「自己肯定感」なんてどうでもいい?開き直りの心理がもたらすもの
ここ10年以上でしょうか、カウンセリングの現場で「自己肯定感が低い」という悩みを抱えて来られる方が非常に増えました。
それ以前は、「自信がない」という言葉での相談が多かったように記憶しています。私自身、この「自己肯定感」という言葉には、いまいちピンとこない、感覚的に分かりづらいところがあります。
おそらく、私自身がこの言葉に馴染みがないからでしょう。

結論から申し上げると、私自身の人生において、自己肯定感が高かろうが低かろうが、それを大きな問題とは捉えていません。
もちろん、他者からの評価や承認を得たいという「承認欲求」は私にもあります。
それは、自分一人で自分を肯定することの不確かさを補い、確実に自分を肯定するには他者からの承認が必要である、という心理的根拠があるからです。
「自己肯定感」に振り回されず、「開き直り」の心理を持つ大切さ

Index
1.「自己肯定感」と「承認欲求」の関係
2.他者からの評価に振り回されない「自分軸」を持つ
3.「自己肯定感」の根源にあるもの:育った環境と過去の体験
4.自己肯定感を問題にしている暇があれば開き直り前に進むこと
5. 日々、最善を尽くせば「自己肯定感の悩み」は消える
6.「自分は自分」であること:自分自身を無条件に認める大切さ
1.「自己肯定感」と「承認欲求」の関係
おそらく、今多くの方が悩まれている「自己肯定感」とは、「何かができる自分」、「他者より優れている自分」、「頑張っている自分」を「自分が自分を認める承認欲求」に関する悩みではないでしょうか。
そして、「自己肯定感」と並ぶ、あるいは対をなす悩みとして「自己否定」があります。
しかし、この二つの言葉を並べると一目瞭然なのですが、「自己肯定感」には「感」が付き、自己否定には「感」が付いていません。
カウンセリングにおいても、「自己否定感が強い」という悩みの言葉を使われるご相談者様には、あまりお目にかかったことがないように思います。
当然のことながら、強い自己否定は、自己肯定感を築く上での根本的な問題となるでしょう。
しかし今回は、自己肯定感そのものに焦点を当ててお話しさせていただきます。
さて、私にも他者からの承認欲求はあります。
しかし同時に、正直なところ「どうでもいい」とも思っています。

2.他者からの評価に振り回されない「自分軸」を持つ
他者からの評価というものは、他者が勝手に行うものであり、私には制御もコントロールもできません。
他者からの評価を得ることに専念してしまうと、まさにその評価を得ることに翻弄され、振り回されてしまうのです。結局、「自分軸」を見失ってしまいます。
私は「私」でありたい。
そのためには、他者評価はあれば嬉しいけれど、特別必要ではありません。
何かに振り回されることなく、心穏やかに静かに暮らしたいと願っています。
これも年のせいなのでしょうか。

しかし、「何かができる自分」、「他者より優れている自分」、「頑張っている自分」という基準で自己肯定感を測ると、それができなくなることもあります。
自然な加齢とともに、以前はできていたことができなくなるのは避けられない事実です。
すると、それができなくなった自分は、自己肯定感という感覚を失ってしまうのでしょうか?
自己肯定感とは、それ程度のものなのでしょうか?
もしその程度のものなのであれば、そもそも自己肯定感で悩む必要もないのではないでしょうか?

3.「自己肯定感」の根源にあるもの:育った環境と過去の体験
いいえ、私は理解しています。
自己肯定感とは、私たちの生育歴とともに培われるものです。
子どもの頃の親子関係、どれだけ愛され、認められたか、あるいは批判や罵倒を受け続けたか。友人関係も影響するでしょう。
いじめはなかったか、仲間外れにされた経験はなかったか、友人と楽しく分かち合った経験はあったか。
学校での成績はどうだったか?
頑張っても成績が上がらない悩み、それによる自己嫌悪。青年期、大学などで青春を謳歌できたか、それとも孤独を感じる日々だったか。孤独による疎外感。
これらは社会人になってからの人間関係にも影響を及ぼします。

その他にも、遺伝による気質、人生における様々な成功体験や承認体験、あるいは他者との比較評価など、自己肯定感に関連する要因を挙げればきりがありません。
そして、これらは「劣等感」、「コンプレックス」、「自己否定」といった感情とも強く結びついています。
「自己肯定感が低い」という悩みは、その根源にある「劣等感」、「コンプレックス」、「自己否定」、「自信がない」といった言葉が、現代において名称を変えたものなのでしょうか?
それとも、劣等感や自己否定などがあるがゆえに、他者からの承認を強く求め、それが得られていないと感じるために、「自己肯定感の問題」として悩んでいるのでしょうか?
または、自分と他者との常の比較より、自分は他者に勝る点を見つけることが難しく、結果として、自己肯定感の低さで悩んでおられるのでしょうか?
さて、私自身の人生を振り返れば、成功体験もありますが、それを上回るほどの挫折体験も多く経験してきました。
特にここ数年は、惨敗したという感覚さえあります。
しかし、すべては過去のことなのです。

