行き過ぎた個人主義は「利己主義」となるのか
行き過ぎた個人主義と集団主義について考える
私たちは、コロナ禍において、さまざまな価値観のぶつかり合いを目の当たりにしてきました。
特に、欧米で見られた「個人の自由」を主張する人々の行動は、多くの日本人に違和感を与えたのではないでしょうか。
「マスクをする・しない」、「ワクチンを打つ・打たない」といった個人の選択が、社会全体に大きな影響を及ぼす状況を目の当たりにし、私たちは改めて「個人主義」と「集団主義」という二つの考え方について、深く考えさせられました。

Index
1.個人主義の光と影:自由と責任のバランス
2.日本の「集団主義」もまた、危うさをはらんでいる
3.大切なのは、それぞれの「良い部分」を活かすこと
1.個人主義の光と影:自由と責任のバランス
個人主義とは、国家や社会の権威に縛られず、個人の自由と権利を尊重する考え方です。
この考え方自体は、個人の尊厳を守る上で非常に重要であり、私たちも日々の生活の中で、自身の自由と権利を尊重しています。
しかし、パンデミックという未曾有の危機においては、その「自由」が、「責任」とセットでなければならないことが浮き彫りになりました。
a)「マスクをしない自由」は、同時に「他者に感染させるかもしれないリスク」を伴います。
b)「ワクチンを打たない自由」は、同時に「医療体制を逼迫させるかもしれないリスク」を伴います。
自分の命を守り、社会全体を守るための行動を「個人の自由」という名のもとに拒否する姿は、残念ながら、「利己主義」と捉えられても仕方がありません。
利己主義とは、自分の利益や権利だけを主張し、他者の利益や権利を軽んじる態度です。
パンデミック下において、この考え方が行き過ぎると、社会の機能不全を招き、結局は自分自身の首をも絞める結果となります。

2.日本の「集団主義」もまた、危うさをはらんでいる
一方、日本は、欧米とは異なる行動様式を見せました。
政府からの強制がなくても、多くの人が自発的にマスクを着用し、ワクチン接種を進めてきました。
これは、集団の調和や他者への配慮を重んじる「集団主義」の側面が強く影響していると言えるでしょう。
しかし、この集団主義もまた、危険な側面をはらんでいます。
パンデミック初期に起こった、感染者への誹謗中傷や差別がその一例です。
a)「みんなと同じ行動をしなければならない」という空気は、「同調圧力」を生み出します。
b)感染した人を「集団の輪を乱した存在」として攻撃し、排斥する動きは、「相互監視」や「魔女狩り」にもつながりかねません。
他者への配慮から始まった行動が、行き過ぎると、逆に他者を傷つける結果を招くのです。

3.大切なのは、それぞれの「良い部分」を活かすこと
個人主義も集団主義も、それぞれに良い部分と悪い部分があります。
個人主義の良さは、個人の尊厳と多様性を尊重し、新しい価値観を生み出す力です。
集団主義の良さは、全体の調和を保ち、相互に助け合い、社会を安定させる力です。
私たちは、どちらか一方に偏るのではなく、それぞれの良い部分を理解し、状況に応じて柔軟に使い分ける知恵を持つ必要があります。
個人の自由を尊重しつつも、他者への配慮と社会全体の利益を考えること。
集団の調和を重んじつつも、安易な同調圧力に屈せず、一人ひとりの声に耳を傾けること。
この二つのバランスを保つことが、不確実な時代を生き抜くために、今、私たちに求められていることではないでしょうか。