集団維持のための「いじめ」と差別:私たちが向き合うべき課題
私たち人間は、一人では生きていけません。
国や組織、そして学校という集団に属することで、安心や安定を得ようとします。
しかし、その集団の秩序や連帯感を保つために、「いじめ」や「差別」が利用されることがあります。
国家が国民の不満を逸らすために他国を悪者に仕立て上げるように、集団もまた、特定の個人をスケープゴートにすることで、自分たちの結束を強めようとすることがあるのです。
この問題は、大人社会における陰湿ないじめや、子どもたちの学校生活にも深く根ざしています。
今回は、いじめの問題について、そして私たちがどう向き合っていくべきかについて、私の考えをお伝えします。

いじめに対する私論といじめに対する対応策
Index
1.いじめはなくならない?私たちが直面する現実
2.「無目的の集団」が、いじめを生み出す?
3.スクールカーストが生み出す分断
4.いじめをなくすために、大人ができること
1.いじめはなくならない?私たちが直面する現実
「いじめはなくならない」。
絶望的に聞こえるかもしれませんが、私はそう考えています。
人間が持つ攻撃性や自己中心性といった本質的な側面が、いじめを生み出す一因であるからです。
現代社会では、大人のいじめや子どもの虐待が増加し、SNSといった匿名性の高いツールが、人を攻撃する手段として使われるようになりました。
私たちは、人と人とのつながりや、お互いを尊重する心を見失いつつあるのかもしれません。
これは、経済的な疲弊や、それに伴う心の余裕のなさとも無関係ではないでしょう。
地域全体で子どもを見守るという感覚が薄れ、過度な個人主義が進んだ現代では、いじめの問題に歯止めがきかない状況が生まれています。

2.「無目的の集団」が、いじめを生み出す?
子どもたちは、義務教育という名のもと、特定の目的を持たずに集められます。
同じ学年、同じクラスというくくりの中で、何を学び、何を目標にすればいいのか分からずにいる子どもも少なくありません。
もし、この「無目的」な集団が、いじめという行為に「目的」を見出すとしたら、これほど恐ろしいことはないでしょう。
この状況と深く関係しているのが、「スクールカースト」です。

3.スクールカーストが生み出す分断
スクールカーストとは、クラス内に「上位層」、「中間層」、「下位層」といったヒエラルキーが自然発生することです。
a)上位層:ルックスや面白さなど、何らかの面で秀でているとされる生徒。
b)中間層:多数派を占め、上位層に同調しながら波風を立てずに過ごす生徒。
c)下位層:いじめや差別の対象となる生徒。
この構造は、集団の秩序を保つために無意識的に機能しているのかもしれません。
中間層の生徒は、下位層をいじめることで、自分が下位に転落するリスクを回避し、安全を確保しようとします。
「もし自分が声を上げたら、次はいじめられる側になるかもしれない」
この恐怖心は、大人でも子どもでも同じです。だからこそ、いじめをなくすことが難しい現実があるのです。

4.いじめをなくすために、大人ができること
いじめの問題に根本的に取り組むには、学校の先生方の役割が非常に重要です。
先生は、単に知識を教えるだけでなく、「人として人を育てる」という、学校教育の本質を担うリーダーだからです。
しかし、今の先生方は、多忙な業務に追われ、生徒一人ひとりとじっくり向き合う時間も心の余裕もないのが現状です。
心理カウンセラーである私自身、心の余裕がない状態で、他者の悩みに寄り添うことの難しさを痛感しています。
まずは、先生方の業務を軽減し、生徒と向き合う時間を確保することが、いじめ解決への第一歩ではないでしょうか。
また、いじめられた子だけでなく、いじめた側の心の問題にも目を向ける必要があります。

いじめを行う子どもたちの多くは、家庭に何らかの問題を抱えていることがあります。
思いやりや優しさを学ぶ機会が少なく、自己肯定感が低いゆえに、他者を攻撃することで心のバランスを取ろうとしているのかもしれません。
いじめた子どもをただ叱るだけでなく、その行動の背景にある心の闇に寄り添い、家庭環境を含めた総合的なケアを行うことが、将来の犯罪を防ぐためにも不可欠です。
いじめの問題を解決するには、社会全体が子どもの成長に関心を持ち、大人が手本となるべき姿を示すことが求められます。
いじめのない社会は、誰もが安心して生きられる社会です。そのためにも、私たち一人ひとりが、この問題と真剣に向き合い続ける必要があるのではないでしょうか。