人生で起こるすべての出来事には意味があるのか?
私たちの人生には、様々な出来事が起こります。
「すべてのことには意味がある」という言葉を耳にすることも多いのではないでしょうか。
また、偶然の出来事にさえ、何か深い意味を感じることがあるかもしれません。
皆さんは、どのように考えますか?

出来事の意味:意味に対する具体的な考え方について
Index
1.出来事の意味付けは、個人の「解釈」によるもの
2.感情が動く出来事と、その意味を探す意義
3.自分の「格」と引き寄せの法則〜JR新快速での体験〜
4.「謙虚な振り返り」が人生の豊かさへ導く
1.出来事の意味付けは、個人の「解釈」によるもの
私たちは、自分にとって幸運だと感じる出来事については、その意味を深く考えたり、過去を振り返って「なぜこれが起こったのか」を探したりすることがよくあります。
それは、嬉しい出来事だからこそ、意味を探す過程も楽しいと感じるからでしょう。

例えば、こんな経験はないでしょうか。
【例1】思わぬ千円札との出会い
お腹が空いて食事に出かけようとしたら、財布を忘れたことに気づいた。
困っていると、ズボンのポケットに以前入れたままだった千円札がひょっこり出てきた。
「これはまさに、この千円で食事をしろという天の声だ!」と、大げさに感じつつも嬉しくなった。
【例2】書類を落とした偶然が縁を結ぶ
職場の好きな人に告白できずにいた彼が、たくさんの書類を抱えて廊下を歩いていた。
偶然にも彼女とすれ違い、緊張のあまり書類をばらまいてしまった。
彼女はとっさに拾ってくれ、そこから会話が始まり、やがて二人は結婚することに。
彼にとっては、書類を抱え、それを落としたことこそが、彼女と結ばれるための「意味のある出来事」だったと感じるでしょう。

2.感情が動く出来事と、その意味を探す意義
人生におけるすべての出来事に意味があるとは断言できませんが、心理カウンセラーの立場から考えると、私たちの感情が大きく動く出来事には、何らかの意味が潜んでいると捉えることができます。
感情が動くとき、それは私たちが何かに反応している証拠です。
喜びや楽しみといったプラスの感情は、心が満たされ、体が活き活きと反応している状態であり、その理由も明確に理解できることが多いでしょう。
起こった出来事や体験中の感情反応は、ストレートで分かりやすいものです。
しかし、怒り、悲しみ、失望、嫉妬といったマイナスの感情が動くとき、その体験と感情反応は複雑に絡み合っていることが多々あります。
なぜ複雑になるかというと、感情が生じる背景には、私たちの「思考」が大きく影響している場合が多いからです。

この「思考」が厄介な存在です。
私たちは、自分に起こった出来事を素直に受け入れられない時があります。
自己正当化したり、事実を歪曲したり、あるいは自分の狭い視野や固定観念で物事を捉え、解釈したりと、様々な自己防衛的な思考が働くため、なぜそのような感情を抱くのか、本人でさえ理解が難しくなるのです。
例えば、素直に伝える方が楽な状況でも、高すぎるプライドが邪魔をして、その原因を相手のせいにして怒ってしまうことがあります。
この場合、怒りの真の原因は自分のプライドですが、それを認めたくないために相手に転嫁しているのです。
このような時こそ、感じた感情や怒りに対する「意味探し」をすることが重要です。
そこに自己成長を妨げる思考のパターン(考え方)を見つけ、それを修正することができれば、その出来事に対して抱いた感情の本当の意味が理解でき、次からはより素直な感情表現ができるようになるかもしれません。
また、何度も転職を繰り返し、どこへ行っても人間関係でつまずいて悲しみや失望を感じている人がいるとします。
この時こそ、冷静に自己分析を行い、人間関係に対する思考を修正し、社会的なスキルを身につけるチャンスと捉えることができるのです。

3.自分の「格」と引き寄せの法則〜JR新快速での体験〜
人生に起こるすべての出来事に意味があるとは言い切れませんが、感情が動いた時、そこには何か重要なメッセージが隠されていると私は考えます。
それは、その感情を抱いた本人を成長させるための意味であるかもしれません。
特にマイナスの感情を抱く際には、感情を抱いた本人自身の問題が関係していることが多々あります。
そして、その感情が動いた「意味探し」を体験者自身が行い、その意味が理解できるか否かが、自己成長を促せるかどうかの分岐点となるのです。
感情と思考、そしてその意味を探る過程において、心理カウンセリングは大きな助けとなるでしょう。
さて、ここからは私自身の個人的な体験エピソードを通して、出来事と「人格」の関係についてお話したいと思います。
ずっと昔の話になりますが、職場へ向かうJR新快速での出来事です。
通勤ラッシュを過ぎた時間帯で乗客も少なかったので、私は空いていた隣の座席に自分のカバンをポンと置きました。
正直なところ、誰も隣に座ってほしくなかったのです。

しかし、電車が発車時間を過ぎても動きません。
故障のアナウンスが流れ、徐々に車内は混み始めました。私は仕方なくカバンを膝の上に置きました。しばらくして、あるおばさんが乗ってきて、私の隣に座るなり、後ろのおばさんと話し始めました。
その声は耳障りで、話している内容も職場の人の悪口ばかり。明らかにマナー違反です。
電車が動き出しても、不快な会話は続きます。
私の耳は痛くなり、気分も悪くなったため、次の駅に着くと同時に、私は前の車両へと移動しました。車内は混んでいて座れませんでしたが、うるさい声から解放されてホッとしました。
なぜ、あんなに騒がしいおばさんが、私の隣に来たのだろうか。
不快な記憶を振り返るうちに、あることに気づきました。
おそらく、私がカバンを膝の上に置き直したタイミングで、そのおばさんが来たのです。
そもそも、私が空いているからといって、隣の席にカバンを置き、誰も座ってほしくないと思っていた「気持ち」こそが原因だったのかもしれない。それは、「格の低い行い」だったと気づきました。そして、私がそのような格の低い行いをしたからこそ、それに見合った「格の低い人」が引き寄せられたのではないか、と。

4.「謙虚な振り返り」が人生の豊かさへ導く
人は人を引き寄せるものです。
そして、それはその人の「格」に見合った人を引き寄せることが多々あります。
上述の出来事は、「常に自身の格を上げておきなさい」という天からの啓示だったのかもしれません。
このことを悟った時、電車は次の駅に着きました。
すると、運良く私は座ることができたのです。
学ぶべきことを学んだからこそ、座ることができたのかもしれない、と私は感じました。
この私の話に対し、「考えすぎだ」、「こじつけだ」といったご意見もあるかもしれません。
それはそれで構いません。
最初に述べたように、出来事の意味は、体験している本人が解釈し、意味づけるものです。

同じ出来事を体験しても、そこから何も学べない人と、学ぶことができる人の差は、「天からの啓示を受け取れるかどうか」の差に繋がるのかもしれません。
自分にとって不利なことや不快なことが起こった時、「自分に非はなかったか」と謙虚に振り返ることができるかどうか。
これは非常に大切なことです。
そして、そこには必ず意味があります。
その意味が分かった時、あなたの人生はより豊かなものへと開かれていくでしょう。
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