれると考えます。

社会経済の疲弊は、消費心理面においても節約志向となり、まして、今回の新型コロナウイルスは、感染リスクも高く、カウンセリングルームに訪れることへの不安も高まることでしょう。

このような状態になると、カウンセラーも自己の利を得るためには、我慢、忍耐も、他職種同様な状態となるのです。

したがって、私は大阪市の天満橋のカウンセリングルームを早々に撤退したことは、英断であったと思っています。

しかし、不思議なものです。

結局、心理カウンセリングを再び行いたいという想い、その想いから、睡眠剤への依存を止めなければならないと決意。

これにより、カウンセリング再開を一時見合わせ、薬物(睡眠剤)への依存を断つことに成功。

しかし、再度、カウンセリングを再開しようと思った矢先、新型コロナウイルスの影響における経済不況を読み、傷の浅いうちに、早々に閉鎖。
粘ったところで、カウンセンリングルーム維持費の為、自身が心理面でストレスを感じ、苦しんだことでしょう。

私は、今回の一連の流れを振り返ると、自分がカウンセリングに助けられたのではと思ってしまうのです。

カウンセリングを再開しようと思わなければ、未だに、睡眠剤を多用していたかもしれません。

強引な意味付けかもしれませんが、カウンセリング再開を決意したことにより、自分がより冷静になり、薬物(睡眠剤)依存を断てたのです。

私とカウンセリング。
何か深い、縁があるように思えてならないのです。

物事の関連付け、意味付けは、それを体験した本人が自由に行うものです。
物事の関連性の意味付けは、個人的真実です。

私は私の感性、感覚において、今回の記事を書かせて頂きました。