憎しみと「正義」:報復がもたらす悲劇
正義という名を借りた怒りに基づく報復
Index
1.理不尽な仕打ちが心を蝕む時
2.悲しみから怒り、そして「正義」へのすり替え

1.理不尽な仕打ちが心を蝕む時
予期せぬ、あるいは納得できない形で不当な扱いを受けることは、誰にとっても心に深い傷を残します。
言葉や態度によるいじめ、差別的な振る舞いなど、理不尽な状況に直面した時、私たちの心には様々な感情が湧き上がることでしょう。
「どうして自分だけがこんな目に遭うのか?」、「なぜ、こんなにも理不尽な仕打ちを受けなければならないのか?」。
最初は、このような自問自答と、深い悲しみが心を満たすかもしれません。
日々の不当な扱いは、その悲しみをさらに増幅させ、「自分の存在自体が悪いのか」、「生きていることが罪なのか」と、自己否定に陥ることもあります。
しかし、その感情はやがて、自分自身に問題があるのではなく、不当な扱いをしてくる周囲の人間や社会そのものに問題があると認識する段階へと移行することもあります。

2.悲しみから怒り、そして「正義」へのすり替え
自分を苦しめる他者や社会を「敵」と見なし、当初の悲しみは、やがて激しい怒りへと変わっていきます。
そして、その怒りと共に、深い憎しみが芽生えることも少なくありません。
「自分を苦しめる加害者は叩き潰さなければならない。そうしなければ自分が潰される」。
こうした極端な思い込みに囚われることもあるでしょう。
この段階に至ると、思考はさらにエスカレートし、「間違っている他者や社会は正さなければならない。これは正義なのだ」と、自身の感情を「正義」という大義名分にすり替えてしまうことがあります。
「正義」の遂行と称して、自身が受けた傷に見合う「報復」を企てるようになるかもしれません。
しかし、他者や社会への攻撃は、本当に「正義」なのでしょうか?
それは「正義」という名を借りた、単なる報復感情ではないでしょうか。

ストレス社会と「正義」という名の報復
現代社会では、他者への思いやりや共感が希薄になりつつあると感じることはないでしょうか。
社会全体が疲弊し、人々の寛容性が失われ、誰もが「自分のことで精一杯」という状況に陥っているのかもしれません。
努力や苦労が報われにくい現代において、溜まったストレスのはけ口として、誰かを攻撃したり、いじめたりすることで心のバランスを取ろうとする人がいるのも事実です。
特定の人をいじめ、差別的に接することで、自身の不満や心の問題を解消しようとするケースもあるでしょう。
また、集団で誰かをいじめることが、集団の目的となり、つながりや連帯感を強化する手段となることもあります。

しかし、いじめられ、差別的、侮蔑的な態度で接し続けられた側の人間は、やがて怒りと憎しみから、報復や復讐の念を募らせる可能性があります。
そして、その目的遂行を「正義」と称し、社会そのものに対して打撃を与えかねません。
もちろん、その前に絶望から自ら社会から消えてしまう選択をしてしまうこともあるでしょう。
私は、このような悲劇が起こらない、平和な社会であってほしいと心から願っています。
一人ひとりが思いやりを持ち、共感し、親切な社会を築こうと訴えることは、今や時代の流れに逆行する非現実的な理想論かもしれません。
しかし、一人ひとりの人権を尊重する社会であるべきだと強く思います。
人権は、誰もが生まれながらにして持つ、かけがえのない権利です。その人権を踏みにじる行為は、決して許されるものではありません。

そして、何よりも重要なことは、悲しみや怒り、憎しみを原動力として「正義」を振りかざさないことです。
それは紛れもない報復、復讐です。
そのような行為に及べば、反社会的行為者として、法の基に裁かれることになり、その末路は悲惨なものとなるでしょう。
他者からの卑劣な扱いを受け続けた心の傷は計り知れず、立ち直ることさえ難しいかもしれません。
それでも、まだ多くの人々が、良識と良心を持ち合わせて生きています。

1.悲しみと怒りから「正義」を振りかざす前に
「もう誰も信用できない」と思われるかもしれません。
確かにそうかもしれませんが、それでも、心から信用し、信頼できる人は必ず存在します。悲しみを抱えながらも、人としての誠実さ、正直さを失わない限り、きっと波長の合う、あなたを理解し、応援してくれる誰かと出会えると私は信じています。
そのためには、あなた自身が主体性を持って、そのような人を探し、行動する努力が必要です。
ただ考えているだけでは、怒りや憎しみが心に溢れ、後戻りできない状態に陥ってしまうかもしれません。
もし、ご自身の心の状態に異変を感じたら、すぐにでも、あなたを理解し、応援してくれる人や組織を探しましょう。
それは、私たちのような心理カウンセラーでも構いません。
心の傷はすぐに癒えるものではないかもしれませんが、前向きな気持ちがあれば、きっと良い縁に恵まれるはずです。