愚痴と悩みの違いについて
人は様々な理不尽さ、差別感、思い通りにならない人生に対する感覚等より、他者や社会に対して怒りを感じるものです。
どうして、自分はこういう目に遭うのか。
なぜ、自分だけ。
あいつはなぜ優遇されるか等。
具体的に不満、不平を感じられることも多いと思います。
そして、このような思いを抱えている時は、その不平、不満、その愚痴を吐き出すことが有効であるという説もあります。
確かに、抱えている、不平、不満、怒りを吐き出すと、スカッとした気分になるでしょう。
自分の抱えていることを声に出して、話しを聞いてもらう。
カウンセリングに通じるところもあります。
尚、今回の愚痴については、「怒りを含む愚痴」をメインとして書きます。
愚痴は抱えているより、吐き出した方が良い。
そして、気分一変、新鮮な気持ちで明日を迎えよう。
いいことです。
しかし、本当にそうでしょうか?
愚痴を発っし続けるリスクと悩みへの発展
「愚痴」
この漢字2文字は、共に愚かさを示す言葉の意です。
そうなりますと、愚痴を吐き出すとは、愚かさを吐き出す行為とも考えられます。
何に対する愚かさか?
自己に対する愚かさです。
1.問題の解決には至らない
愚痴を吐き出すだけでは、問題の解決には至りません。
もちろん、抱えている怒り、不平、不満、困り事等を話し、何か気付きがあればいいのですが、愚痴を話す人の心理としては、怒りの感情が多々含まれているように感じます。
愚痴を吐き出すことは、怒りを吐き出すことと同義にはならないでしょうか。
これが、私が最も懸念していることです。
もし、怒りを吐き出すことが、愚痴を吐き出すことと同義であれば、怒り心頭の方に客観的に自己分析は出来るでしょうか?
愚痴を吐き出しながら、気付きはあるのでしょうか?
成長はあるでしょうか?
自分の抱えている愚痴の内容を、客観的視点で見る余裕、思考はあるのでしょうか?
愚痴を吐き出すだけでは、何も解決はしないかもしれません。
2.怒りの感情の増幅
愚痴を吐き出す。
日々、同じ不平、不満等を抱え、愚痴を吐き出す。
この行為の危険性、リスクは、怒りの感情の増幅なのです。
ずっと愚痴を吐き出していますと、自分に対して害を及ぼす等、認識している方に対して、怒りと攻撃性が心の内においても増幅するのではないでしょうか。
そして、やがて、その怒りと攻撃性が爆発、行動化に移るかもしれません。
愚痴。
共に愚かさを意味する言葉と前述しましたが、この意味の深層は、本当は自分にも問題があるにもかかわらず、全てを人の責任、問題として、自分勝手な怒り、憎しみ、攻撃性を増幅させることにつながることではないでしょうか。
自分の非に気付かないこと、これが、愚痴の愚かさなのではないでしょうか。
愚痴を吐き出して、ふと、我に返り、自分にも問題があった等気付くことが出来れば、自己成長の価値もあり、愚痴を吐き出すという行為にも価値ありと思うのですが、怒りを伴い、客観性を欠如した状態で愚痴を日々、吐き出し続付けること、そして、その話しを同意して聞き続けることは、怒りの増幅を助長させ、同意し続け聞き続ける方に対して、私は、無責任な聞き方と評せざるを得ません。
愚痴に内包される怒り。
怒りは破壊的行動と結びつくことを、よくよく、認識してください。
ちなみに、私は心理カウンセリングにおいて愚痴を言い続ける方にお会いしたことはありません。
おそらく、愚痴を吐き出すのに、有料のカウンセリングは対価が見合わないという、消費者心理が働いているのではないかと思います。
3.愚痴を聞く相手にも限界がある
あなだか愚痴の聞き役としましょう。
日々、同じ内容の愚痴を聞き続けたとしたら、あなたは、どのような心理に陥るでしょうか。
いい加減にしてくれ、日々、同じ内容ばかり。
そもそも愚痴とは、怒りを含む内容であることが多い。
(もちろん怒りだけではなく、悲嘆、ぼやきもあります)。
しかし、怒りの感情(同じ内容の話し)を繰り返し聞き続けることは、以外と辛抱がいるものです。
