私と強迫性障害(28歳)

強迫性障害

私と強迫性障害 その2(28歳~)

この年、彼女が出来ました。
そして同時に、強迫性障害を治さなければならないと強く思ったのです。
今までは家でコソコソ不安を回避するために強迫行動をしていましたが、彼女を失いたくはないという強い思いから問題がクローズアップしたのです。

実は彼女は飛行機が大好きな人だったのです。
それとは対照的に私は高所恐怖症でありました。

ある日、デ−トをして夜観覧車に乗りました。あいにく混んでおり、他のカップルと相乗りでした。

そして、観覧車が一番高いところに上がった時に、前に座っているカップルの会話が聞こえてきました。
「ここから落ちたらどうなるかな」。
この言葉に私は恐怖しました。

彼女と付き合ってから、彼女の乗っている飛行機が堕ちないかとか常に不安を感じており、さらに観覧車が一番高いところに来た時に聞いたので、私は不安に駆りたてられました。

観覧車から降りてすぐに、不安を洗い流したい、観念を洗い流したい、手を洗いたい衝動に駆られ、彼女を放っておいて必死でトイレを探し出しました。

早く手を洗い、先ほど聞いた言葉を洗い流さなければ、彼女に災いが起こる

しかし、彼女から見たら私の行動は自分は置いてけぼりで、何も言わずにトイレを気が狂ったように探す男が横におり訳がわからなかったのでしょう。

自分が放っておかれていると感じた彼女は泣き出しました。

この時、私ははっきり思ったのです。

自分はおかしいと。

彼女のためにと手を洗おうとしているが、それは自分の心の異常な問題であり、彼女には関係ないんだ。

治療しなくては。

その後、25万円前払いで治療を数回受けましたが、効果がありませんでした。
この先生は私をベッドに寝かせて、精神分析をしてきたのです。フロイトの自由連想法です。
すなわち、私が強迫性障害になった原因を探ろうとしてきたのです。

治療は途中で放棄しました。
彼は言っていました。
「あなたのその原因は親にある」と。

⇒それぐらいのことは、分かっとる。
強迫性障害にとって精神分析・原因分析は役に立ちません。

森田療法との出会い(29歳)

タウンペ−ジを見ていました。そこで、森田療法を行っているセンタ−を見つけました。
(今は存在せず)。

ここは強迫神経症(当時は強迫性障害という言葉は一般には使われておりませんでした)専門であり、他に良さそうところがなかったので、ここで治療することにしました。
狭い部屋に入って、先生から説法と指導をして頂く。

すなわち、「強迫観念は不安から生じるが、観念から事実が発生することはない」「強迫神経症を治すには強迫行動を止めよ」ということを徹底的に話し指導をされるのです。そして、私の日々の行動を日記に書き、日記指導を中心に指導を進めていかれました。

森田療法の理念、指導は正しいと思います。

ただ、私はやはり不安が強く、どうしても強迫行動を止めることが出来ず、先生の指導から落ちこぼれてしまいました。

15回通ったのですが、自分からドロップアウトしてしまいました。
おそらく、先生の指導にしたがって、きちんとしていけばこの時点で強迫性障害を克服できたでしょう。
尚、ここで学んだ先生のお言葉等は、
先生の教えのページ
に書かせて頂いております。

強迫性障害が、いったん治る(34歳)

33歳の12月。当時私は一人暮らしをしていました。

大きな鏡が部屋にありました。私はじっと鏡を見ていました。すると、深い悲しみに襲われました。
「どうして自分の人生はこんなにつまらないのだろう。彼女も別れていない、今まで生きてきて楽しかったこともそんなにない。なぜ・・・・・」

そして、思いっきり泣きました。もう人生どうでもいいや・・・・・。

この日以降少し行動が変わりました。
それは、今まで青信号でも横断歩道を渡る時は、左折、右折の車に大変気を使い、自分が事故に巻き込まれないようにと、細心の注意を払っていたのですが。

「轢いてみるもんなら轢いてみい。お前も地獄へ道連れじゃ」
とこんな感じで、青信号である時は突っ込んでくる車には、一切構わず横断歩道を渡りだしました。

これをきっかけに、不安なことを考えても、強迫行動をしなくなりました。
そして、強迫行動をしなくても、不安な観念が現実になることはないと、体感したようです。

森田療法の創始者・森田 正馬は言っています。「強迫神経症になる者は生への執着が強すぎる」。

私の場合も人生どうでもいいやと、生への強すぎる執着を手放したことにより、不安を考えても、強迫行動をすることがなくなり、治っていったのかもしれません。

30年間の強迫観念と強迫行動、この苦しみから一旦は開放されたのでした。

しかし、強迫性障害とはしつこいものです。
その後も、日々の感じるストレスの高さによって不安も高まり、強迫的な観念(すなわち不安)が生じます。

それでも観念・不安を取り消すための、強迫行動は我慢します。
強迫行動をしないため考えた不安は払拭出来ず、何となく気持ちの悪さは残るのですが、放っておくことにしています。
やがて消えていきます。

学んだこと

どんなことにも意味があります。
私が強迫性障害から学んだことは、その自分勝手な不安と行動です。

私は何々が現実になったら困るという不安から強迫行動を繰り返していましたが、結局はその何々とは、自分が失っては困るものが対象なのでした。

ですから、その人のためにと思い不安な観念に対するために強迫行動を行っていましたが、結局は自分の心の安定のためにしていたのでした。
このカラクリをきちんと把握した。
ここにも私が苦しんできた意味があります。

そして、今さらに思うこと

それは先ほど、自分勝手な不安と書きましたが、実はこの不安は、私の意志が制御出来ないところで、創りだしているようです。

すなわち脳のどこかが、過剰に興奮して暴走しているのです。

強迫性障害の人は、自分の強迫的な不安や、強迫行動について、おかしいという認識を持っておられます。
これは正常な思考や判断が出来ているということです。

それにもかかわらず、強迫性障害で悩み苦しむということは、私たちが制御出来ないところで、脳が勝手に暴れている、過剰に反応していると考える方が、この障害を理解しやすいのではないでしょうか。

強迫性障害は性格の問題でも、心の問題もなく、脳の過剰反応、暴走の問題と私は捉えています。

したがって、このやっかいな脳といかに付き合うか、これが治療の本質ではないでしょうか。

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