傲慢を手放す

傲慢とは何でしょうか。

「他者に対する優越感を常に持ち、自分が優れていると思い込み、自分本位に振る舞う人」と、定義出来ます。

Index
1 傲慢とは人間の本質かもしれない
2 優越を求めず傲慢を手放し、謙虚さを学ぶ大切さ

1 傲慢とは人間の本質かもしれない

さて、私たちの他者に対する優越に関しては、誰でもが持ち、感じ、思うところではないでしょうか。

私たちは意識・無意識を問わず、比較の世界に生きています。
比較の世界とは、優れているか、劣っているか、勝ちか、負けかの世界です。

そして私たちは意識することなく、容姿、生活水準、性格、個性等(大きなことから、小さいことまで)、自分と他者を比べ、自分の方がまだいい、自分の方が優れている等、自己評価を上げることを、日々意識・無意識的に行い、優越感を得ているのではないでしょうか。

また、優越を求めないとしても、何かにつけ、人を批判する自分を認識されているのではないでしょうか。

批判をする基準は、自己との比較であったり、自己の知覚(感覚)であったりしますが、いずれにせよ、他者を批判、けなす思いから、優越を得ていると思われます。

このように振り返ると、私たちが意識・無意識的に優越を求め、他者を批判することは、人間の本質的なことなのかもしれません。

そして、優越を追い続け、優越に浸り過ぎると、傲慢と化すのではないでしょうか。

2 優越を求めず傲慢を手放し、謙虚さを学ぶ大切さ

さて、私たちの本質が傲慢であったとしても、傲慢ゆえに、優越感を持ったとしても、その優越感を他者に表現することなく、自分の中で抑えること。

さらに書けば、優越感を持っても、すぐに自分を振り返り、この優越感は本当に必要なものか。

優越を感じ続けることが、妥当なものかをを振り返り、謙虚な姿勢を取り戻すように、努力し続けると、優越、批判は少なくなります。

優越、批判する行為は、他者に対する、攻撃性でありますので、それに対する、謙虚さを意識しますと、その攻撃性は弱まり、自分の中にも穏やかさが生まれると思います。

人は優越を無意識に求めるものと認識して、それも自分の本質の一部と意識しつつ、常に自己チェックを怠ることなく、謙虚な姿勢で振る舞うこと。

これは、人としての、人間性の向上にもつながるのではないでしょうか。

さて、この優越を常に意識して、常に他者との比較を行い、自分は優れていると揺るぎなく思い、自分本位、勝手に振る舞い、他者を侮辱して当然と思っている姿勢が傲慢であると言えます。

常に優越を求め過ぎた結果、傲慢になってしまったのです。

しかし、傲慢になると、傲慢な人は他者を傷つけるため、皆、傲慢な人を避けます。
傲慢な人は、いつの日か孤独になります。

しかし、傲慢、おごり高ぶり続ける人は、孤独すら分からないかもしれません。
自分さえ良ければ、究極のところ、自分さえ存在していれば、それで良いと思っているかもしれません。

人は皆、優越を求め、傲慢なところがあります。
私もそうです。

人は比較して、自己の優越性を確認したがる傾向があります。
また、他者に対して口には出しませんが、批判的なところもあります。
それはそれで、人はそういうものと肯定して。

但し、常に自分を振り返り、戒め、謙虚さも学ぶこと。
これにより、私たちは優越と謙虚のバランスが取れるのだと思います。

優越を求めたとしても、それに対して謙虚であろうと努力すれば、そこで、バランスが取れるのです。

そもそも、優越を持つこと、他者に対する批判も、自分中心に物事を見た結果であり、客観的に、自分が他者より優れていることを証明することは、難しいと思います。

また、ある一面のみを他者と比較して、自分は優れていると思い込むとすれば、視野が狭すぎます。

謙虚さを学びましょう。

私も常に意識して、なるべく、優越感に浸らず、他者を批判せず
当然、これらのことは行動、態度には出さないようにしていますが・・・。
常に自己チェックと、自己反省を行い

よりいっそう、意識的に謙虚さを身につけたいと思います。
傲慢にならないように・・・。

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