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執着を手放すと苦しくなる?:本当の「楽になる」までの道のり

目次

執着を手放すと楽になるは本当か?

「執着を手放すと楽になる」という言葉を、あなたも一度は耳にしたことがあるでしょう。

何か特定のことに固執し、しがみついている間、私たちはそのことばかり考えてしまい、他のことには目もくれず、心も体も常に過熱状態になりがちです。

例えば、恋愛において「あの人に何とか振り向いてほしい」と執着しているとします。
しかし、他者を自分の思い通りにコントロールすることはできません。

そこで、その執着を手放すと、心が軽くなり、視野が広がり、新しい楽しみを見つけたり、趣味を通じて新たな人間関係が生まれたりすることがあります。
これはまさに、執着を手放すことで楽になる、という典型的な例です。

確かに、執着を手放すことで最終的に楽になるのは事実です。

しかし、そこには見過ごされがちな、大切なプロセスがあります。それは、今まで人生の「糧」となってきた執着を手放すことは、その糧を失うことであり、一時的な心理的な苦痛を伴うということです。

この苦痛を経験せずして、「執着を手放して楽になる」という境地には、なかなか到達できないのです。

執着を手放すことによって楽になる前に、まずは手放した執着による苦しみを味わう必要があるのです。ここでは、具体的な例を2つ挙げて考えてみましょう。

執着を手放すと苦しくなる?:本当の「楽になる」までの道のり

1.「執着を手放すと楽になる」は本当か?

「執着を手放すと楽になる」という言葉を、あなたも一度は耳にしたことがあるでしょう。何か特定のことに固執し、しがみついている間、私たちはそのことばかり考えてしまい、他のことには目もくれず、心も体も常に過熱状態になりがちです。

例えば、恋愛において「あの人に何とか振り向いてほしい」と執着しているとします。しかし、他者を自分の思い通りにコントロールすることはできません。そこで、その執着を手放すと、心が軽くなり、視野が広がり、新しい楽しみを見つけたり、趣味を通じて新たな人間関係が生まれたりすることがあります。これはまさに、執着を手放すことで楽になる、という典型的な例です。

確かに、執着を手放すことで最終的に楽になるのは事実です。しかし、そこには見過ごされがちな、大切なプロセスがあります。それは、今まで人生の「糧」となってきた執着を手放すことは、その糧を失うことであり、一時的な心理的な苦痛を伴うということです。この苦痛を経験せずして、「執着を手放して楽になる」という境地には、なかなか到達できないのです。

執着を手放すことによって楽になる前に、まずは手放した執着による苦しみを味わう必要があるのです。ここでは、具体的な例を2つ挙げて考えてみましょう。

苦痛を伴う「手放し」のプロセス

1. ネットゲームへの執着(依存)

ゲームにのめり込み、日常生活に支障が出るほどの「ゲーム依存」に陥るケースがあります。
ゲームの中に友人を見つけたり、ゲームの世界で自己の有能感を得ていたりする場合、その人の思考や感情、行動はゲームの世界に強く引き込まれてしまいます。

「ゲームをやめたいけれどやめられない」という状態は、脳がゲームの快感を強く求め、依存している状態です。
この場合、「ゲームに執着している」というよりも、すでに「ゲーム依存」という病的な状態になっていることもあります。

ゲーム依存の方にとって、ゲームはまさに自分の「生きる世界」そのものです。
ですから、ゲームを手放すことは、その世界を失うことに繋がり、強い苦痛を感じます。
脳が快感を求める状態になっているため、本人の意識だけでゲームへの執着を制御することは非常に困難です。

こうしたケースでは、専門的な治療が必要となります。
そして、その治療の過程で、ゲームに対する執着を手放すためには、相当な心理的な苦痛を伴うとされています。

この心理的な苦痛を経験しなければ、ゲームへの執着を手放し、そこから解放されて楽になる状態に到達することはできないのです。
一時的に執着を手放すことによって生じる苦痛は、避けて通れない必然的なプロセスなのです。

2.仕事への執着・仕事がアイデンティティ

仕事に求めるものは人それぞれですが、もし仕事に自己のアイデンティティを求め、それが自己を証明する手段であるとしたら、その人の仕事に対する情熱や執着は並々ならぬものがあるでしょう。
なぜなら、その仕事を通して、「自分は何者であるか」を証明しているからです。

「仕事=自分である」という状態の人は、自分自身を維持するために、その仕事が不可欠だと感じています。

もし、何らかの理由でその人が仕事ができなくなったとしたら、どうなるでしょうか。それは、アイデンティティの喪失、すなわち自己喪失を意味します。自分とは何者であるかを語れなくなってしまう、という深い虚無感に襲われるかもしれません。

このような人にとって、仕事への執着は非常に強く、それによって自分を保っているのです。
しかし、もしその仕事を維持するために、心身ともに限界に達し、危うい状態になってしまったとしたら、そこから離れるという選択肢も考えなければなりません。

では、この人が仕事から離れたら、すぐに楽になるでしょうか?
仕事という執着の対象から離れることで、心が解放されてホッとできるでしょうか?

残念ながら、私はそうは考えません。
仕事がアイデンティティであり、「仕事=自分」であった人が、その仕事を失う、あるいはできなくなるということは、その人にとって自己喪失に等しく、深い虚しさ、寂しさ、そして苦痛を強く感じるでしょう。

仕事という名の執着を手放すことによって、一時的に苦しくなるのです。
今まで注ぎ込んでいた情熱の対象を失い、「自分は何者なのか」というアイデンティティの危機に直面するからです。

ですから、よく言われるように「執着を手放すと楽になる」と、すぐさまポジティブな結果が訪れるわけではないのです。

しかし、この人が人生を諦めず、今の自分を受け入れる努力を重ね、新しい価値観や新しい自己を創造することに成功したならば、過去の自分からの脱却が図れ、もはや仕事に対して執着する心理状態も薄くなるでしょう。これは、例えるなら「脳を書き換える」ような、意識と行動の変化を伴うプロセスです。

そして、この状態になって初めて、「執着を手放すことにより楽になった」と言えるのです。
そのためには、まず今の自分の状況、状態を受け入れ、新しい自分になる覚悟と努力が必要です。
過去の経験は、きっとまた別の場所で、新しい形で活かされるはずです。

執着。

それは、手放すと楽になる前に、まずは手放したことによる苦しみを味わい、その状態を受け入れ、乗り越えることによって初めて、真の「楽になる」という境地へと辿り着けるものなのです。

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