べき論 人はなぜべき論を課すのか そして恐れ

べき論を、抱いている人は多いのではないでしょうか。

そのべき論が、過剰ではなく、適度に働き、私たちの人生に潤いをもたらしているのであれば、問題はありません。

しかし、べき論が過剰に働き、私たちがべき論に縛られた状態であるのであれば、それは、生き辛さの1つとなるでしょう。

そして、生き辛さをもたらすべき論として、「自分が自分に課したべき論」の存在は大きいと思います。

べき論について

Index
1 自分が自分に課したべき論の誕生
2 べき論と恐れ
3 べき論からの解放のために

1 自分が自分に課したべき論の誕生

自分が自分に課したべ論とは、人生における、生き方の信念のようなものです。

例えば、べき論の1つとして。

「常に人に合せなけばならない」。

この自分が自分に課したべき論をお持ちの方は、子供時の家庭環境、親の養育の問題から、このべき論が生じた可能性が高いです。

おそらく、子供時、親が子供の話しにロクに取り合わず、親の意思、意見に逆らおうものであれば、子供に対して、親に従わせようとしたのではないでしょうか。

子供を親の意思、意見に従わせる方法は、強い言葉で叱る、暴言、暴力を用いて、子供に恐怖を与え、子供を委縮させ、子供を従わせたのです。

そして、子供は親の意に沿わなければ、この家庭で生きることは難しいと思い考え、最初のべき論を持ちます。

それが、「常に親に合せなければならない」。
です。

自分を抑え、親に合わせている限り、親から存在を認められて、家庭での安全が保証されるのです。

そして、常に親に合せ続けた子供時を過ごした子供は、成長するにつれ社会において、自己主張、主体性の発揮、自分を打ち出すことが難しく

「常に他者に合せなければならない」。

他者に合わせている限り、他者からの承認が得られ、安全が保証されると、子供時の親への対応の学習の結果、それが、親から他者へと、自動的に変換されるのです。

実際に子供時、親とのコミュニケーション不足、意思を伝えることが難しい家庭で育った為、社会生活においても、他者とコミュニケーションを交わすのが難しく

「常に他者に合せなければならない」
これが、他者からの承認方法と、安全な居場所の確保の方法となってしまうのです。

自分が親、家庭を生き延びるため、社会において生き延びるため、自分が自分に課したべき論の誕生となるのです。

2 べき論と恐れ

さて、強いべき論、人生における、生き方と在り方の信念のようなべき論は、それが、過剰に働くと、自分自身がべき論に縛られ、生き辛さを感じてしまいます。

では、なぜ、べき論に縛られてしまうのでしょうか。

a)子供時からの習慣と学習

「常に親に合せなければならない」。
このべき論は
「常に他者に合せなければならない」。

と、自動的に変換されると上述しました。
子供時からの習慣が、親から他者へと変換した。

そうなのです。
生き方と在り方としては、「常に合せる」ことが、信念となっているのです。

そして、学習したことは、親、他者に合せている限り、承認され安全が保証される。

親、他者ともに、人間関係とも言えます。
人間関係においては
「合わせることしか学習していない」。

人間関係においては、「合わせる」ことしか知らないので、べき論に従って生きる。

このようにも考えられます。

b)べき論と恐れの関係について

べき論に従っている限り、承認と安全が保証される。
したがって、べき論に従う。

「常に他者に合せなければならない」。
このべき論を破ると、他者から否定され、居場所を失う。

この恐れが強く、自分が自分に課した、べき論に従わざるを得ないのです。

しかし、恐れを手放さないと、べき論からの解放は難しいのです。

3 べき論からの解放のために

べき論からの解放のためには、べき論に従わないこと。
べき論を破ると、恐れが生じると想像されることを、突破するのです。

べき論に従わず、自由な心で動く。
そして、何が現実に起こるか体感すること。

それが、べき論からの解放なのです。

「常に他者に合せなければならない」。
恐れは、合せなければ、承認されない、否定される、居場所を失う等です。

でも、この恐れ、本当にそうなのでしょうか?

他者に合わすことなく、自己主張すると、他者から否定されるのでしょうか?

親は子供が自己主張をすると、否定したかもしれません。

でも、親と他者は別の存在です。

今、自分が存在している、周囲の他者は、自己主張をする人を否定するでしょうか?

他者に合せて、自分を主張出来ない社会なのでしょうか?

現実を体感、確認するためには、他者に合わすことなく、自分を打ち出すことです。

そして、周囲の他者から否定されるか、受け入れられるか、確認をするのです。

それが、べき論から、べき論の恐れからの解放なのです。

よくよく、考えると、この恐れのために、私たちは、自分が自分に課したべき論に縛られるのではないでしょうか?

ポイントは、親と周囲の他者は違うということ。

べき論を手放し、恐れていることが現実に起こるか、確認することです。

これが、べき論からの解放なのです。

勇気を持ってチャレンジしてください。

それから、今まで他者に合わせ続けた方は、自己主張の方法をご存じないかもしれません。

もし、自分を打ち出す、自己主張等に不安があるのであれば、それらを学習してから、現実の空間において、実践されることをお勧めします。

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