路上において子供が大人の前でたばこを吸う心理

以前、商店街(路上)を歩いていた時、子供(小学生高学年程)がたばこを吸って歩いていました。
周囲の大人は誰も注意しません。
私もチラッとたばこを吸う子供を見ただけで、その場を過ぎ去りました。

今回は、子供が人前(大人の前)でたばこを吸う心理について書きますが、その前に、たばこを吸っている子供を見た大人は、なぜ、たばこを吸っている子供に注意しなかったのでしょうか。

私がたばこを吸っている子供に対して何も注意しなかったのは、基本的には、その子供と私とは何の関係もないからです。
関係ないとは文字通り、その子供が、今、たばこを吸っていようが、将来、どうなろうが、知ったことではないということです。

私以外、たばこを吸っている子供に注意をしなかった多くの大人も、私と同じような感覚を抱いていたのではなかったでしょうか。

それに、たばこを吸っている子供の背後に何が隠れているか、考えると恐ろしくもなります。
反社会的な人間が、商店街の中で子供にたばこを吸わせ、誰かが注意しようものなら、反社会的人間が目の前に現れ、因縁をつけてくるかもしれません。
関わらない方が無難です。

また、商店街で多くの大人が行きかう中、たばこを吸うという目立った行為(法律に反し、反社会的な態度)をとる子供に対し、大人が注意しても素直に聞くでしょうか。
「うるさいんじゃ、おっさん、おばはん」と、罵声を浴びせてくるのではないでしょうか。
これも、関わりたくありませんね。

しかし、もう少し深く考えてみると、多くの大人が行きかう商店街の中でたばこを吸う行動、これは、明らかに目立つ行動です。

この目立つ行動をあえて取る、心理的背景は何でしょうか?

もしかしたら、自分がたばこを吸っていることを、大人に注意されたいのではないでしょうか。

そして、それは、だはこを吸うことに対する注意ではなく、本当は自分が抱えている悩みを訴えたいのではないでしょうか。

抱えている悩みの訴え方が分からず、まずはたばこを吸い、大人の注目、注意をひき、そして、自分の抱えている悩みを訴える方向へ持っていく。
この心理的動機は考えられないでしょうか。

しかし、問題は大人からたばこを吸っていることを注意、怒られた子供は、いかに自分の抱えている問題を、その大人に訴えることが出来るかです。

大人に怒られた子供は、素直に大人の話し、説教を聞くでしょうか?
説教を聞かないと、悩みの相談まで持っていくとは出来ません。
しかし、説教を聞いている最中に、子供の反抗心が爆発、関係性は終了とはならないでしょうか。

よほど彼らに向き合いたい、何とか更生して欲しいと、強い気持ちの大人以外は、子供に注意はしても、それ以上の関係性はもたないでしょう。
これも、ややこしいことには関わり合いたくない大人の心理です。

しかし、私は大人の前で平然とたばこを吸う子供の心は、
「話しを聞いて欲しい、助けて欲しい」という、辛い気持ちが奥底にあると感じています。

また、同時にどれだけの大人が、たばこを吸っている自分を注意してくれるか、気にかけてくれているか、大人を試しているのかもしれません。

いずれにせよ、自分を助けてくれるのは大人、だから、まず、怒られるような事をして、注目を集めようとする。

でも、その後、子供はどのように自分を注意してくれた大人に、本音、抱えている悩みを訴えかけていいのか分からない。
そのもどかしさ等が、喧嘩口調で大人につっかかるのかもしれない。

本当は素直に自分の抱えている悩みの話しが出来ればいいのですが・・・。
でも、その話しを聞いてくれるのは、通りすがりに注意をした大人ではないかもしれない。

児童相談所や、何らかの福祉の相談所もあるのでしょうが。

子供ゆえに、どこの誰に、どのように相談して良いのか分からないのでしょう。

この問題の背景は、たばこを吸う子供が悪いと断罪するだけではすまされず、親、学校、地域、相談出来る公的機関、様々な人が見守り、問題を解決すべきなのではないでしょうか。

しかし、現代のつながりが薄く、閉鎖的な社会。
難しいかもしれませんね。