「媚びる喜び」と「贈る喜び」:あなたを満たすのは、どちらの喜びですか?
私たちは日々の生活の中で、さまざまな「喜び」を感じて生きています。
しかし、その喜びには「人を介して得られる喜び」と「自分自身の中から生まれる喜び」があるのをご存じでしょうか。
今回は、一見似ているようで全く違う、2つの「喜び」について深く掘り下げてみたいと思います。
※両者の喜びは、その動機が純粋であれば、立派なものですが、「人を介して得られる喜び」に打算が入ると、その喜びには媚びる、卑屈の心が見え隠れします。
あなたの「喜び」は、誰かのため?自分のため?
Index
1.媚びる喜び
2.贈る喜び
3.どちらの喜びで、あなたの人生を満たしますか?

1.媚びる喜び
「媚びる」という言葉を聞いて、どんなイメージを抱きますか?
多くの場合、それは自分より立場が上の人、力を持っている人に対して、自分の利益のために気に入られようとする行為です。
例えば、
- 上司にひたすら褒め言葉を繰り返す。
- 自分の意見を隠して、相手の意見に無条件に賛成する。
- 相手の機嫌を損ねないよう、過剰に気を使う。
このような行為の根底には、「相手に気に入られることで、自分に有利な状況を作りたい」という打算的な気持ちが隠されています。
そして、相手が喜んでくれたり、自分に良い顔をしてくれたりすると、「やった!」と心の中で密かに満足感を得る。これが「媚びる喜び」の正体です。
しかし、この喜びは「卑屈な喜び」とも言えるかもしれません。
本当に尊敬しているわけではない相手に媚びる行為は、少なからず自尊心を傷つけます。
そのため、媚びる人は、その心のバランスを取ろうとして、別の場所で媚びた相手の悪口を言ったり、自分を正当化したりすることがあります。
結果として、周囲からは「あの人は人によって態度を変える」、「信用できない」と見なされ、人としての信頼を失ってしまう可能性が高いのです。

2.贈る喜び
一方、「贈る喜び」とは何でしょうか。
それは、見返りを求めずに、相手の幸せを心から願う気持ちから生まれる喜びです。
例えば、
- 落ち込んでいる友人に、励ましの言葉をかける。
- 頑張っている同僚に、心からの感謝を伝える。
- 大切な人に、小さなプレゼントを贈る。
こうした言動は、相手を喜ばせると同時に、自分自身の心にも温かい光を灯してくれます。相手が笑顔になってくれたり、元気を取り戻してくれたりする姿を見たとき、私たちは「誰かの役に立てた」という純粋な喜びを感じることができます。
この喜びは、媚びる喜びのように、自分の利益や打算から生まれるものではありません。
「純粋に相手を想う気持ち」から生まれる、本物の喜びです。

3.どちらの喜びで、あなたの人生を満たしますか?
現代社会では、SNSの「いいね」の数やフォロワーの数、そして目に見える「利」ばかりに価値が置かれがちです。
そんな世の中だからこそ、「贈る喜び」を大切にしたいと私は考えています。
自分の心を偽って、誰かに媚びる必要はありません。
見返りを期待せず、ただ相手の幸せを願う気持ちが、あなた自身をも満たし、周囲の人々との信頼関係を築いていくのです。
さあ、今日のあなたは、どちらの喜びで人生を満たしますか?