今まで愚痴を聞くことに付き合ってきました。
しかし、いい加減、聞くことが嫌になってきました。許容性の限界です。
この時、おそらく、多くの人は、「愚痴を言うのも、もうそのぐらいにしたら」と、伝えられるのではないでしょうか。
しかし、このメッセージを聞いた、愚痴を吐き出す人は、あなたに対して、どのような感情を抱くでしょうか。
何回も書いていますが、愚痴を吐き出し続ける人は、怒りの感情が強く、攻撃的心理状態であり、そのため客観的思考力も弱まっています。
あなたが、愚痴を吐き続ける人の話しを聞く役割をやめたと宣言した瞬間、あなたにも怒りの感情の転嫁が起こるかもしれません。
私の本音お伝えすると、あまり、ずっと、同じ愚痴の話しには付き合わない方が良い。
1回はいいと思います。
それで、相手の気持ちが晴れるのであれば。
でも、そうではなく、ずっと愚痴を聞き続けて、愚痴を吐き出し続ける人は、あなたのことを味方と思っていたにも関わらず、愚痴を聞くのはやめたと、あなたが宣言したとたん、裏切られたと、怒りの矛先の1つが、あなたに向かう可能性が高いのです。
4.愚痴から悩みへ気付きと成長
愚痴を吐き出し続けても、事態は改善しないことが多いです。
問題があるから、愚痴がうまれるのでしょうが、何かを攻撃するようなことを話し続けても、現実は変わりません。
そして、愚痴はやがて、変わらない現実の圧より、悩みへと変わるでしょう。
怒りから、苦しみへと変わるのです。
この時、人は悩みはじめるのです。
どうすれば、今の現実、状態、状況、自分の心の在り様を変えられるか。
愚痴から悩みの相談へと変わるでしょう。
愚痴を言い続け、怒りを散々吐き続けましたが、事態は変わらず、追い込まれ(もしすると、自分が自分を追い込んでいるだけかもしれませんが)、解決策もなく、悶々とした日々、憂鬱な日々の連続より、うつ病等を患ってしまうかもしれません。
しかし、悩むということは、愚痴と違い、自己内省力、客観的思考力が高まる可能性が高く、問題解決のチャンスです。
気付きと成長です。
今まで他者、社会等の問題と思い込んでいたが、自分に問題があったのではないか・・・。
自分が変われば、抱えている問題が変わることも多々あります。
もちろん、上司等のパワハラ等で悩んでいる場合は、相手の一方的な問題ですので、自分が変わる云々ではないかもしれませんが。
悩み出したら、その問題の解決にふさわしい人に相談をするのも1つです。
心理職、カウンセラー、行政の機関、弁護士等。
その問題にふさわしい人に相談をしてみましょう。
問題解決の糸口、チャンスが得られるかもしれません。
そして、それは、自分を変えるチャンスであるかもしれません。
しかし、問題や相手によっては、法における闘争の幕開けになるかもしれません。
5.愚痴と悩みに対する結論です
愚痴を吐き出すことは、怒りの発散にもつながり、それが、心を落ち着かせ、気付きの効果があるかもしれません。
しかし、同内容の愚痴を吐き出し続けることは、怒り、攻撃性を増幅させ、客観的思考力も弱め、その方の生き方にとっても、有益ではないことも考えられます。
そして、愚痴を吐き出しても、実際の問題解決にはつながらないことが多く、やがては、抱えている現状、問題に対する怒りは、悩みとなるかもしれません。
悩み。
あまりにも悩み続けると、反芻思考より、うつ病等患う可能性もあり、悩みはじめたら、その悩みに対するふさわしい相談相手を見つけ、相談することが大切と考えます。
悩みは苦しみであり、その苦しみを緩和、改善したいと思うのが、人の心の在り様。
悩みは、問題、状況等の改善へつながる可能性が高いでしょう。
気付きも得、自己成長のチャンスと捉えることも可能です。
但し、問題解決は抱えている悩みによって、相談相手も違い、解決への道のりも様々です。
尚、今回の愚痴については、怒りを内包していることを前提として書きました。
弱音を吐く愚痴とは、ニュアンスが違うことと、ご認識ください