「友人が幸せでなければ自分は幸せではない」という思い込みが招く不幸せ
以前、ある知人から尋ねられました。
「テレビで、『自分が幸せを感じるためには、自分の友人、知人、周囲の人が幸せでなければ、私自身が幸せになれない』という発言があったけれど、どう思うか?」と。
私はその番組を見ていなかったので誰の発言かは知りませんが、この考え方について、私の見解をお伝えしたいと思います。
友人の幸せを願うことと、自分の幸せは別である
Index
1.友人の幸せを優先すると、自分の幸せが遠のく理由
2.幸せになるのは、不幸せを感じている本人の仕事
3.友人・知人・周囲の人が幸せでなければ、自分も幸せになれないという考えの無理
4.人の幸せを願うことの難しさについて

1.友人の幸せを優先すると、自分の幸せが遠のく理由
直感的に、もしその発言が本心であるならば、その人の幸せは遥か遠くにあるだろうと感じました。
なぜなら、友人や知人が本当に幸せかどうか、問題を抱えているかどうかは、本人にしか感じることができないからです。
それに、友人や知人が抱える問題を解決できるのは、基本的にはその人自身です。もちろん、何らかの支援や援助が役立つこともありますが、最終的な問題解決は本人の意志と行動にかかっています。
また、「幸せの基準」は人それぞれです。
客観的に見れば十分に恵まれているはずなのに、「自分は幸せではない」と感じている人もいるかもしれません。
自分が幸せか不幸せかは、その人の考え方、物事の捉え方、そして欲求水準の高低によっても大きく左右されるものなのです。

2.幸せになるのは、不幸せを感じている本人の仕事
したがって、問題を抱え、不幸せを感じている人が幸せになるための問題解決も、その不幸感を変えることも、自分を不幸だと感じる考え方を見つめ直すことも、基本的には本人にしかできません。
もし、あなたが良かれと思って彼らの目を覚まそうと、「なぜあなたは自分を不幸せと感じるのか?こんなに満たされているのに、幸せなはずだ、おかしい!」などと説教を始めてしまえば、かえって大切に思っている友人や知人、周囲の人々との関係性が悪化し、縁が切れてしまう可能性さえあります。
そうなってしまっては、あなたにとってこれ以上の不幸せはないのではないでしょうか。

3.友人・知人・周囲の人が幸せでなければ、自分も幸せになれないという考えの無理
「自分が幸せを感じるためには、自分の友人、知人、周囲の人が幸せでなければ、私自身が幸せになれない」。友人や知人、周囲の人々を思う気持ちは、非常に立派なものです。
しかし、前述したように、幸せに向かって問題を解決できるのも、不幸感を解消できるのも、その人本人だけなのです。
残念ながら、私たちは友人や知人の様々なことをコントロールすることはできません。コントロールできないことに振り回されていれば、あなたの幸せが訪れるのは遥か彼方になってしまいます。
知人や友人の幸せを願う気持ちを大切にしながらも、あなた自身が自分の幸せを探求することが何よりも重要です。
自分を幸せにできるのも、基本的には自分自身なのです。
もちろん、そのためには家族や友人、知人などのつながりも大切ですが、まずは「自分」が基盤となります。
幸せの基準は人それぞれです。あなたが心地よく幸せを感じるために、まずは自分の幸せを感じることに専念しましょう。
そして、その上で、皆が幸せになることを心から願ってあげてください。

4.人の幸せを願うことの難しさについて
人の幸せを願うことは素晴らしい行いです。
しかし、皆が違う「幸せの基準」を持っています。
極端な話、もしその人の幸せの基準が際限のない欲望に満ちたものであれば、その人は永遠に幸せになれないかもしれません。そうだとすれば、その人の幸せを願っても、ある意味では「無駄」という事態も生じます。
人の幸せを願うことは立派ですが、「ほどほどに」という現実的な視点も必要です。
現実的に考えると、自分の周囲の人全員が幸せになるということは不可能なことなのです。
なぜなら、幸せの基準が人によって様々だからです。
他人の幸せを願いつつも、自分が幸せを感じることを最優先にしましょう。
それが最も自然な心のあり方だと私は考えます。