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真の自由は存在しない

私たちは日々の生活の中で、「もっと自由に生きたい」と感じることがあります。
しかし、本当に「何をしても自由」な世界は存在するのでしょうか?
もしそうではないのなら、私たちはどのように「自由」と向き合っていけば良いのでしょうか。

自由とは何か:社会と個人の間で考える

私たちは日本という法治国家に住んでいます。
残念ながら、私たちの行動は法律や社会のルールによって制限されています。
法を破れば、その自由は奪われ、収監されることもあります。こ

れは、私たちが「何でもやりたい放題」の真の自由とはかけ離れた世界に生きていることを示しています。

では、もし「真の自由」を追い求めるなら、私たちはどこに行けば良いのでしょうか?

無法地帯を想像してみてください。
そこには法の縛りはなく、一見すると何でもやりたい放題に見えるかもしれません。
しかし、無法地帯は弱肉強食の世界です。
強い者が弱い者を支配し、その力が「法」となります。

これでは、安全な社会で得られるはずの自由は失われ、常に危険にさらされることになります。
そう考えると、ある程度の制限がある中で安全に暮らせる今の社会の方が、よほど「自由」を享受できているのではないでしょうか。

では、究極の自由を求めて無人島に一人で暮らすことを選んだとしたらどうでしょう。
確かに、そこには他人からの制約はありません。

しかし、もしそこに二人以上の人が存在するなら、どうなるでしょうか?
お互いのプライバシーや権利が生まれ、それを守るために、必ず何らかのルールや秩序が必要になります。
人が二人以上存在する空間では、互いを尊重するための社会システムが自然と形成されるのです。

このことから、私たちは「自分以外の人が存在する限り、そこには必ずルール、秩序、法が存在し、お互いを守る社会システムが作られる」という結論に至ります。

つまり、私たちにとって「真の自由」とは、誰とも関わらずに生きることによってのみ得られる、ある種の孤独な状態なのかもしれません。

「制限の中の自由」を受け入れ、自己と向き合う

結局のところ、私たち人間は社会的な生き物です。
誰かと共に生きることを選んだ時点で、そこには必ず、お互いを尊重するためのルールが生まれます。

何をしても良い事由とは幻想であり、存在しないのです。

自由とは、制限の中にのみ存在するのです。

この事実を受け入れることは、一見すると不自由に感じるかもしれません。
しかし、これは決してネガティブなことではありません。
むしろ、私たちが社会の中で他者と調和しながら、それぞれの役割を果たしていく上で不可欠な要素なのです。

私たちは「真の自由」を追い求めるのではなく、与えられた制限の中でいかに自分らしく、心豊かに生きていくかを考えるべきなのです。



制限の中の自由とは、法や倫理に守られた、自由であり。
その安全が保証された社会において、他者を尊重して、各々が制限の中において自由を楽しむ生き方。

このことは、民主国家の基本でもあるのです。

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