他者尊重

私たちは人間関係を築くことなく、社会生活をおくることは大変難しいことです。

そして、人間関係を築くということは、必ず、他者(相手)が存在します。

さて、私たちと他者、私と他者、この関係性の重要なキーワードは何でしょうか?
私は他者尊重だと思います。

しかし、この「他者尊重」という言葉は、現代においては「同調」と、意味内容が変換されているようにも感じます。

他者を尊重することと、他者に同調することは、全く、その意味が違います。

他者尊重とは何か

他者尊重。
他者を尊重するということは、その人の気持ちに配慮する、共感する、そして、相手を落とす侮蔑的発言はしないこと等と、私は認識しています。

その為には、他者(相手)に、どのような態度で接するか、どのような言葉がけが最適か等、その場、その時の雰囲気に応じた対応力が必要であり、その根本は、相手の気持ちを考えることの出来る想像力であると思います。

但し、ここで誤解が生じないように書きたいのですが、他者を尊重することは人間関係を築くために大切なことですが、他者に迎合することとは違います。

あくまでも、自分が主体となって考え、感じたことを、自分の言動を通じて発信するのです。
したがって、他者配慮とは、自己主張との間で、常に揺れ動くものなのです。

他者(相手)の気持ちや思いを無視し続けて発信しても、それは、自己主張が強すぎ、他者より「人の気持ちの分からない人」等、判断されかねません。

したがって、大切なことは、他者を尊重するということは、「あなたの思い、考えは伝わっていますよ」という、気持ちを表現しながらも、自分の思いや感情的な部分と合致しない部分等については、「相手を責めるような口調を取ることなく」、自分の考えや、感じたことを率直に伝えることが大切です。

そうしないと、3つのデメリットを招いてしまいます。


他者の想いに敏感なあまり 他者の想い、喜ばすことに重点を置き、思考、注意集中、他者本位となり、自分が何を考えているのか分からなくなります。


他者の意見等に対して、自分の思いを伝えないと、他者(相手)は、あなたが自分の意見に賛成してくれたと誤解が生じ、そのことを、くつがえすには相当な労力を要することになります。


他者に合わせ過ぎ、迎合ばかりしていると、自己主張をする能力を培うことが出来なくなってしまいます。

他者尊重とは、人間関係を築くための、大変重用なキーワードなのですが、実のところ、他者尊重の前に、自己を尊重することが肝要なのです。

自分を尊重出来ない人は、おそらく、真の意味において、他者を尊重することは出来ないでしょう。

自分を尊重することも1つの能力。
この、自己尊重力があって、「自分の思い、感情等、伝える」ことができてこそ、他者を尊重する能力も獲得出来ると、私は考えています。

他者に迎合することを主として、自分が何を考えているか分からないようでは、自分自身の生き辛さを招くだけであり、他者を尊重しようにも、人間関係そのものに疎ましさを感じられるのではないでしょうか。

もちろん、自己主張をすれば、、他者(相手)と、分かち合えないところも出てくるでしょう。
これを妥協、違いを容認する能力も、人間関係を築くためには大切なことなのです。

人間関係とは対等であり、常に自己と他者の間で、揺れ動くものなのです。
そのことを恐れないでください。
違いを恐れないでください。

同調性を求め過ぎる社会について、少し思うこと

私には他者、及び、社会との「同調性」は、ほぼありません。

理由は2つあります。

1 私は自己の個を最も大切にしていること
2 同調性を要求する社会文化と一線を引いていること

もともと、日本人は「空気を読む民族意識」があり、「相互監視意識も強い」、同調性を要求される民族なのだと思います。

しかし、行き過ぎた、「空気を読む」という事態は、個の表現の自由を奪い、息苦しい社会を招いているのではないでしょうか?

しかし、不思議なのは、今、現代において、誰が、同調性の圧力を強めているのかです。
このことが、私には分からないのです。

同調圧力。
この言葉が力を持ち始めたのは、ここ10年程度ではないでしょうか?

以前より、テクノロジーの進化は、社会、文化、人間の質を変えると書かせて頂いておりますが、やはり、同調圧力とは、スマホ、SNSの発展と伴に、力を増したように感じます。

同調圧力、同調性を重んじる社会、文化が、今の在り様とするのであれば、それは、私たちが選択した社会、文化の在り様ですので、さほど異を唱える気はありません。

私には関係のない文化圏と思うだけです。
但し、私は社会の規範、モラル、倫理等、社会性を重んじる人間です。

しかし、前述した他者尊重が、自己より他者を優先する。
その目的は他者との軋轢を避ける、違いを恐れることにあったのに対して、同調性とは、個の意思を無視した、集団圧力のように感じます。

同調性に巻き込まれない、同調性から自分を守る最大の防御法は、SNSをしないこと。
私はこのように結論づけていますが、この理屈は、今の社会の在り様とは逆行しているので、その理は理解されない、通用しないでしょう。

さて、心理カウンセラーとは、何よりも個人の個を尊重する仕事であります。

したがって、心理カウンセラーである私には、やはり、同調性を求められても否定せざるを得ないのかなぁと考えとしまいます。