さて、私は成功体験もありますが、それを上回る程、挫折体験も多い人生を過ごしてきました。
とくに、ここ数年は惨敗した感もあります。
でも、すべては過去のことなのです。
4.自己肯定感を問題にしている暇があれば開き直り前に進むこと
人は様々な体験や経験を通して、自己肯定感で悩み続けるのかもしれませんが、先に述べたように、承認欲求という他者から得るものを考慮しても、得られることもあれば、得られないこともあり、すべては他者次第です。
私はそれよりも、他者に振り回されない「自分創り」の方が大切だと考えます。
そして、私がなぜ自己肯定感を自分自身の問題にしていないのか?
それは、自己肯定感を「自信」、「自己信頼感」と言い換えても同じなのですが、ある意味、私は「落ちるところまで落ちた」種類の人間だからかもしれません。
そうなると、次はある意味「這い上がる」しかないのです。這い上がるのに、承認欲求がどうこう、などと考える必要はありません。ただ、「自分は自分だ」と開き直り、ひねくれたりすることなく、まっすぐに前を向いて進むしかないのです。

これを「開き直りの心理」と呼んでも良いかもしれません。
必要以上に過去にこだわらず、もしこだわるのであれば、その過去から何を学んだかを考え、これからの自分の人生に活かす(まだ時々、悲観的になることもありますが、心の傷は完全に癒えていない証拠でしょう)。
開き直ること。
劣等感、失敗体験、自己肯定感など、どうでもいいから手放す。
そうです。私は「開き直ろう」と生きているからこそ、「自己肯定感」という言葉がピンとこないのかもしれません。

5. 日々、最善を尽くせば「自己肯定感の悩み」は消える
私は、自分の出来る範囲内で良いから、自分のする事(「仕事」と書き、「事に仕える」と読み替えることができます。この「事」とは、有給の仕事だけでなく、ボランティア、子育て、学び、遊びなど、すべての行いを指します)に、最善を尽くしたいと思っています。
日々、自分なりに精一杯最善を尽くせば、それだけで十分ではないでしょうか。
そして、最善を尽くしたのであれば、それ以上のことはできないはずです。
自分は自分の人生を、最善を尽くして生きる。
そして、それを他者から承認していただければ、もちろん嬉しく思います。
しかし、たとえ承認してもらえなくても、それは他者の判断であり、私には関係ありません。

さて、最後に。
何かできる自分、他者より優れている自分、頑張っている自分などを、他者から認めてもらうという「他者評価」に自己のあり方を置いていると、年齢とともに、以前はできていたことができなくなるという現実に必ず直面します。加齢とは無情なものなのです。
したがって、本当に大切なこと。それは、「自分という人間、その存在を無条件に認めてもらえる人々との関係性」を築くことだと、私は人生において最も重要だと考えています。
「自己肯定感」という言葉には、時に「比較」や「競争」が背景にあると感じることがあります。
「自分は優秀であるか否か」、「私はAさんより優れているか否か」といった比較や、「自分は周囲から否定されていないか否か」という不安。私の考えすぎかもしれませんが、そう感じることがあります。

6.「自分は自分」であること:自分自身を無条件に認める大切さ
人生を豊かに過ごすためには、日々最善を尽くして生きている自分を認め、そして、色々なことを分かち合える人間関係(家族、友人、仲間)があれば、それだけで十分ではないでしょうか?
「自分は自分であり、かつ、自分は他者を大切にし、他者にも大切にされる」。
孤独を避け、人との交流の温かさに触れて生きる。
また、時間に余裕がある時は、自分の好きなことをして心を潤す。
これも重要でしょう。

自己の存在を無条件に認めてもらえればもらうほど、人は生きる希望、勇気、意味を自己の中に見出し、強く生きることができると私は考えています。
それは、「私はOK(無条件の自己存在のOK感)」だからです。
他者評価にはこだわらず、開き直る。
激しい競争社会が中心の現代において、人々が疲弊し、孤独が蔓延している中で、自己存在の証明として「条件付きのOK」である自己肯定感を強く求めるのかもしれません。
しかし、実のところそれはどうでも良いこと(競争社会を生き抜き続けている方々には申し訳ない書き方ですが、いずれは引退の時が来ます)。それよりも、自己の存在を無条件に認めてもらうことの方が、生きる上ではるかに大切であると、私は申し上げたいのです。
そして、そのためには、今、あなたが「仕えている事」に最善を尽くすこと。
最善を尽くして生きる。
そして、その自分を、あなた自身が認めてあげること。
「自分はOK」。
これが、無条件の自己存在のOK感に繋がるのです。

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