人間関係は境界で成り立っている

私たち個々人が、安心、安全で暮らすためには境界が必要です。

例えば、自分の家という住まいがあり、垣根、玄関からこちらは、自分のテリトリーであり、このテリトリーの境が境界となります。

これによって、他者は自己テリトリー(領域)の中に勝手に入ることは出来ず、勝手に入ってくれば、不法侵入として法により裁かれます。

境界がなければ、他者が自分の家の中に入ってきて、好き放題の荒らし放題。

これでは、安心・安全に日々過ごすこと出来ません。

境界とは、このように自己の領域、テリトリーをはっきりさせ、かつ、自分が安心、安全に暮らすために必要なものなのです。

さて、私たち個々人の心、人として在るためにも境界は必要です。

境界がないと、自分の中を他者に踏み込まれ、心や思考は混乱、自己崩壊の危機もありえます。

人間関係において境界とは、自分は自分、他者は他者という基本的な考え方に基づくものです。

自分をしっかり保ちながらも、自己と他者との違いも認める。

これが、人と人との健全な境界ではないでしょうか。

したがって、自分を維持、自分が健全に生きるためには、他者との境界をしっかりと持つ必要があるのです。

もし、他者との境界が曖昧であると、自己に対する他者の侵入を許してしまいます。

具体的には

支配される(依存を含む)問題が一番大きな問題となるでしょう。

この支配には、相手は支配をするつもりはないのだけど、境界が低い相手だと、どうしてもいろいろと踏み込みやすい現象が起き、結果的に支配され従属関係になってしまう場合もあります。

例えば、相手からの過剰なアドバイス、相手は親切のつもりでいるのでしょうが、あまりにも、過剰にアレコレ言われると良い感じはせず、逆に攻撃されているように感じるのではないでしょうか。

これは、自己の境界を相手が突破する、心のテリトリー、領域への侵入行為だからです。

私たちは自分のことは自分で決める、どのように振る舞うのか、どう行動するのか等、自分で決める権利があり、これは人の尊厳であるとも思います。

したがって、良かれてと思っても、過剰に相手の境界を突破して、アレコレ言うことは、その侵入行為ゆえに、相手との人間関係を壊してしまいます。

私たち人間関係は、境界において成り立っています。

しかし、あまりにも自己にこだわる、または、傷つきやすい性格の方は、他者のちょっとした自己への発言に対しても、過剰に反応してしまい、攻撃されたと感じるかもしれません。

そうすると、今度は攻撃されまいと、自己の境界を高く、深く、広くして、自分の心を守ろうとすることになってしまいますが、これでは、他者との人間関係、他者が自分に友好的なサインを送ってきたとしても、受け取ることが出来なくなってしまいます。

曖昧な他者との境界は、自己への侵入、支配を許し、自分が混乱、傷つき、嫌な思いをします。

しかし、高すぎる境界は他者を寄せ付けず、孤立を招いてしまいます。

したがって、自分を守る境界をいかに考え、テリトリーへの接触を許すか、このことを考えて人間関係を築いていかなければなりません。

世の中、本当にいろんな人がいます。

親切、支配的、依存的、たかり虫等様々です。

そして、人間関係を形成するための境界については、相手によってその高さを変えることも自由に出来、徐々に境界を低め、心を許し合える関係に持っていくことも可能です。

私たちの人間関係は境界で成り立っており、どこまで相手にテリトリー&心への領域、接触を許すか、その判断は自分で調整可能です。

境界設定の判断としてしは、直感と会話が大切です。

バランス良い境界を築き、自己を大切にして、他者を傷つけることなく、穏やかに生活したいものですね。